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はてなキーワード: シンポジウムとは

2025-08-25

石丸信者ドトール会長インタビュー記事

すげーバカだなあ....と思いながら読んでいたら

陽明学者の行徳哲男氏も応援団に加わりました。〜『今後は関わりたくない』と態度を一変させました」とかい記述があり

よ、陽明学者?21世紀に?と思って名前ググったら

日本BE研究所 所長

行徳哲男 (ぎょうとくてつお)

1933年福岡県まれ成蹊大学卒業後、大手財閥企業入社労働運動の激しき時代に衝撃的な労使紛争体験し、「人間とは何か」の求道に開眼。69年渡米、Tグループ出合い米国流の行動科学感受性訓練と、日本の禅や哲学を融合させ「BE訓練(Basic Encounter Training)」を開発。71年日本BE研究所設立し、人間開発・感性ダイナミズムを取り戻す4泊5日間の山中訓練を完成させ、99年に終了するまで、政財界スポーツ界、芸能界など各界のリーダー及びその子弟18000余名が参加する。その影響力は、日本にとどまらず、韓国中国アジア政財界リーダーに及ぶ。現在感性哲学者の芳村思風氏、筑波大学名誉教授村上和雄氏らと共に、シンポジウムを通じて「21 世紀の日本の使命」を担い得る若者たちを育てる夢に賭けている。著書・共著に「いま、感性は力」「いまこそ、感性は力」他、多数。

世の中にわけわからん商売の奴ってなんぼでも居んねんな。

2025-06-24

anond:20250621132424

A:今回の「アジャイルガバナンス」の件も、そうした観点から見直す必要がありそうですね。

B:そう思います。新しい技術への対応は確かに必要ですが、それが法の基本原則を損なうものであってはいけません。慎重な検討必要です。

A:そういえば、「アジャイル」とか「Society5.0」とか、こういう用語ってどこから来ているんでしょうか?

B:それは非常に重要な指摘ですね。これらは元々、IT業界が新しいサービス販売促進を図るために作り出したマーケティング用語なんです。

A:マーケティング用語ですか?

B:そうです。「アジャイル」はソフトウェア開発の手法から始まって、今では「迅速・柔軟・革新的」を表すバズワードとして使われています。「Society5.0」も政府IT企業が共同で打ち出した未来社会ブランディング概念です。

A:つまり商品を売るための言葉法学議論に入り込んでいるということですか?

B:まさにその通りです。私はこれを「法学マーケティング化」と呼んでいます学術的な厳密性よりも、印象的なキャッチフレーズが重視されるようになっている。

A:具体的には、どんなマーケティング手法が使われているんですか?

B:いくつかのパターンがあります。まず「対立構造演出」。「古い法学 vs 新しい法学」という分かりやすい図式を作り上げる。次に「権威付け」。G7合意だとか大学でのシンポジウムだとかを使って、お墨付きがあるように見せかける。

A:なるほど。それに「危機感煽り」もありますね。「対応が遅れると取り残される」みたいな。

B:そうです。そして最も問題なのは、「破壊的変化の演出」です。

A:破壊的変化というと?

B:マーケティング用語の特徴として、「これまでは○○だったが、これからは○○だ!」とか「○○はもう古い!これからは○○の時代だ!」みたいに、変化や断絶を過度に強調する傾向があるんです。

A:確かに、「アップデート」という言葉も、そういう印象を与えますね。

B:まさに。でも法制度の発展というのは、本来もっと地味で着実なものなんです。

A:どういうことですか?

B:法制度は社会の基盤ですから、急激な変化よりも着実な発展を求めるべきなんです。継続性を重視し、長年の経験の蓄積を大切にし、新制度導入前には十分な議論検証を行う。

A:マーケティングとは正反対アプローチですね。

B:そうです。マーケティングは「売る」ことが目的ですが、法制度は「社会を支える」ことが目的です。この根本的な違いを忘れてはいけません。

A:でも、時代の変化に対応することも必要ですよね?

B:もちろんです。ただ、その対応のあり方が問題なんです。既存制度の詳細な分析他国事例の慎重な研究、段階的な制度設計継続的なモニタリング...こういう地味な作業こそが真の改革につながるんです。

A:「パラダイムシフト」とか「ゲームチェンジャー」とかい言葉とは真逆ですね。

B:その通りです。そういう「革命的転換」を演出する言葉は、法学には馴染まないんです。

A:でも、なぜ法学者の方々がこうしたマーケティング用語に惹かれてしまうんでしょうか?

B:いくつか理由があると思います。一つは、研究評価新規性が重視されるようになったこと。地道な基礎研究より、目立つ新概念提示する方が注目されやすい。

A:「売れる」研究をしないと評価されないということですか?

B:そういう面もあるでしょうね。それに、マーケティング用語は響きが良いので、つい使いたくなってしまう。

A:確かに、「アジャイルガバナンス」なんて言われると、なんだか先進的な感じがしますもんね。

B:でも、それこそが罠なんです。内容をよく検討せずに、言葉の響きだけで判断してしまう。

A:そうすると、法学者としての本来の使命を見失ってしまうと。

B:はい。法の安定性や予測可能性を確保し、民主主義人権といった基本的価値を守ること。そのために蓄積されてきた知恵を継承すること。これが法学者の使命なんです。

A:マーケティング的な「新しさ」の追求とは、確かに相容れませんね。

B:そうです。特に今回の「アジャイルガバナンス」のように、民主主義の根幹に関わる問題については、より慎重になるべきです。

A:学術権威政策宣伝に使われないよう、注意が必要ということですね。

B:まさに。法学者は、商業主義的な思考に惑わされることなく、学問独立性を保つ必要があります

A:でも、一般の人には、マーケティング用語の方が分かりやすいという面もありませんか?

B:それは確かにそうです。ただ、分かりやすさと正確性は別の問題です。複雑な法的概念安易単純化してしまうと、かえって誤解を招くことになります

A:なるほど。私たちも、響きの良い言葉に惑わされないよう気をつけないといけませんね。

B:そうです。特に政府から出てくる政策提言については、その背景にあるマーケティング意図も含めて、批判的に検討することが大切です。

A:「新しい」「革新的」という言葉だけで判断するのではなく、中身をしっかり見るということですね。

B:その通りです。そして、その「新しさ」が本当に社会にとって必要ものなのか、従来の価値を損なうものではないのかを、慎重に見極める必要があります

A:今回の対話で、「アジャイルガバナンス」の問題がよく分かりました。ただの新しい政策提案ではなく、法学のもののあり方に関わる深刻な問題なんですね。

B:はい。単に個別政策の良し悪しを論じているのではなく、学問としての法学の在り方、ひいては民主社会の基盤をどう守るかという問題なんです。

A:私たち市民も、もっと関心を持って、しっかりと考えていかないといけませんね。

B:そうです。民主主義私たち一人一人のものですから権威や響きの良い言葉に惑わされることなく、自分の頭で考えることが何より大切だと思います

2025-06-22

anond:20250621132424

まだ「法の支配」で消耗してるの?―アジャイルガバナンスへのアップデートのススメ

800年前のシステム固執する時代は終わった!

みなさん、こんにちは今日は超ホット話題、「アジャイルガバナンス」についてお話します。

まだマグナ・カルタとか言ってる人、いませんか?800年も前の古い紙切れにしがみついてるなんて、ちょっと時代遅れすぎじゃないですか?今は2025年ですよ!

スマホアプリは日々アップデートされるのに、なぜ法制度だけ「伝統」とか言って古いまま放置してるんでしょう?そんなあなたオススメなのが、経済産業省提唱するアジャイルガバナンスです!

アジャイルガバナンスって何?

簡単に言うと、法制度のアップデートです。従来の「法の支配から「<法>の支配」へと進化させる、画期的アプローチなんです。

何がすごいって、アルゴリズムコードも「法」に含めちゃうんです!もう国会時間をかけて法律を作る必要もありません。マルチステークホルダーが集まって、サクッと決められちゃいます民主的でしょ?

しかも、G7でも合意済み!大学でもシンポジウムが開催されています。これはもう世界常識なんです。

「応答責任」で責任アップグレード

従来の責任制度って、結果が出てからあなたのせいです」って責めるだけでしたよね。でもアジャイルガバナンスなら「応答責任」という新しい概念で、事後的に説明すればOK

「賢い失敗」なら許容されるので、イノベーションし放題です。何が「賢い」失敗かは...まあ、その場で決めればいいんじゃないでしょうか?

マルチステークホルダーによる民主的意思決定

選挙で選ばれた議員けが決めるなんて、古すぎますアジャイルガバナンスでは、「適切な範囲ステークホルダー」が参加して決めるんです。

誰が「適切」かは、まあ、その時々で「暫定的画定」すればいいでしょう。重要なのは「熟議」と「対話」です!発言力の大きさ?そんな細かいこと気にしてたら、アジャイルじゃなくなっちゃますよ。

厳格責任ルール効率性もバッチリ

従来の「過失責任」なんて面倒すぎます裁判所がいちいち「注意義務違反があったか」なんて判断するの、時間かかりすぎでしょ?

アジャイルガバナンスなら「厳格責任」で一発解決!もちろん「unknown unknown」のリスクは免責されるので、企業さんも安心です。何が「unknown unknown」かは...企業さんが説明してくれれば、きっと分かりますよね?

データガバナンス効率的な社会

プライバシーが〜」とか言ってる人、まだいるんですか?公的主体必要データアクセスできれば、もっと効率的なガバナンスができるのに。

監視社会になる?そんなの杞憂ですよ。信頼できるデータ流通基盤があれば、みんなハッピーじゃないですか。

法務省内閣法制局知らない子ですね

この素晴らしいアジャイルガバナンス、なぜか法務省内閣法制局は関わってないんです。でも別にいいじゃないですか。古い発想に囚われた人たちに相談したら、「憲法がー」「民主主義がー」とか言われて、アジャイルじゃなくなっちゃますし。

経産省だけで十分です!産業政策専門家法制度を考える時代なんです。

まとめ:時代の流れに乗り遅れるな!

いかがでしたか?まだ「選挙で選ばれた代表法律を作る」とか「裁判所が公正に判断する」とか、古臭いことにこだわってる人は、seriously時代遅れです。

アジャイルガバナンスなら、複雑なことは「専門家」にお任せできるし、面倒な手続きスキップできます。「法の支配」なんて重たい概念は捨てて、軽やかに「<法>の支配」にアップデートしましょう!

みんなでアジャイルガバナンス応援して、時代最先端を走りましょう〜!

anond:20250621145936

A:先ほどからアジャイルガバナンス」の問題について話していましたが、なぜこんな議論法学界で受け入れられているのか不思議です。

B:それは実は、最近日本法学界の変化と関係があるかもしれません。

A:変化というと?

B:かつての日本法学は、伝統的な議論との連続性をとても重視していました。新しい理論を導入するときも、従来の学説とどう整合するかを慎重に検討していた。

A:それって、保守的すぎるということですか?

B:確かにそういう面もありました。新しいアイデアが出にくかったり、権威ある先生意見に若手が従わざるを得なかったり。

A:なるほど。それが最近は変わってきたと。

B:そうです。より自由議論できるようになったし、新しい視点理論積極的に導入されるようになった。これ自体は良いことなんです。

A:でも、何か問題もあるんですか?

