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はてなキーワード: 写実主義とは

2025-04-23

anond:20250423152937

究極そう、写実主義から印象派とかキュビズムに移行するのってこう言う感じなのかもしれん

2024-02-16

天使の輪が死人を表す漫画表現になっているのって変だな

人が死んでも天使になるわけじゃない、キリスト教世界観においても

この表現を多用している一番有名な漫画はおそらくドラゴンボールだろう

どこかで発想の飛躍があったのかな

気になるねえ、ぐぐりましょうねえ

天使に限らず聖人などを描いた絵画にも、聖人の後ろに光が差す表現が用いられたのだとか

天使に限らないのであれば以降は天使の輪じゃなくヘイローとここでは書くようにしておこう、ブルーアーカイブ風の呼び方

発想としては仏教の後光と同じか

まだ足りない

天使聖人を描いた絵画???漫画表現の死者を表す記号としてのヘイロー、間に挟まるものを探さないと

なんかこれだ!って情報がなかなかヒットしないな

勘だけど風刺画が間に挟まる気がするんだよな

天使聖人を描いた絵画パロディで、天使を例えば政治家差し替え風刺画みたいなのがどっかにあるんじゃないか

それが転じて死者の頭上にヘイローを用いるのが一般化したとか?

うーん、あくま根拠のない憶測

こういうのは英語圏情報を探さないといけないな

一応、英語圏イラストで死者の頭上にヘイローがあるイラストはまあまああるっぽいが……

日本でもなんかドラゴンボール以前に死者の頭上にヘイローがある表現をした漫画いか

……手塚治虫がやってる気がする

あの人だいたい何でもやってるからな、あとで探すか

ってことはディズニー作品でもなんかあるような気がしてくるな

うーん、探し方が下手

wikipediaの「光輪 (宗教美術)」の「大衆文化における使用」の記述が少ないな

英語版だと……英語版の「Halo (religious iconography)」には大衆文化の項自体無いのか

うーんアメコミにもヘイロー使用あるかもだが、アメコミに詳しくない

調査頓挫する予感

ここまで調べたというメモ

なんかコレ!っていう本があれば読みたいんだが、この疑問をずばっと解決する文化史本は無いかもなあ

今週の『サチ録』、番外編15を読んだ結果

日記

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ポップカルチャー宗教序論」という論文を読んだ

こういう路線で調べていくのがよさそうか

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なぜ亡くなった人の頭上に「天使の輪」を描くようになったのでしょうかよろしく... - Yahoo!知恵袋

漫画記号表現としては昔からある定番スタイルですよね。 ディズニーアニメにも、ヨーロッパカートゥーン(cartoon)にも良く死者の記号として使われていますね。

http://www.cartoonstock.com/cartoonview.asp?catref=amc0009

ふーむ、やっぱり古くから定番なんだな

この回答者によるとディズニーでもやはり使用されていると

人間は死ぬと天使になりますか | ものみの塔 オンライン・ライブラリー

人間死ぬ天使になります

アリーロという,まだ7歳の幼い女の子が亡くなりました。悲しみに打ちひしがれた両親は,柩に横たわる白いドレス姿の娘を前に,ぼう然としています。慰めようとして,神父がこう言います。「神様は,天使をもうひとりお望みになって,アリーちゃんお召しになったのです。幼子の魂は,今ごろ,神様のみそば翼を広げて飛んでいますよ」。

死んだ人間の魂が天使になる,と信じている人は少なくありません。公式教理として教えられることはまれですが,映画テレビ連続ドラマでは,死んだ人が翼のある天使になって,生きている人を守る,という話がよく取り上げられます

あなたはいかがですか。愛する人が死後に天使になると考えておられますか。聖書は何と教えているでしょうか。では,天使本質について,また死んだ人の本当の状態について,聖書のものが何と述べているかを調べてみましょう。

うーん、「死んだ人間の魂が天使になる」という発想は無いわけではないのか

それが転じて天使ではない死者の霊魂的な何かの頭上にもヘイローが描かれるようになった?

ドラゴンボールの影響がどのくらい大きいか、気になるな

っていうかドラゴンボールつまみ食い的にしか読んだこともアニメを見たこともないんだよな

何より先に原作コミックを読んだほうがいいのかもしれん

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天使とは何か キューピッドキリスト悪魔

天使と人の文化史

ここら辺の本があるいは参考になるか

だいたい最終章は「現代における天使がどのような姿で描かれているか」みたいな話題から、そこに期待が出来る

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英語圏情報を探そうとしてもゲームの『HALO』ばっかり引っ掛かってやりにくいったらありゃしない

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そうだ、『トムとジェリー』で爆死したトムが雲の上でヘイローつけた状態で不満そうな顔してるってオチエピソードがあった気がする

ネズミ取り必勝法』か、これ大好き

プレゼントボックスに入ったトムが針でめった刺しにされるシーンは涙なしでは見られない

オチはやはり爆死で……天使になってるな、これ

やっぱり「死んだら天使になる」って発想がポップカルチャーである程度一般的に表現されていたようだ

翼とヘイローがあってハープを持っている

ネズミ取り必勝法』は1944年11月23日に公開

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ってことは

天使聖人を描いた絵画→死後に天使になる認識、またそれを表現したイラストアニメ天使ではなく単なる死者にもヘイローがつけられた

……か?

まだ足りないぞ

「死後に天使になる」って発想がどこから来たんだって

キリスト教教義だと死んでも天使になるわけじゃない、それはカトリックだろうがプロテスタントだろうがエホバだろうが他の何かであろうがだいたい同じだろう

ヘイローは聖なるもの加護を表すからどんな死者でもヘイローは頭上に表れる?

でもトムは爆死して天使になっとるじゃろがい

まだまだ調べないと納得できないな

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