B:新規性独創性がとても重視されるようになって、時には伝統的な議論の蓄積が軽視される傾向も見られるんです。

A:具体的には?

B:例えば、「これまでの法学では対応できない」「全く新しいアプローチ必要」といった主張が、十分な検証なしに受け入れられやすくなっている面があります

A:それって、自然科学の影響ですか?新しい理論が古い理論を置き換えるような。

B:その通りです。他の社会科学の影響もあるでしょうね。でも法学は少し特殊なんです。

A:どう特殊なんですか?

B:法学では、新しい理論で古い理論を完全に置き換えるというより、蓄積された知恵を継承しながら発展させることが重要なんです。

A:なぜですか?

B:法的概念が頻繁に変わると、法の安定性や予測可能性が損なわれてしまます。それに、長い間使われてきた概念には、歴史的経験が込められていることが多いんです。

A:なるほど。「法の支配」みたいに。

B:まさにそうです。800年以上の歴史がある概念を軽々に「アップデート」していいものか、もっと慎重に考える必要があります

A:でも、時代に合わせて変化することも必要ですよね?

B:もちろんです。ただ、何を変えて何を変えないか判断重要なんです。根本的な価値原則継承しながら、具体的な制度運用改善していく。

A:そのバランスが難しいということですね。

B:そうです。そして、最近は「新しいから良い」という発想が強くなりすぎている面があるように思います

A:それが「アジャイルガバナンス」のような議論につながっていると?

B:一因になっている可能性はあります。新奇な概念や横文字理論に対して、批判的に検討する前に「新しくて進歩的」という印象で受け入れてしまう。

A:でも、研究者の方々はもっと慎重じゃないんですか?

B:本来はそうあるべきなんですが...。最近研究評価でも新規性独創性が重視されるようになっていて、そのプレッシャーもあるかもしれません。

A:つまり、目立つ研究をしないと評価されないと。

B:そういう面もあるでしょうね。従来の議論を丁寧に検討する地道な研究より、新しい概念提示する方が注目されやすい。

A:それって、研究質的には問題ですよね。

B:はい特に法学では、基礎的な概念原則についての深い理解が不可欠です。それがないまま新しい理論を導入すると、土台のない建物のようになってしまう。

A:でも、若手の研究者にとっては、新しいことをやりたいという気持ちもあるでしょうし...

B:それは当然のことです。問題は、新しさと伝統価値継承をどうバランスさせるかなんです。

A:そういえば、シンポジウムとかで「アジャイルガバナンス」が議論されているという話もありましたね。

B:ああ、それも問題の一つかもしれません。大学でのシンポジウム研究会で取り上げられることで、学術的に認められた議論という印象が作られてしまう。

A:でも、議論すること自体は悪いことじゃないですよね?

B:もちろんです。ただ、批判検討が十分なされているか重要なんです。新しい概念を紹介するだけで終わってしまうと、結果的にその概念お墨付きを与えることになりかねない。

A:なるほど。学術権威政策宣伝に使われてしま可能性があると。

B:そうです。特に政府機関提唱している政策については、学術機関は慎重な距離を保つべきだと思います

A:でも、社会に貢献したいという気持ちもあるでしょうし...

B:それも大切なことです。ただ、学術議論政策提言区別して考えるべきでしょうね。

A:どういうことですか?

B:学術的には「こういう理論可能性がある」ということと、政策的に「実際に導入すべき」ということは全く別の問題です。

A:確かに理論的に面白くても、実際に導入するには問題があるということもありそうですね。

B:その通りです。特に憲法民主主義の根幹に関わることについては、より慎重さが求められます

A:じゃあ、私たちはどうやって判断すればいいんでしょうか?

B:まず、その議論が本当に学術検証を経ているかを見ることです。批判的な検討も含めて、多角的議論されているか

A:一方的宣伝ではなく、ちゃんとした学術議論かということですね。

B:そうです。そして、新しい理論提示されたときは、それが従来の価値原則とどう関係するのかを確認することも大切です。

A:伝統的な議論との連続性があるかということですね。

B:まさに。完全に断絶した新理論は、法学においては特に注意が必要です。

A:分かりました。でも、研究者の方々にも気をつけてもらいたいことがありますね。

B:おっしゃる通りです。新規性の追求も大切ですが、法学基本的な使命を忘れてはいけません。

A:基本的な使命というと?

B:法の安定性や予測可能性を確保し、民主主義人権といった基本的価値を守ること。そのために蓄積されてきた知恵を継承することも重要役割です。

A:新しいことをやりつつ、大切なものは守るということですね。

B:そうです。そして、政策提言については特に慎重になる。学術権威政策宣伝に使われないよう注意することも必要でしょう。

A:研究者社会的責任ということですね。

B:はい特に法学者は、民主主義社会の基盤に関わる重要役割を担っているのですから

A:今回の「アジャイルガバナンス」の件も、そうした観点から見直す必要がありそうですね。

B:そう思います。新しい技術への対応は確かに必要ですが、それが法の基本原則を損なうものであってはいけません。慎重な検討必要です。

2025-06-21

anond:20250621142728

A:そういえば、法律関係雑誌ウェブサイトで、この「アジャイルガバナンス」について紹介している記事をいくつか見かけました。

B:ああ、それもまた経産省の狙い通りなんです。

A:どういうことですか?

B:ビジネス法務世界には独特の文化があるんです。弁護士企業法務部員は、常に最新の政策動向に精通していることをアピールしようとする。

A:それって悪いことなんですか?

B:本来は良いことです。でも問題は、「最新であること」と「正しいこと」を混同してしまいがちなことなんです。

A:なるほど...。

B:政府から新しい政策が発表されると、まず「いち早くキャッチアップして紹介する」ことが重視される。内容の批判検討二の次になってしまう。

A:確かに、「最新動向をいち早くお伝えします」みたいな記事、よく見ますね。

B:そうです。そして、そういう記事を書く人たちも、必ずしも憲法学法哲学専門家ではない。ビジネス実務の専門家なんです。

A:だから、「法の支配」を根本から変えることの問題性に気づかない可能性があると。

B:その通りです。彼らの関心は「この新制度は実務にどう影響するか」「クライアントにどう説明するか」といったことで、制度理論的基盤はあまり問わない。

A:でも、それって経産省にとっては都合がいいですね。

B:まさに。無批判な「情報拡散装置」として機能してしまう。しかも、法律専門家が紹介しているので、一般の人には権威ある情報に見える。

A:なるほど。「弁護士が紹介しているから正しいんだろう」と思っちゃいますね。

B:でも実際には、その弁護士政策の内容を深く検討しているわけではなく、単に「最新情報」として紹介しているだけかもしれない。

A:それって、意図しない「お墨付き」を与えてしまうということですね。

B:そうです。そして、こうした記事が増えることで「業界では注目されている話題」という雰囲気が作られていく。

A:雪だるま式権威が積み上がっていくわけですね。

B:まさに。「G7合意された」「大学シンポジウムが開催された」「法律雑誌特集された」「著名な弁護士解説している」...どんどん箔が付いていく。

A:でも、肝心の中身の検証は誰もしていないと。

B:そういうことです。みんな「他の人が検証しているだろう」と思い込んでいる。

A:怖いですね。誰も責任を持って検討していないのに、権威けが一人歩きしていく。

B:これは現代情報社会の大きな問題の一つです。情報拡散速度が速すぎて、検証が追いつかない。

A:じゃあ、私たち法律専門家記事を読むときは、どんなことに注意すればいいでしょうか?

B:まず、その記事が「紹介」なのか「検証」なのかを見分けることです。

A:どう見分けるんですか?

B:「紹介」記事は、政策の内容をそのまま説明するだけで、問題点や懸念点についてはあまり触れません。「検証記事は、批判的な視点も含めて多角的検討します。

A:なるほど。批判的な視点があるかどうかがポイントですね。

B:そうです。そして、その専門家がどの分野の専門家なのかも重要です。

A:例えば?

B:企業法務専門家憲法問題について語る場合と、憲法学者が語る場合では、専門性レベルが全く違います

A:確かに医者でも、外科医内科病気について語るのと、内科医が語るのでは違いますもんね。

B:まさにそういうことです。法律も専門分化が進んでいるので、分野外のことについては必ずしも詳しくない場合があります

A:でも、一般の人にはその違いは分からないですよね。

B:だからこそ注意が必要なんです。「法律専門家」という肩書きだけで判断せず、その人がどの分野の専門家なのかを確認する。

A:そして、できれば複数専門家意見を聞いてみると。

B:その通りです。特に、異なる立場や分野の専門家意見比較することが大切です。

A:分かりました。今度から法律記事を読むときは、「これは紹介記事検証記事か」「この人はこの分野の専門家か」「他の専門家はどう言っているか」を確認してみます

B:それが一番大切です。権威に頼らず、自分で考える習慣を身につけることが、民主主義を守ることにつながるのです。

A:そして、「最新だから正しい」という思い込みにも注意しないといけませんね。

B:その通りです。本当に価値のあるものは、時の試練に耐えて残っていくものです。「法の支配」のように。

anond:20250621141133

A:今のお話を聞いていて思ったんですが、経産省のやり方って一貫したパターンがありますね。

B:というと?

A:権威付けに使えるものは何でも使う。G7合意大学でのシンポジウム海外の事例...。でも、肝心の中身については正面から議論しようとしない。

B:まさにその通りです。特に、反対意見を言いそうな専門機関は徹底的に避けている。

A:法務省とか内閣法制局とかですね。

B:そうです。本来なら最初相談すべき相手なのに、完全にスルーしている。これは偶然じゃありませんね。

A:意図的だということですか?

B:間違いなく意図的でしょう。彼らも馬鹿じゃないですから法務省相談したら厳しい指摘を受けることは分かっているはずです。

A:だから最初から相談しないで、既成事実を作ろうとしていると。

B:その通りです。「G7合意された」「大学シンポジウムが開催された」「国際的な流れだ」という外堀を埋めてから、「もう決まったこと」として押し切ろうとしている。

A:でも、そういうやり方って、政策によっては許されることもあるんじゃないですか?

B:確かに。例えば「クールビズを推進しましょう」みたいな話なら、そこまで厳密な手続き必要いかもしれません。

A:軽微な政策だったら、多少の雰囲気作りがあってもいいと。

B:そうです。でも今回は違います。「法の支配」という統治根本原則を変えようとしているんです。

A:確かに全然レベルが違いますね。

B:憲法民主主義の基盤に関わることを、クールビズと同じような軽いノリで進めるなんて、とんでもないことです。

A:本来なら、もっと慎重で厳格な手続き必要だということですね。

B:当然です。憲法学者行政法学者政治学者法哲学者...あらゆる分野の専門家との徹底的な議論必要なはずです。

A:それに、国会での議論必要でしょうし。

B:もちろんです。国民代表である議員が、十分に審議する必要があります。ところが、そういう正統な手続きは全部すっ飛ばして、雰囲気だけで押し切ろうとしている。

A:つまり手続きの軽重を完全に取り違えているということですね。

B:まさにそうです。重要度の判断根本的に狂っている。服装の話と憲法の話を同列に扱っているようなものです。

A:でも、なぜそんなことをするんでしょうか?まともに議論したら勝ち目がないからですか?

B:それもあるでしょうね。でももっと根本的には、彼ら自身問題重要性を理解していない可能性があります

A:え?

B:法の支配がどれだけ重要概念なのか、それを変えることがどれだけ重大なことなのか、本当に分かっているのか疑問です。

A:なるほど...。軽く考えているからこそ、軽い手続きで進めようとしていると。

B:そうです。もし本当に理解していたら、こんな軽薄な手法は取れないはずです。

A:でも、それって逆に怖いですね。重要なことを重要だと認識できないまま、政策を進めてしまうわけですから

B:まさに。無知ゆえの暴走という、最も危険パターンです。

A:悪意があるなら まだ対処のしようもありますが、無知だと...

B:相手自分無知認識していない場合、説得するのは非常に困難です。

A:しかも、彼らは自分たちが「先進的」で「革新的」だと思い込んでいるわけですしね。

B:そこが一番厄介な点です。批判されても「理解不足」「時代遅れ」として片付けてしまう。

A:じゃあ、私たちはどうすればいいんでしょうか?

B:まず、このような不適切政策手法を広く知らせることです。内容だけでなく、プロセス問題も明確にする。

A:プロセス問題というと?

B:重要政策変更なのに、適切な専門機関との調整をしていない。国会での議論もない。雰囲気作りだけで押し切ろうとしている。そういう手続き上の問題点です。

A:確かに、それなら専門知識がなくても分かりますね。

B:そうです。「中身が難しくて分からない」という人でも、「ちゃんとした手続きを踏んでいない」ということは理解できます

A:なるほど。内容面とプロセス面、両方から問題を指摘していくということですね。

B:その通りです。そして、民主主義においては適正なプロセスいか重要かを、改めて確認することも大切です。

A:結果だけでなく、そこに至る過程重要だということですね。

B:まさに。どんなに「良い」政策でも、民主的でない手続きで決められたもの正統性を持ちません。ましてや、内容にも問題があるとなれば...

A:論外だということですね。

B:はい。だからこそ、私たちは声を上げ続ける必要があるんです。適切な議論手続きを求めて。

2025-06-20

anond:20250620180805

武庫川女子大学兵庫県西宮市)が環境共生学部を新設するのを記念したシンポジウム地球がよろこぶ明日をつくる―環境共生という約束―」が21日、同大学であった。

人気グループTOKIO」の国分太一さんが特別講演し、環境を考えるようになった体験を語り、約2000人が聞き入った。

女子大生に手を出したんだな・・・・。

こりゃプライバシー問題で何も言えんわ。

2025-06-17

生成AI哲学を「根本から」変えたのか――

結論から先に

生成AI哲学のものの基盤を覆すまでには至っていないものの、

1. 研究方法、2) 問いの優先順位、3) 社会が抱く「哲学観」

――この三層において急速かつ不可逆的な変容をもたらしつつあります

1. 方法論的インパクト ── “共著者”としてのAI

2. 新たに浮上した哲学論点

領域 生成AIが投げかけた核心的問い 代表的議論・動向
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心の哲学言語モデル意識は宿り得るか」 Nature Humanities & Social Sciences の最新論文は**「可能条件の地図」**を作成し、意識判定基準の再定義提案しています
認識論意味統計的相関から「浮上」しうるのか 2024年デカルト講演では**「理解なき理解」**問題を中心に討論が行われました。
倫理学価値人間中心主義”を前提とする倫理枠組みの限界サンフランシスコシンポジウムでは**「宇宙的アラインメント」**思想提唱され、人類優先から価値多元主義視点拡張されています
教育哲学オーセンティシティはどう測るべきか オハイオ州立大学の報告では**「課題設計のものメタ倫理判断になる」**と指摘されています

3. 社会認識の変容

4. しかし「根本的転換」には二つの保留条件がある

5. 展望20 世紀の「言語論的転回」に匹敵するか?

まとめ

生成AIは、哲学方法と射程を拡張し、社会哲学観を塗り替えつつある。

しか哲学のものの“土台”を置き換えたわけではなく、むしろ次の土台がどのように築かれるかをめぐる新たなメタ議論私たちを招き入れた。

2025-06-10

日本学術会議本当さっさと解体してどうぞ

文系大事じゃないからじゃない

寧ろ人文系だって学問として必要不可欠

文系だろうが理数系だろうが研究者のくせに科学的根拠もない論説垂れ流して必要な時はダンマリでクソみたいな時だけ声のでかい組織

何が学問自由だ何が政治介入

任命から外れた奴らも無駄に粘ってるけど金が欲しいだけだろアレ

学問のためとか叫ぶなら国の金じゃなくて自分達の金で組織作って機能させりゃ国に口出されることもなく自由活動できるだろうに

何の研究成果も出さずにやれシンポジウムだやれデモだってお前らが一番研究世界無駄だわ

科研費からそんな支出ができる時点でおかしいんだが科研費は応募時の支出と実際の支出名目が全く違っても理由が立てば問題ないっていうシステムが混ざってるから

座り込みしてる暇があるなら研究しろ

科学的に反論しろ

あんな連中と一緒にされたくないんだわ

日本の役に立つどころか足を引っ張る研究者組織なんか不要だわ

っていう1人の研究者の呟き

2025-05-14

anond:20250514184455

ChatGTPを根拠にするならDeepResearchか、せめてo3+Web検索くらいは使って欲しい。

今回はo3+Web検索なので出典URLは最小限に留められたが、DeepResearchであればURL付きで出典リストまで示してくれる。

ご存じの通りURL無しの出典リストはあてにならない。

Prompt:以下の投稿ファクトチェックをお願い。根拠となる資料リンクを必ず含めて。出典が示されていないWebページの記述無視すること。■[元増田コピペ]

o3+Web検索出力:

思考時間3分56秒

以下では 「刑務所の年間コストいくらか」「生活保護の年間コストいくらか」 を、公開されている一次資料公的統計に基づいて検証し、投稿内の数値( 「刑務所 300〜400 万円」「生活保護 100〜150 万円」 )と照合します。結論を先にまとめると――

最新の国の支出規模を用いて試算すると、

刑務所矯正施設)… 1人あたり約 4.7 〜 5.0 百万円/年

生活保護国庫分のみ)… 1人あたり約 1.8 百万円/年

生活保護(国+自治体)… 1人あたり約 2.4 百万円/年

したがって、投稿の「刑務所 300〜400 万円」「生活保護 100〜150 万円」という値は どちらも過少 であり、「刑務所の方が高い」という方向性は正しいものの、差額は投稿が示すより小さい ことが分かります

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## 1. 刑務所矯正施設コスト

項目 最新データ 出典
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刑事施設関係予算2022年度) 1,977 億円 法務省矯正パンフレット
年末受刑者人員2022年末) 35,843 人(受刑者)/41,541 人(被収容者計) 『令和5年版 犯罪白書

### 年間コストの試算

1,977 億円 ÷ 41,541 人 ≒ 4.76 百万円/人・年

受刑者だけで割ると 5.52 百万円/人・年)

* この額には職員給与施設維持費・医療費等が含まれる。

* 参考までに、法務省資料には “生活費分” として 1人 1日 2,179 円 という数値(年換算 約 80 万円)も併記されているが、これは食費などの「直接費」だけで、職員人件費等は別。

* 研究・講演資料では「年間 300〜320 万円」という引用もしばしば見られるが、それらは上記の直接費部分だけを抜き出して概算した値であることが、国会図書館レファレンス日立財団講演資料 ([hitachi-zaidan.org][1]) でも確認できる。

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## 2. 生活保護コスト

項目 最新データ 出典
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生活保護国庫負担金(2022・令和4年度当初) 約 3.7 兆円(国が3/4負担厚生労働省資料
保護人員2022年度月平均) 2,024,586 人 厚生労働省被保護者調査

### 年間コストの試算

負担分 3.7 兆円 ÷ 2.02 百万人 ≒ 1.83 百万円/人・年

国が3/4、自治体が1/4を負担するため、総事業ベース では

3.7 兆円 ÷0.75 ≒ 4.93 兆円 → 2.44 百万円/人・年

- 県資料でも「1世帯あたり年間2,063 千円(月額17.2 万円)」という実績値が報告されている 。

- 単身高齢者現金給付部分(生活扶助住宅扶助)は概ね月7〜9万円(年80〜110万円)だが、医療扶助が平均でほぼ同額上乗せされるため、現金給付額だけで全体コストを論じるのは不完全。具体的な扶助基準例は厚労省Q\&A や各労働局資料確認できる。

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## 3. 比較評価

区分投稿公的データによる試算
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刑務所コスト 300〜400 万円 約 470〜550 万円(全額)
生活保護コスト100〜150 万円 約 180 万円(国負担のみ)〜 240 万円(国+自治体

方向性 : 刑務所の方が高コストである点は事実

規模感 : 最新の統計を用いると、刑務所 : 生活保護=約2 : 1。投稿の「約3 : 1〜4 : 1」は過大。

原因 : 刑務所側は人件費施設費が大きく、生活保護側は医療扶助コストの約半分を占める。直接給付だけを比較すると差が開き過ぎるので注意が必要

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## 4. 信頼できる情報の探し方

1. 刑務所コスト法務省矯正局の予算資料犯罪白書に集約されている。

2. 生活保護コスト厚生労働省生活保護負担金(予算)」と「被保護者調査(実績)」を組み合わせると1人あたり金額計算できる。

3. 二次情報個人ブログ等)は、公的統計のどの部分を引用しているか必ず確認する。出典の無い記述エビデンスとして用いない。

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### 主要出典リスト(順不同)

1. 法務省矯正局『刑事施設関係予算概要』(2022年度)

2. 法務省『令和5年版 犯罪白書収容人員統計

3. 法務省『令和2年版 犯罪白書』直接経費

4. 国立国会図書館レファレンス刑務所コスト

5. 日立財団シンポジウム資料 ([hitachi-zaidan.org][1])

6. 厚生労働省生活保護制度の現状について』(3.7 兆円)

7. 厚生労働省被保護者調査(令和4年度確定値)』

8. 沖縄県資料生活保護費の実態」(世帯年額 2,063 千円)

9. 厚労省Q&A基準例を紹介するサイト基準額表付き)

10. 鹿児島労働局資料最低賃金生活保護比較」(扶助基準

11. 犯罪白書(食費543円/日の預算額

12. e-Stat 刑事施設一日平均収容人員

13. 厚生労働省 医療扶助適正化資料医療扶助が半分)

14. Kagoshima労働局資料(令和5年度比較

15. 朝日新聞記事生活扶助基準検証

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### まとめ

刑務所生活保護ともに投稿金額実態より低い。

最新データでは 刑務所生活保護の約2倍 の公費負担

単純な「現金支給額」だけではなく、医療扶助人件費 を含めた総額で比較するのが必須である

[1]: https://www.hitachi-zaidan.org/mirai/01/symposium/presentation02-03.html "高齢者犯罪における加害と被害 - 日立財団"

2025-05-13

どうして私は日本哲学会が好きになれないのか

私は日本哲学会という学会所属しているが、率直に言って、この学会には多くの不満がある。とくに大会における一般発表の扱いや運営姿勢については、長らく問題意識を抱いてきた。以下は、そのような日本哲学会に対する私的批判提案をまとめたものである

1. 一般発表の扱いがあまりに軽視されている

これが最大の問題である。たとえば、2023年度に早稲田大学で開催された大会プログラムを見てみよう。

https://philosophy-japan.org/wpdata/wp-content/uploads/2023/05/7edb16c626cb708b17bfb11dec3bfa0b.pdf

午前中には、8つの教室一般発表が並行開催されていたが、その裏で国際ワークショップも行われていた。午後の一般発表は5教室での並行開催であった。アメリカのAPAやオーストラリアのAAPといった代表的学会では、より多くの一般発表が並行して行われるため、日本哲学会の並行数そのものは決して多いとは言えない。

問題は、そもそも一般発表の件数が限られているにもかかわらず、それらが必要以上に多くの会場で、短時間に並行して行われているという点にある。大会自体は土・日の2日間あるのだから、せいぜい4会場程度の同時進行とすることもできるはずだ。日本哲学会は、さほど多くない若手の一般発表をわざわざ短時間に詰め込み、複数会場で一挙に処理しているように見える。

なぜそのようなプログラム編成をしているのか。実際のプログラムを見ると、日本哲学会の大会時間の多くが学会主導のシンポジウムや学協会シンポジウムといったイベントに割かれている。つまり、若手研究者を中心とする一般発表よりも、シンポジウムなどを優先しているのである。このような運営は、学術知の共有や若手研究者の育成という観点から見て、極めて問題がある。

学会は、新たな研究の共有、ネットワーキング、そして若手研究者が「顔を売る」場を提供するという重要役割を担っている。大学研究機関での職を目指す院生ポスドクにとって、学会は貴重なアピールの機会であるしかし、現行のように一般発表を短時間かつ多会場で並行開催するとなれば、聴衆が分散し、研究を多くの人に届ける機会が失われる。聴講可能な発表数も限られ、学術知の共有という観点からも望ましくない。

海外学会では、シンポジウム一定時間を割くことはあっても、一般発表をここまでないがしろにする構成ほとんど見たことがない。端的にいって、日本哲学会の大会学会企画イベント時間を割きすぎている。また、シンポジウムワークショップ特定トピックに関心がある人に向けたイベントなのだから、聴衆が集まりやすい午後の時間帯ではなく、むしろ朝一番など参加者が少ない時間帯に配置すべきではないか

ちなみに、2024年度の立正大学大会でもこの傾向は変わっていない。

https://philosophy-japan.org/wpdata/wp-content/uploads/2025/04/5ff3f7b507e8068042523b2c0a431247.pdf

土曜の朝から8会場での並行発表が行われる一方、午後には単一会場で3時間にわたるシンポジウムが開催される。さらに日曜には、朝一番から一般発表と【若手支援ワークショップ】が並行して行われている。若手研究者に関心を持つ参加者が両方に出席できないような設計には、配慮が欠けていると言わざるを得ない。

2. 発表募集(CFP)への消極性

日本哲学会は、大会でも学会誌でも、CFP(発表募集)をメール等で積極的に周知していない。毎年、同じ時期に申し込み締切を設定しているため、「わかる人は勝手に応募してくれるだろう」と考えているのかもしれないが、それでは外部からは閉鎖的に映る。

日本代表する哲学学会であるにもかかわらず、一般発表の件数は極端に少ない。もし財政的に厳しい状況にあるのだとすれば、なおのこと、発表者や論文投稿者積極的に募るべきではないか。より多くの人にとってアクセスやす学会にする努力が、今の日本哲学会には不足しているように思う。

3. 提案

学会主導のワークショップシンポジウムは縮小し、一般発表により多くの時間を割くべきである

一般発表は聴衆が少ない朝一番ではなく、より人が集まりやす時間帯に配置すべきである

CFP(発表募集)はメール等で広く周知し、より開かれた運営を心がけてほしい。

以上が、日本哲学会に対する私見である。なお、こうした一般発表の軽視は、日本倫理学会など他の哲学学会にも共通して見られる傾向であり、その意味で私は日本倫理学会にも同様の不満を持っている。「共通課題」などという制度も、早々に見直されるべきだと思う。

2024-12-18

2024年に読んで良かった6冊の本

anond:20241217085132

読書メモの整理のために便乗。今年の読書文芸短歌仕事の専門書(ソフトウェア開発)が中心だった。

6冊を良かった順で挙げる。

大江健三郎大江健三郎自選短篇』(2014年

本書の長所最初短編から晩年短編までを収録しており年代による作風の変遷をたどれること。

ダントツに良いのは「雨の木」の連作ストーリーは「雨の木」というシンボル高安カッチャンという重要人物の周縁をぐるぐるし続け、いつまでも核心に踏み込まないため、最初は要旨をつかめない。しかし読み進めるにつれその構成多角的な視座を提供するための仕掛けだとわかる。短編であるにもかかわらず印象が何度も覆され、様々な味わいがある。

小説物語意図最初は分からいくらいが丁度いい、というようなことを三島由紀夫が何かに書いていたが、全くその通りである構成や内容が三島由紀夫豊饒の海」と少し似ている。豊饒の海は松枝清顕(早逝した親友)の生まれ変わり(と推測される人物たち)を数十年追い続ける物語で、ラストシーンでは清顕の存在自体が薄らぎ核心にぽっかり穴があく構成なのだが、大江健三郎「雨の木」もシンボルの雨の木の周縁をさんざんなぞった結末として木自体がほぼ焼失してしまう。「豊饒の海」は仏教死生観や死者に対する忘却根底に据えられているのと同じく、「雨の木」も死生観忘却(作中ではoblivion表現される)が重要テーマであるテーマに対するアンサーは正反対だが。なお先に書かれたのは「豊饒の海」。

物語の道具立てとして海外大学におけるシンポジウム海外作家引用原爆問題があり、衒学的な雰囲気を作っている点もわたしの好み。

「奇妙な仕事」などの最初短編はさすがに時代を感じる。「セヴンティーン」は発表当時右翼団体から脅迫を受けるなどかなり真剣に世の中に受け止められたようだが、令和の目線ではカリカチュアライズが激しく、大江健三郎絶対ゲラゲラ笑いながら描いただろうというノリの良さが全編にみなぎっている。また当時は右翼に対する攻撃という見方大勢だったようだが、左翼側の非論理性も指摘する内容のため、私の感覚では左翼小説と思わない。

最後の「火をめぐらす鳥」は大江健三郎流の引用の繰り返しや観念世界に入り込む構成といったスタイルを貫きつつも、おそらく意図的に情報量を落としており、ゆとりと円熟を感じさせる。

佐々木正美『子どもへのまなざし』(1998年

乳幼児育児の心構えを説く名著。以下は印象に残ったポイント

今年は家事育児ワンオペ + フルタイム勤務に忙殺され、子供への対応が雑になっていることを自覚しつつも改善策を見出せない期間が年末近くまで続き苦しかったが、本書の心構えを持っておくことで自信をもって育児ができるようになった。

夏目漱石私の個人主義」(講演1914年、底本1998年

夏目漱石1914年学習院で行った講演録。青空文庫で読んだ。https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/772_33100.html

ごく短く、読むのに30分もかからないが、内容はキャリア論、社会思想フェミニズムにまでわたる。

キャリア論の概略は以下の通り。

どこかに突き抜けたくても突き抜けられず、何かを掴みたくも掴めておらず悩んでいる者は、どこに進めばよいかからない以上、何かにぶつかるまで進む他ない。自らの個性で行けるところまで行ってツルハシで何かを掘り当てれば、自分なりに道を作ってきたことに安心と自信が生まれる。反対に、行けるところまで行かないかぎり、悩みと不愉快が一生ついて回る。

昨今は会社員主体的キャリア開発が求められる一方で、異動を会社の都合で命じられたり、顧客への責任第一に優先すべきという考えもあり、主体性を発揮してばかりいられないという板挟みを感じていた。しかし「私の個人主義」を読みとりあえず行けるところまで行くしかないと開き直ることができた。

社会思想については、自らの個性尊重すると同時に他者尊重しなければならないとか、裕福な人間は相応の責任を負うべきだ、など。

岡野大嗣『うれしい近況』(2023年

岡野大嗣の歌集まり短歌がたくさん載っている本。

いわゆる秀歌、つまり散文と異なる詩的な文体で、細部の描写を通じ、多層的な意味表現する、という歌ではないものが多いが、わたしは好き。岡野大嗣の中ではいまのところこれがベスト歌集

ボーカルの話すうれしい近況のうれしいピークで鳴るハイハット

ライブの楽しさが伝わる。ドラマーボーカルトークに関心を持ってきちんと聞いておりハイハットで反応してあげるという仲の良さがほほえましい。

どの店もゆかいな高低差の街でみるみる減っていく体力だ

高低差、という単語発見したのがこの歌の成果だと思う。坂が多くておしゃれな店ばかりの街で、ついつい歩きすぎて疲れてしまたことの充実感が歌われている。

ぼろ負けのオセロぜんぜん悔しくない広いソファーに変なあぐらで

オセロ相手との関係性を想像させる表現が巧み。"広いソファー"もゆとりある生活を感じさせ心地よい。

冬目景百木田家の古書暮らし』1~5(2022年2024年

漫画

冬目景は遅筆だが近年は順調に出してくれていることに、まず安心する。

冬目景恋愛モノが多く、登場人物たちがうじうじ悩みながら自分意志で一歩を踏み出していく様子を丹念に描いていることが、本作に限らない多くの作品の特徴。本作も登場人物おっかなびっくり、逡巡しながら実に遅々たるペースで接近してゆく。時には後退することもある。しか自分意志で進むからこそ人間味があり、納得感がある。

たこれも冬目景作品共通の特徴だが、登場人物基本的に善人ばかりであるものの皆わりと淡白コミュニケーションが暑苦しくないところに品の良さがある。

そして最大のポイントとして絵がわたしの好み。

劉慈欣『流浪地球』(2024年

中国SF短編集。「中国太陽」が最良。「良いSF未来技術ではなく技術がもたらす新たな社会を描く」ということをアシモフ小松左京高千穂遥あたりの誰かが言っていたが、その好例。SFなのに人生の苦労と発展にフォーカスしておりすごくウェット。

『三体』はまだ読んでいないが読むべきかな。

2024-12-08

統合失調症話題になると、どうも最初から統合失調症という病名だったかのように歴史修正する人ばかりで嫌になるんだよな。

統合失調症という名前になってから差別され蔑視されているけれど、昔はその比じゃないくらいに酷かったんだよ。

患者やその親族受診拒否理由の一つとして、病名による心理的忌避感情は大きい。

https://www.jspn.or.jp/modules/advocacy/index.php?content_id=58

今回の呼称変更は、全国精神障害者家族連合会日本精神神経学会にその変更を要望したのが契機となった。1993年のことで、「精神が分裂する病気」というのはあまり人格否定的であって本人にも告げにくい、変えて欲しいという主旨であった。同学会1995年に小委員会でこの問題を取り上げ、翌年に「Schizophreniaの訳語歴史」1)をまとめた。そのなかで、schizophreniaを訳出する時に「その訳語当事者にとって社会的な不利をもたらさない」を原則に加えることや、「病」ではなく「症状群」であることを指摘した。その後、「精神分裂病」という病名自体当事者社会参加を阻んでいる可能性に注目し、その侵襲性と病名変更の必要性について調査を始めた。学会員、評議員当事者へのアンケート調査、総会におけるシンポジウム札幌、1996;宜野湾、1998)やワークショップ仙台、2000)を行うとともに、仙台総会の会長講演「精神分裂病はどこまでわかったか」2)では近年の精神医学進歩に基づいて「精神分裂病」概念見直して、発症脆弱性でこの病気規定する医学概念医療に応用することは回復者の余生に深刻な不利益を生じるので危険であり、医療には臨床症状群で規定した疾病概念使用すべきことを提唱した。こうした経緯を経て委員会では呼称変更に関する中間報告を1999年作成し、それを理事会に報告した。2000年に発足した新理事会ではこの問題を重視し、呼称変更のための特別委員会と拡大特別委員会を設置した。その後、家族アンケート一般市民から意見募集公聴会などを行い、新しい呼称候補を3つに絞った。2001年7月よりこの呼称候補3つに関するアンケート実施し、同委員会2002年1月理事会に「統合失調症」への呼称変更を提案し、理事会承認し、6月評議員会でこれを議決し、同年8月の総会で正式に決定した。

2024-12-07

上司「そうやって何もかも私のためだって嘘をつくのはやめてよ!」

上司「そんなに残業したのも、年休とって大学行ったのも、学会で受賞したのも、研究所から勧誘を受けたのも、全部が私のためだっていうの?!

私はそんなこと一度だってお願いしてない!」

増田「っ!」

上司「ねえ、覚えてる?私が増田君にお願いしたこと?」

増田「お、俺は…!」

上司「私は増田君に、部下と一緒に担当業務やってってお願いしたの。

これ以上残業したら大変なことになるから

残業しないでってお願いしたの」

増田「言うことを聞かなかったのは、悪かったと思ってる。

でも違う!違うんだよ!俺は…俺のためになんかじゃなくて…

課長は…俺を…評価くれない…のか?」

上司評価したいよ。私は増田君を評価したい。

評価したいのに…

評価させてくれなかったのは…増田君の方じゃない?!

話は早めに私に通してって言ったのに…!

それを全部簡単に破り捨てて

国際シンポジウムにまで申し込んじゃったのは増田じゃない?!

私との約束守ってくれないのに、それでも自分のことは評価して欲しいって

そんなのこと言われたって出来ない!出来ないよ!!」

増田「くっ!」

上司「ねぇ、増田

どうして増田はそんなに仕事しようとするの?」

増田「我が社が俺を助けてくれたからだ…」

上司「我が社が…増田を?」

増田「そうだよ

我が社が俺にしてくれたことが、

どれだけ俺の救いになってくれたかからない。」

上司「わからないよ…増田…」

増田「わからないのも仕方ない…!でも本当だ!俺は我が社に救われた!

から俺がしていることは救われた世界への恩返しで―!」

上司「わからないって言ってるの!!!

増田「わからいかもしれないけど、それでも聞いてくれ!

本当の話なんだよ!

俺は我が社に、この世界に来て初めて我が社に―」

増田「くっ」

上司「また、何も言ってくれないよね…」

増田「どうして分かってくれないんだよ…

俺は…上司なら…課長ならわかってくれるって…思って…」

上司「言ってくれなきゃ、わからないよ、増田…」

増田「…俺の…」

増田「これまで全部…俺のおかげで、どうにかなってきただろう?!

クソみたいな機器導入してクソみたいな結果しか得られなかったクソデータから有意義情報を取り出した!

体張った!全部、本社担当がやらなかったから!

現場でのことだってそうだ!俺がいたからどうにかなった!言われたことすらやらない奴言ってないことする奴やることなすこと全部間違える奴みんなまとめながら仕事振ってケツ持って育てながら始末書解決策もルーチンも全部こなした!

俺がいなけりゃもっとひどいことになってた!

全部全部全部!みんな俺が!俺がいたおかげだ!

お前は俺に貸し切れないだけの借りがあるはずだ!!!」【息切れる】

上司「そう…よね…

増田はすごい、いっぱい、たくさんの業績があるから…」

増田あぁ!そうだよ!だから俺は!」

上司「だからそれを計画性に難ありとして全部返して…

終わりにしましょう…」

査定-1「…!」

上司「もういいよ、増田

私ね…期待…してたの

ひょっとしたら、増田業務を…

増田だけは業務をきちんとこなしてくれるんじゃないかなって…

他の…普通の優秀な人と同じように、淡々と目の前の業務をこなしてくれるんじゃないかって…」

増田「そんなのムリだ…

そんなことしてりゃ、本当に必要データもとれなければ我が社の目標も達成できない、いちいち許可取ろうとしたから一ヶ月も放置されて結局自費で数十万出して諸々やってんだいちいち課長が俺が聞いてないからって本社から仕事依頼すら弾かないでくれよそうだよそりゃ本社所掌業務だよでも本社の奴らにこなす能力がないんだよ責任もおいたがらねぇんだよだから仕方ないんだよこの辺境ペーペー責任なすりつけながらでもそれでもおれはこれが未来に残る遺産として最善だと思ってるんだこれでも我が社は最高だよ科学に向き合うだけ成果が出る最高の職場だよ前職なんて溶液と溶媒の取り違えを指摘しただけでここは研究室じゃないんだと机叩かれたんだほんと我が社には感謝しとるよだから俺はちゃん本来業務を与えられた職責以上の水準でこなした上でこの仕事業界権威がやってくるあのシンポに自費で行って見せつけてコネ作って発信していくのがためになるって思うんだ縦割ってたら永遠に進まず埋もれて没落してくんだそれは世界のためにならないんだ俺は俺に命じられた使命を守ってるんだそれが我が社のしいては国民のしいては上司あんたのためにもなんだってからこの使命は上司の命よりも重いって倫理教育でも何度もされてんだよ知ってんだろだから目の前のあんたはただサビ残する俺を見逃せばいいんだよ俺らには労基適応されないの知ってんだろだからいから黙って全部俺に投資し…」

上司スバルはそこで早口いわない…」【臨戦態勢】

増田「あっ……」

2024-11-16

国立大学シンポジウム

今、参加しているんだが、

後援者挨拶7人目なんだけど

しかも全員お役人

民間団体メッセージで欠席。

補助金召喚する呪文だとは思うけども。

はよ本題に入ってくれ。お前らどうでもいい

2024-11-10

フェミニズムはもう死んだのに

#MeToo が盛り上がってきたあたりでもう死んでいたのに、まだ真のフェミニズムは生きている、と妄信している


自分は(日本においては)男女平等のための法制度はおおよそ整備済みなので、あとは細かい調整と運用面を考えるフェーズだと考えている。ポストフェミニズムに近いだろうか。

だが、フェミニズム運動を全て否定しているわけではない。 例えば、 #MeToo に関してはコンセプトは良かったと思う。

性犯罪を裁く法制度はあるが、被害告発が出来なければ裁くとどころか存在すら認められない。暗数に含まれ被害を減らすための運動は「細かい調整と運用面を考えるフェーズ」という自分の考えとマッチしている。


しかし、 #MeToo被害が虚偽だった場合被告人泣き寝入りさせる最悪の運用であることが判明した。

例えば、元草津町議の虚偽告訴を信じて草津「町」を批判したフェミニストは、今現在謝罪しない人が多数派である

KuTooを立ち上げた石川優実は 「まだ整理しきれていない」 「虚偽申告で騙された」 と被害者のポジションを取り始めた。

#MeToo の声を上げるフラワーデモ草津を「セカンドレイプの町」と表現したこと謝罪していない。連帯した一般社団法人Spring謝罪をしたが、謝罪前(かつ虚偽発覚後)に東京弁護士会から人権賞を貰っている。

「その被害は虚偽なのではないか」と疑われ、告発しにくくなるのは #MeToo 運動に対して逆効果であると、本当に誰も気づかなかったのだろうか。


もしも、性被害から即座に守るために虚偽の申告を考慮せず連帯する事が #MeToo目的であるならば、賛同はしないが筋は通る。しかし、そうではなかった。

例えばお茶の水女子大学では教員学生へのハラスメント疑惑6月に上がった。しかし、その疑惑調査に動いたのは小山(狂)だけであり、フェミニスト達の動きは見られなかった。

草津フラワーデモ元町議のリコールから1か月以内に発生した。この疑惑はもう4か月以上経っている。何故誰も動かないのか。

疑惑告発に対して警告をする教授まで出ている。 草津の虚偽告訴で恐れていた事態が起きているのに、何故誰も動かないのか。

お茶の水女子大学にはジェンダー研究所があり、 #MeToo政治学 という国際シンポジウムも開いたのに、何故誰も動かないのか。

何故…


答えはわかっている。フェミニズムは死んでいるからだ。死んでいるから動かないのは当然だ。

#MeToo棍棒を扱いきれず、自分の頭を叩き続けて死んでしまった。今フェミニストを名乗る人は死体の皮をかぶった何かである

……だが、それでも、実はどこかで真のフェミニズムは生きており、性被害撲滅を真に願うフェミニストもいると信じている。

いるはずないのに。

2024-11-07

「んぽ」がつく言葉に「ち」をつけていく

ハイポジション

チンポジション

シンポジウム

チンポジウム

さんぽみち

ちんぽみち

けんぽう

ちんぽう

コンポ

チンポタ

タンポポ

チンポポ

ピンポンダッシュ

チンポンダッシュ

湯たんぽ

湯ちんぽ

2024-10-16

日本社会学会の100周年記念シンポジウムの登壇者に上野千鶴子

記念じゃなくて、毎年やるシンポジウムのほうでは、討論者に隠岐さや香

https://jss-sociology.org/other/20240809post-16573/#s100

Xばっかりみてると、この二人はある種の表象で私も批判的にみてしまうわけですが、やっぱ社会学まわりでは、まだまだスターなんだなって。特に上野さん。

社会学界隈に思想がバレないように気をつけなくっちゃ。

2024-09-05

今月シンポジウム京都に行くんだけど、ついでに観光したいんだよね

おっさんひとりで行って楽しいとこってどこだろ?

京都に詳しいはてな民教えてくれ

2024-09-04

朝鮮人虐殺追悼文ってなんでもめてるの?

小池知事関東大震災での

朝鮮人虐殺に対して追悼文送らないってことに

色んな人が(主にあっち界隈)怒ってるけどなんで怒ってるの?

地震パニック朝鮮人虐殺はあったと思うけど

100年前の事件に対して知事がどうこうせなあかんのが理解できない。

なんの責任があるの?わけわからん

どっかのネット記事朝鮮人虐殺に対する啓蒙活動東京都から

補助金てるて知ったけど、それを維持するため?

ちなみに会議とかシンポジウムやって客1〜3人しか来てないみたいだけど

要するにこれ公金チューチュー案件

マスコミも追悼文送らないのがおかし論調ばかりだし

そもそもなんで追悼文出さなあかんか誰か説明してくれない?

2024-08-04

東浩紀

東浩紀の伝記を書く。ゼロ年代に二十代を過ごした私たちにとって、東浩紀特別存在であった。これは今の若い人には分からいであろう。経験していないとネット草創期の興奮はおそらく分からいかである。たしかにその頃は就職状況が悪かったのであるが、それはまた別にインターネットは楽しかったのであり、インターネットが全てを変えていくだろうという夢があった。ゼロ年代代表する人物を3人挙げるとすれば、東浩紀堀江貴文ホリエモン)、西村博之ひろゆき)ということになりそうであるが、彼らはネット草創期に大暴れした面々である。今の若い人たちはデジタルネイティブであり、それこそ赤ちゃんの頃からスマホを触っているそうであるが、我々の小さい頃にはスマホはおろか携帯電話すらなかったのであるファミコンはあったが。今の若い人たちにはネットがない状況など想像もできないだろう。

私は東浩紀の主著は読んでいるものの、書いたもの網羅的に読んでいるというほどではなく、酔っ払い配信ほとんど見ていない。しかし、2ちゃんねる(5ちゃんねる)の東浩紀スレ古参ではあり、ゴシップ的なことはよく知っているつもりである。そういう立場から彼の伝記を書いていきたいと思う。

1 批評空間

東浩紀は71年5月9日まれである。「動ポモ」でも援用されている見田宗介時代区分だと、虚構時代のちょうど入り口で生を享けたことになる。國分功一郎は74年、千葉雅也は78年生まれである。國分とはたった3歳しか離れていないが、東が早々にデビューしたために、彼らとはもっと年が離れていると錯覚してしまう。

東は中流家庭に生まれたらしい。三鷹市から横浜市引っ越した。東には妹がおり、医療従事者らしい(医者ではない)。父親金沢出身で、金沢二水高校を出ているそうである(【政治番組東浩紀×津田大介×夏野剛×三浦瑠麗が「内閣改造」について大盛り上がり!「今の左翼新左翼左翼よりバカ!」【真実幻想と】)。

東は日能研でさっそく頭角を現す。模試で全国一桁にいきなり入った(らしい)。特別栄冠を得た(らしい)。これに比べたら、大学予備校模試でどうとかいうのは、どうでもいいことであろう。

筑駒筑波大学附属駒場中学校)に進学する。筑駒在学中の特筆すべきエピソードとしては、おニャン子クラブ高井麻巳子福井県実家訪問したことであろうか。秋元康結婚したのは高井であり、東の目の高さが分かるであろう。また、東は中学生時代うる星やつらファンクラブを立ち上げたが、舐められるのがイヤで年を誤魔化していたところ、それを言い出せずに逃げ出したらしい(5ちゃんねる、東浩紀スレ722の555)。

もう一つエピソードがあって、昭和天皇が死んだときに、記帳に訪れたらしい。

東は東大文一に入学する。文三ではないことに注意されたい。そこで柄谷行人の講演を聞きに行って何か質問をしたところ、後で会おうと言われ、「批評空間」に弱冠21歳でデビューする。「ソルジェニーツィン試論」(1993年4月であるソルジェニーツィンなどよく読んでいたなと思うが、新潮文庫ノーベル賞作家を潰していくという読書計画だったらしい。また、残虐記のようなのがけっこう好きで、よく読んでいたというのもある。三里塚闘争についても関心があったようだ。「ハンスが殺されたことが悲劇なのではない。むしろハンスでも誰でもよかったこと、つまりハンスが殺されなかったかも知れないことこそが悲劇なのだ」(「存在論的、郵便的」)という問題意識で書かれている。ルーマン用語でいえば、偶発性(別様であり得ること)の問題であろうか。

東は、教養課程では、佐藤誠三郎ゼミ所属していた。佐藤村上泰亮公文俊平とともに「文明としてのイエ社会」(1979年)を出している。共著者のうち公文俊平だけは現在2024年7月)も存命であるが、ゼロ年代に東は公文グロコムで同僚となる。「文明としてのイエ社会」は「思想地図」第1号で言及されており、浩瀚な本なので本当に読んだのだろうかと思ったものであるが、佐藤ゼミ所属していたこから学部時代に読んだのだろう。

東は94年3月東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科を卒業し、同4月東京大学大学総合文化研究科超域文化科学専攻に進学する。修士論文バフチンで書いたらしい。博士論文ではデリダを扱っている。批評空間に94年から97年にかけて連載したものをまとめたものである私たち世代は三読くらいしたものである博論本「存在論的、郵便的」は98年に出た。浅田彰が「東浩紀との出会いは新鮮な驚きだった。(・・・)その驚きとともに私は『構造と力』がとうとう完全に過去のものとなったことを認めたのである」という帯文を書いていた。

郵便本の内容はウィキペディアの要約が分かりやすく、ツイッター清水高志が褒めていた。「25年後の東浩紀」(2024年)という本が出て、この本の第3部に、森脇透青と小川歩人による90ページにわたる要約が付いている。森脇は東の後継者と一部で目されている。

東の若いころの友達阿部和重がいる。阿部ゲンロンの当初からの会員だったらしい。妻の川上未映子は「ゲンロン15」(2023年)に「春に思っていたこと」というエッセイ寄稿している。川上早稲田文学市川真人によって見出されたらしく、市川渡辺直己の直弟子である市川鼎談現代日本批評」にも参加している。

東は、翻訳家小鷹信光の娘で、作家ほしおさなえ1964年まれ)と結婚した。7歳年上である不倫だったらしい。98年2月には同棲していたとウィキペディアには書かれていたのであるが、いつのまにか98年に学生結婚と書かれていた。辻田真佐憲によるインタビュー東浩紀批評家が中小企業経営するということ」 アップリンク問題はなぜ起きたか」(2020年)で「それは結婚の年でもあります」と言っており、そこが根拠かもしれないが、明示されているわけではない。

そして娘の汐音ちゃん生まれる。汐音ちゃん2005年6月6日まれであるウィキペディアには午後1時半ごろと、生まれ時間まで書かれている。名前クラナドの「汐」と胎児聴診器心音ちゃんから取ったらしい。ツイッターアイコンに汐音ちゃん写真を使っていたものの、フェミに叩かれ、自分写真に代えた。汐音ちゃんは「よいこのための吾妻ひでお」 (2012年)のカバーを飾っている。「日本科学未来館世界の終わりのものがたり」展に潜入 "The End of the World - 73 Questions We Must Answer"」(2012年6月9日)では7歳になったばかりの汐音ちゃんが見られる。

96年、コロンビア大学大学入試に、柄谷の推薦状があったのにもかかわらず落ちている。フラタニティ的な評価によるものではないかと、どこかで東は推測していた。入試について東はこう言っている。「入試残酷なのは、それが受験生合格不合格に振り分けるからなのではない。ほんとうに残酷なのは、それが、数年にわたって、受験生家族に対し「おまえの未来合格不合格かどちらかだ」と単純な対立を押しつけてくることにあるのだ」(「選択肢無限である」、「ゆるく考える」所収)。いかにも東らしい発想といえよう。

2 ゼロ年代

東の次の主著は「動物化するポストモダン」で、これは2001年刊行される。98年から01年という3年の間に、急旋回を遂げたことになる。「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」はその間の論考である

東はエヴァに嵌っており、「庵野秀明はいかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか」(1996年)などのエヴァ論も書いている。その頃に書いたエッセイは「郵便不安たち」(1999年)に収められた。エヴァ本をデビュー作にすることも考えたらしいが、浅田彰に止められたらしい。だからサブカル本を出すというのは、最初から頭の中にあったのだろう。

「いま批評場所はどこにあるのか」(批評空間第Ⅱ期第21号、1999年3月)というシンポジウムを経て、東は批評空間と決裂するが、それについて25年後に次のように総括している。「ぼくが考える哲学が『批評空間』にはないと思ってしまった。でも感情的には移転があるから、「お前はバカだ」と非難されるような状態にならないと関係が切れない」(「25年後の東浩紀」、224-5頁)。

動ポモ10万部くらい売れたらしいが、まさに時代を切り拓く書物であった。10万部というのは大した部数ではないようにも思われるかもしれないが、ここから動ポモ論壇」が立ち上がったのであり、観客の数としては10万もいれば十分なのであろう。動ポモフェミニストには評判が悪いようである北村紗衣も東のことが嫌いらしい。動ポモ英訳されている(Otaku: Japan's Database Animals, Univ Of Minnesota Press. 2009)。「一般意志2.0」「観光客哲学」も英訳されているが、アマゾンのglobal ratingsの数は動ポモが60、「一般意志2.0」が4つ、「観光客哲学」が3つと動ポモが圧倒的である2024年8月3日閲覧)。動ポモ海外論文でもよく引用されているらしい。

次の主著であるゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2」までは6年空き、2007年に出た。この間、東は「情報自由論」も書いていたが、監視否定する立場から肯定する立場へと、途中で考えが変わったこともあり、単著としては出さず、「サイバースペース」と抱き合わせで、同じく2007年に発売される(「情報環境論集―東浩紀コレクションS」)。「サイバースペース」は「東浩紀アーカイブス2」(2011年)として文庫化されるが、「情報自由論」はここでしか読めない。「サイバースペース」と「情報自由論」はどちらも評価が高く、この頃の東は多作であった。

この頃は北田暁大と仲が良かった。北田は東と同じく1971年まれである。東と北田は、2008年から2010年にかけて「思想地図」を共編でNHK出版から出すが、3号あたりで方針が合わなくなり、5号で終わる。北田は「思想地図β」1号(2010年)の鼎談には出てきたものの、今はもう交流はないようである北田はかつてツイッターで活発に活動していたが、今はやっていない。ユミソンという人(本名らしい)からセクハラ告発されたこともあるが、不発に終わったようである結婚して子供もできて幸せらしい。

その頃は2ちゃんねるネットの中心であったが、北田は「嗤う日本の「ナショナリズム」」(2006年)で2ちゃん俎上に載せている。北田は「広告都市東京」(2002年)で「つながりの社会性」という概念を出していたが、コミュニケーションの中身よりも、コミュニケーション接続していくことに意味があるというような事態を表していた。この概念を応用し、2ちゃんでは際どいことが言われているが、それはネタなので心配しなくていいというようなことが書かれていた。2ちゃん分析古典ではある。

東は宮台真司大澤真幸とも付き合っているが、彼らは北田のように鋭くゼロ年代を観察したというわけではなく、先行文献の著者である。宮台は98年にフィールドワークを止めてからは、研究者というよりは評論家になってしまった。大澤は日本ジジェクと称されるが、何を論じても同じなのもジジェクと同様である動ポモは彼らの議論を整理して更新しているのであるが、動ポモも「ゲーム的リアリズムの誕生」も、実際に下敷きになっているのは大塚英志であろう。

宮台や大澤や北田はいずれもルーマンであるが、ルーマンっぽいことを言っているだけという印象で、東とルーマンも似ているところもあるというくらいだろう。しかし、ルーマン研究者馬場靖雄2021年逝去)は批評空間に連載されていた頃から存在論的、郵便的」に注目しており、早くも論文正義門前」(1996)で言及していた。最初期の言及ではないだろうか。主著「ルーマン社会理論」(2001)には東は出てこないが、主著と同年刊の編著「反=理論のアクチュアリティー」(2001)所収の「二つの批評、二つの社会」」ではルーマンと東が並べて論じられている。

佐々木敦ニッポン思想」(2009年)によると、ゼロ年代思想は東の「ひとり勝ち」であった。額縁批評などと揶揄される佐々木ではあるが、堅実にまとまっている。類書としては、仲正昌樹「集中講義日本現代思想 ポストモダンとは何だったのか」 (2006)や本上まもる「 “ポストモダンとは何だったのか―1983‐2007」 (2007)があったが、仲正は今でも読まれているようである。本上は忘れられているのではないか。この手の本はこれ以後出ていない。需要がないのだろうか。

佐々木の「ひとり勝ち」判定であるが、そもそもゼロ年代思想土俵を作ったのは動ポモであり、そこで東が勝つというのは当たり前のことであった。いわゆる東チルドレンは東の手のひらで踊っていただけなのかもしれない。懐かしい人たちではある。

北田によると、東の「情報技術公共性をめぐる近年の議論」は、「批評が、社会科学的な知――局所から全体を推測する手続きを重視する言説群――を媒介せずに、技術工学的知と直結した形で存在する可能性の模索である」(「社会批評Introduction」、「思想地図vol.5」、81-2頁)ということであるが、ゼロ年代の東はこういう道を歩んでいた。キットラーに似ており、東チルドレンでは濱野智史がこの道を歩んだのであるが、東チルドレンが全てそうだったわけでもなく、社会学でサブカルを語るというような緩い営みに終始していた。宇野常寛などはまさにこれであろう。

佐々木ニッポン思想」と同じ2009年7月に、毛利嘉孝ストリート思想」が出ている。文化左翼歴史をたどっているのであるが、この頃はまだ大人しかった。ポスコロ・カルスタなどと揶揄されていた。しかし、テン年代佐々木命名から勢いが増していき、今や大学メディア大企業裁判所を押さえるに至っている。しかし、ゼロ年代において、動ポモ論壇と比較できるのは、非モテ論壇やロスジェネ論壇であろう。

非モテ論壇は、小谷野敦の「もてない男」 (1999年)に始まり本田透に引き継がれるが、ものすごく盛り上がっているというほどでもなかった。本田消息が分からなくなり、小谷野2017年から売れなくなった。ツイッターでは雁琳のような第三波フェミニズムに応対できる論者が主流となっているが、そういうのの影に隠れたかたちであろう。大場博幸「非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会包摂」(2021年教育Permalink | 記事への反応(13) | 17:44

2024-06-28

[]

一言で言えば、なんか「巫女の日」「巫女デー」という言葉商標権登録した人がいて、それが通っちゃったんですと。

まず個人的な驚きとしては、こんな普遍的単語商標権取れるのか、と思うところではあるわけですけどもそれはともかく。

で、当然のごとくいろいろなところからこの商標権を取った人は叩かれてるわけですけども、この人の言い分としては、単純にまとめると

別にこれで儲けるつもりはない。メイド喫茶みたいなのでメイドのようなものが氾濫したように、それで同じようなことが巫女さんにも起きて巫女さんのイメージが汚れるのが嫌だから法的に守ることにした」と。

さらに、同人誌即売会などのイベントについては、「基本的申請してくれれば無料許可する」という云い分なんだそうです。

なんか詳しくはもっとちゃごちゃしてるので、ネット上で検索すると出てくるであろうサイトをご覧ください。とりあえずポイントとなるのはこの二点です。

出願情報
出願記事商標 2005-109516 (2005/11/09) 出願種別(通常)
登録記事 4984850 (2006/09/08) 総通号数(340) 年間通号数(60039) 公報発行日(2006/10/10)
出願人・代理人記事 出願人 東京都板橋区 (305032221) 小林 聡 
商品区分記事 41シンポジウム企画運営・開催
43軽食堂・喫茶店・簡易食堂における飲食物提供
商標記事巫女の日
称呼記事 ミコノヒ
標準文字マーク記事 標準文字使用 有り
出願細項目記事 (2958) 査定種別(登録査定) 最終処分(登録) 最終処分日(2006/09/08) 通常審査
公告正誤表記総通号数(323) 年間通号数(60029) 公報発行日(2006/08/03)
更新日 (2017/03/03) 
登録情報 4984850 存続-登録-継続
出願記事商標2005-109516 (2005/11/09) 
登録記事 4984850 (2006/09/08) 
査定日・審決日記査定日(2006/08/07) 
商標更新登録記事 出願日(2016/08/12) 登録日(2016/09/20) 
権利記事東京都板橋区 (305032221) 小林 聡 
商品区分記事 43軽食堂・喫茶店・簡易食堂における飲食物提供
標準文字マーク記事 標準文字使用 有り
登録細項目記事権利は抹消されていない 存続期間満了日(2026/09/08)
最終納付年分記事10
更新日 (2016/09/20) 

2024-06-17

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文字数制限かなんかで途中で切れる……

2003年 (第8巻)11月 特集食の安全安心環境
2003年 (第8巻) 4月 特集学術の再点検  ―ジェンダー視点から(2)ジェンダー
2003年 (第8巻) 1月 特集日本計画 Japan Perspective社会
2003年 (第8巻) 5月 特集地域生活安全保障社会
2003年 (第8巻) 6月 特集:ITによる科学能力開発国際会議情報
2004年 (第9巻) 2月 特集こころ科学する医療人間
2004年 (第9巻) 5月 特集:持続可能社会のための科学技術に関する国際会議2003 -エネルギーと持続可能社会のための科学エネルギー
2004年 (第9巻) 1月 ●学術会議は考える学術教育
2004年 (第9巻) 3月 ●「日本学術会議法の一部を改正する法律案」について学術教育
2004年 (第9巻) 6月 ●日本学術会議法の改正によせて学術教育
2004年 (第9巻) 8月 特集科学する心を育てる学術教育
2004年 (第9巻)10月 特集科学ジャーナリズムの進展のために学術教育
2004年 (第9巻)12月 特集日本学術会議第143回総会について学術教育
2004年 (第9巻)特集:第4回アジア学術会議(SCA)学術教育
2004年 (第9巻) 特集日本学術会議主催公開講演会学術教育
2004年 (第9巻) 科学技術への理解共感を醸成するために学術教育
2004年 (第9巻) 特集日本学術会議第142回総会 新生日本学術会議の在り方学術教育
2004年 (第9巻) 特集科学技術政策の在り方学術教育
2004年 (第9巻) 特集:高度専門職教育日本社会学術教育
2004年 (第9巻) 特集科学責任所在学術教育
2004年 (第9巻) 9月 特集日本学術会議から農林水産大臣への答申  地球環境人間生活にかかわる水産業及び漁村多面的機能の内容及び評価について環境
2004年 (第9巻)11月 特集都市生活環境を考える環境
2004年 (第9巻) 4月 特集学術の再点検 -ジェンダー視点から(その3)-ジェンダー
2004年 (第9巻) 7月 特集人口減少社会パースペクティブ社会
2004年 (第9巻) 特集科学国境歴史政治・国際
2005年 (第10巻) 5月 特集国境を越える生殖医療と法医療人間
2005年 (第10巻) 1月 ●学術会議は考える学術教育
2005年 (第10巻) 6月 特集日本学術会議第144回総会について学術教育
2005年 (第10巻) 7月 特集:今、教養教育を考える学術教育
2005年 (第10巻) 8月 特集21世紀学術における横断型基幹科学技術役割学術教育
2005年 (第10巻)10月 特集日本学術会議第145回総会学術教育
2005年 (第10巻)11月 特集日本学術会議20始動学術教育
2005年 (第10巻)12月 特集:第146回日本学術会議総会 日本学術会議新体制スタート学術教育
2005年 (第10巻) 特集:第19期の活動を振り返って学術教育
2005年 (第10巻) 特集新日本学術会議における人文・社会科学系の活動について学術教育
2005年 (第10巻) 2月 特集大陸棚画定を考える環境
2005年 (第10巻) 特集自然災害災害
2005年 (第10巻) 4月 特集:どこまで進んだ男女共同参画ジェンダー
2005年 (第10巻) 特集犯罪科学する社会
2005年 (第10巻) 特集:事例を中心に見る統計科学現代価値情報
2005年 (第10巻) 特集学術研究個人情報情報
2005年 (第10巻) 9月 特集人間宇宙物理
2005年 (第10巻) 3月 特集:持続可能社会のための科学技術に関する国際会議2004 ―アジアの巨大都市地球の持続可能性―歴史政治・国際
2005年 (第10巻) 特集:第5回アジア学術会議(SCA)歴史政治・国際
2006年 (第11巻) 5月 特集ライフスタイル健康医療人間
2006年 (第11巻) 6月 特集:終末期医療 ─医療倫理・法の現段階─医療人間
2006年 (第11巻) 8月 特集臨床医学研究の発展のために医療人間
2006年 (第11巻)10月 特集スポーツ科学医療人間
2006年 (第11巻)12月 特集科学技術イノベーション学術学術教育
2006年 (第11巻) 1月 特別座談会科学コミュニティーとしての新たなミッションを考える学術教育
2006年 (第11巻) 2月 特集新世代が変える日本学術会議学術教育
2006年 (第11巻) 4月 特集日本学術会議第147回臨時総会学術教育
2006年 (第11巻)11月 特集日本学術会議新体制 ─日本学術会議第149回総会─学術教育
2006年 (第11巻) 特集座談会:「科学上のミスコンダクト」学術教育
2006年 (第11巻) 特集 シンポジウム:「技術者の倫理社会システム学術教育
2006年 (第11巻) 特集新世代が変える日本学術会議(続編)学術教育
2006年 (第11巻) 特集日本学術会議改革ヘの軌跡と課題学術教育
2006年 (第11巻) 特集日本学術会議第148回総会学術教育
2006年 (第11巻) 9月 特集海洋生物学の新たな時代環境
2006年 (第11巻) 特集環境教育環境
2006年 (第11巻) 3月 特集男女共同参画の一層の推進に向けてジェンダー
2006年 (第11巻) 特集ジェンダー学と生物学対話ジェンダー
2006年 (第11巻) 7月 特集公共性ルネッサンス ─21世紀市民社会を考える─社会
2006年 (第11巻) 特集統計から見た日本経済格差社会
2007年 (第12巻) 5月 特集医療崩壊させないために医療人間
2007年 (第12巻)12月 特集保健医療と個人情報保護医療人間
2007年 (第12巻) 特集社会福祉教育近未来医療人間
2007年 (第12巻) 特別講演:寄生動物国民及び政策感染症ミレニアム開発目標 / ロバート・メイ卿医療人間
2007年 (第12巻) 特集化学今日から明日へ化学生物
2007年 (第12巻) 1月 特集科学者の行動規範学術教育
2007年 (第12巻) 2月 特集博物館が危ない! 美術館が危ない!学術教育
2007年 (第12巻) 9月 特集:第7回アジア学術会議学術教育
2007年 (第12巻) 特集:学協会機能強化のための調査学術教育
2007年 (第12巻) 特集日本学術会議第150回総会学術教育
2007年 (第12巻) 7月 特集:脱温暖化社会へのチャレンジ環境
2007年 (第12巻) 特集子どもを元気にする環境とは ─政策の現状と評価こども
2007年 (第12巻)11月 特集自然災害軽減に向けてパラダイムの変換を災害
2007年 (第12巻) 6月 特集地域研究最前線 ─知の創成─社会
2007年 (第12巻) 8月 特集:法的制度としての私と公をめぐって社会
2007年 (第12巻) 特集21世紀における生活科学役割社会
2007年 (第12巻) 4月 特集:人文社会科学役割責任人文
2007年 (第12巻) 特集物理学の今日から明日へ物理
2007年 (第12巻) 3月 特集歴史としての戦後思想としての戦後歴史政治・国際
2007年 (第12巻)10月 特集中国東アジア科学技術と持続的社会歴史政治・国際
2007年 (第12巻) 特集政治学の今日から明日へ歴史政治・国際
2008年 (第13巻) 1月 特集シンポジウム 医療システムのゆくえ医療人間
2008年 (第13巻) 8月 特集生殖補助医療のいま ─社会合意を求めて─医療人間
2008年 (第13巻)12月 特集:信頼に支えられた医療の実現 ─医療崩壊させないために─医療人間
2008年 (第13巻) 特集:医工学先端研究と教育創造的結合医療人間
2008年 (第13巻) 特集生物科学今日から明日へ化学生物
2008年 (第13巻) 7月 特集科学コミュニケーションメディア学術教育
2008年 (第13巻) 9月 特集:若手研究者の育成学術教育
2008年 (第13巻)10月 特集高校における地理歴史教育改革学術教育
2008年 (第13巻)11月 日本学術会議第21期スタート -第154回総会開催-学術教育
2008年 (第13巻) 6月 特集瀬戸内海浅海を考える ~浅海その生物生産環境とその保全防災環境
2008年 (第13巻) 特集:脱温暖化森林木材役割環境
2008年 (第13巻) 特集環境学のミッション環境
2008年 (第13巻) 特集総合工学役割展望工学
2008年 (第13巻) 特集明日社会共通資産 ―建設系分野からの重点研究課題提案工学
2008年 (第13巻) 4月 特集人口ジェンダー  ―少子化対策可能か―ジェンダー
2008年 (第13巻) 3月 特集:わが国の自殺の現状と対策社会
2008年 (第13巻) 特集リスク Permalink | 記事への反応(0) | 10:30

2024-06-14

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1996年 (第1巻) 5月 特集:脳の科学こころ問題医療人間
1996年 (第1巻)11月 特集高齢者介護医療人間
1996年 (第1巻) 4月 (創刊号) 特集戦略研究と高度研究体制学術教育
1996年 (第1巻) 6月 特集:第3回アジア学術会議学術教育
1996年 (第1巻) 8月 特集日本国際賞受賞記念講演会から学術教育
1996年 (第1巻) 9月 特集:若手研究学術教育
1996年 (第1巻)12月 特集:第124回日本学術会議総会学術教育
1996年 (第1巻) 7月 特集地球環境問題を考える環境
1996年 (第1巻) 特集:転換期にある工業産業工学
1996年 (第1巻)10月 特集女性科学研究ジェンダー
1997年 (第2巻) 2月 特集パラダイムの転換学術教育
1997年 (第2巻) 3月 特集大学改革任期制学術教育
1997年 (第2巻) 6月 特集伝統と新しい地平 ―第4回アジア学術会議学術教育
1997年 (第2巻) 7月 特集:第125回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻) 8月 特集:第16期から17期へ学術教育
1997年 (第2巻) 9月 特集:第17期の発足 ―第126回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻)10月 特集:高度研究体制確立を目指して学術教育
1997年 (第2巻)11月 特集地域における学術活性化を目指して学術教育
1997年 (第2巻)12月 特集:第127回日本学術会議総会学術教育
1997年 (第2巻) 特集:2国間学術交流レイシア派遣団報告学術教育
1997年 (第2巻) 4月 特集地球食料問題を考える環境
1997年 (第2巻) 1月 特集平和共生歴史政治・国際
1997年 (第2巻) 5月 特集グローバリゼーション産業空洞化歴史政治・国際
1998年 (第3巻) 3月 特集クローン羊"ドリー":遺伝子科学のはかり知れないインパクト    化学生物
1998年 (第3巻) 特集クローン羊"ドリー":バイオテクノロジー最先端で今、何が、どうなっているか    化学生物
1998年 (第3巻) 2月 特集二国間学術交流 スイス及びスウェーデン派遣団報告学術教育
1998年 (第3巻) 6月 特集21世紀科学への視点 ―第128回日本学術会議総会学術教育
1998年 (第3巻) 7月 特集アジアにおける学術の直面する課題 ―第5回アジア学術会議学術教育
1998年 (第3巻)12月 特集:新たなる研究理念を求めて ―第129回日本学術会議総会学術教育
1998年 (第3巻) 1月 特集地球未来 ~人間の存続環境
1998年 (第3巻) 5月 特集地球惑星宇宙科学の現状環境
1998年 (第3巻)11月 特集食品研究の新領域をさぐる ―食とからだの科学を中心に環境
1998年 (第3巻) 4月 特集ジェンダー   ―社会的文化的性別」と現代ジェンダー
1998年 (第3巻) 8月 特集日本経済課題展望日本ビックバンに向けて社会
1998年 (第3巻) 9月 特集行政改革課題展望社会
1998年 (第3巻)10月 特集ライフスタイルの転換と新しい倫理 ―21世紀社会に向けて社会
1999年 (第4巻) 4月 特集生殖医療とその社会的受容医療人間
1999年 (第4巻) 1月 特集21世紀に向けた学術の新たな改革学術教育
1999年 (第4巻) 3月 特集国民の期待に応えて ―科学最前線から学術教育
1999年 (第4巻) 6月 特集:IGBPの研究成果の統合に向けて ―第130回日本学術会議総会学術教育
1999年 (第4巻)10月 特集日本学術会議創立50周年学術教育
1999年 (第4巻)12月 特集:わが国の大学等における研究環境改善について(勧告) -第131回日本学術会議総会学術教育
1999年 (第4巻) 2月 特集ごみを考える環境
1999年 (第4巻) 8月 特集海洋環境
1999年 (第4巻)11月 特集科学技術社会社会
1999年 (第4巻) 特集少子化問題社会
1999年 (第4巻) 5月 特集学会インターネット情報
1999年 (第4巻) 9月 特集学術からみた「美しさ」について人文
1999年 (第4巻) 7月 特集人口環境 ―持続的発展に不可欠なアジア役割 ― 第6回アジア学術会議歴史政治・国際
1999年 (第4巻) 特集科学技術の発展と新たな平和問題歴史政治・国際
2000年 (第5巻) 1月 特集学術研究の国際ネットワーク学術教育
2000年 (第5巻) 3月 特集:第7回アジア学術会議学術教育
2000年 (第5巻) 4月 特集世界科学会議21世紀のための科学学術教育
2000年 (第5巻) 7月 特集:第17期を締めくくる成果 ―第132回日本学術会議総会学術教育
2000年 (第5巻) 8月 特集:第17から第18期へ学術教育
2000年 (第5巻) 9月 特集:第18期始まる学術教育
2000年 (第5巻)10月 特集俯瞰研究プロジェクトへのアプローチ学術教育
2000年 (第5巻)11月 特集研究業績評価 ―実態問題学術教育
2000年 (第5巻)12月 特集:第18期活動計画の全容学術教育
2000年 (第5巻) 特集各部抱負学術教育
2000年 (第5巻) 特集:第8回アジア学術会議学術教育
2000年 (第5巻) 特集世界科学アカデミー会議学術教育
2000年 (第5巻) 2月 特集安全災害
2000年 (第5巻) 6月 特集男女共同参画社会における日本学術ジェンダー
2000年 (第5巻) 5月 特集司法改革課題展望社会
2001年 (第6巻) 2月 特集21世紀とヒトゲノム医療人間
2001年 (第6巻) 4月 特集21世紀と新エネルギーエネルギー
2001年 (第6巻) 1月 特集21世紀科学役割を問う学術教育
2001年 (第6巻) 3月 特集21世紀科学アカデミーデザインする学術教育
2001年 (第6巻) 5月 特集学術活動のための次世代育成学術教育
2001年 (第6巻) 6月 特集:「科学技術」の概念を人文・社会科学へと拡張学術教育
2001年 (第6巻) 7月 特集大衆化された大学での教育はいかにあるべきか学術教育
2001年 (第6巻)11月 特集日本学術会議改革に向けて学術教育
2001年 (第6巻) 特集:常置委員会の目指すもの学術教育
2001年 (第6巻) 特集日本社会の変容と教育の将来学術教育
2001年 (第6巻) 特集:第1回アジア学術会議学術教育
2001年 (第6巻) 特集特別委員会活動経過学術教育
2001年 (第6巻) 8月 特集遺伝子組換え食品をめぐる最近の動向環境
2001年 (第6巻)10月 特集:食から見た21世紀課題環境
2001年 (第6巻) 9月 特集10代は変わったか!こども
2001年 (第6巻)12月 特集データベースの新たな保護権利制度導入反対への初の声明情報
2001年 (第6巻) 特集21世紀IT社会情報
2002年 (第7巻) 5月 特集医療最先端医療人間
2002年 (第7巻) 8月 特集ナノテクノロジー化学生物
2002年 (第7巻) 9月 特集動物実験化学生物
2002年 (第7巻) 1月 特集新世紀の日本学術会議学術教育
2002年 (第7巻) 3月 特集科学技術新世学術教育
2002年 (第7巻) 6月 特集:新しい日本学術会議に向けて!学術教育
2002年 (第7巻) 7月 特集ノーベル賞100周年記念国際フォーラム創造性とは何か」学術教育
2002年 (第7巻)11月 特集:変革をめざす国立大学 ―学長たちは考える学術教育
2002年 (第7巻)12月 特集日本学術会議の今後の方向に向けて!学術教育
2002年 (第7巻) 特集:「大学の自立」と「学術経営」のあり方を探る学術教育
2002年 (第7巻) 特集:第2回アジア学術会議(SCA)学術教育
2002年 (第7巻) 特集学術科学研究の成果と社会学術教育
2002年 (第7巻) 4月 特集学術の再点検  ―ジェンダー視点から(1)ジェンダー
2002年 (第7巻) 2月 特集創造性と日本社会社会
2002年 (第7巻)10月 特集:「身体障害者との共生社会」の構築に向けて社会
2002年 (第7巻) 特集日本計画社会
2002年 (第7巻) 特集グローバル化時代対応する高等教育課題歴史政治・国際
2003年 (第8巻) 2月 特集研究教育現場から見た国立大学改革学術教育
2003年 (第8巻) 3月 特集科学社会 ―いま科学者とジャーナリストが問われている―学術教育
2003年 (第8巻) 7月 特集私立大学さらなる発展学術教育
2003年 (第8巻) 8月 特集:第18期から第19期へ学術教育
2003年 (第8巻) 9月 特集:第19期始まる学術教育
2003年 (第8巻)10月 特集:新しい学術の体系学術教育
2003年 (第8巻)12月 特集:第19期活動計画学術教育
2003年 (第8巻) 特集活動計画各部抱負学術教育
2003年 (第8巻) 特集:第3回アジア学術会議(SCA)学術教育

2024-05-14

子ども権利

ニュース見てたら、中学の頃(90年代後半)担任に聞いた話↓を思い出したんだけど、これって本当にあったことなのかな?

子ども権利に関する国際シンポジウムがあって、日本から子供(高校生?)が代表で出席した

日本高校生は、「茶髪にするのは子ども権利なので、校則制限されているのはおかしい」という主張をした

ところがそのシンポジウムでは、他の国の子供は「学校に行く権利」とか「自由に学ぶ権利」を主張していたので、

日本代表は赤っ恥をかいたのである

要するに担任は、「日本の子どもは恵まれているのだ」「屁理屈捏ねないで校則を守れ」と言いたかったらしい

当時の私はほへーって適当に納得してたけど

今思うとなんかあまりにも都合が良すぎるエピソードだよな

本当にこんなことあったのかね?

などとニュースを見ながら思い出したのだった

https://www.fnn.jp/articles/-/697228

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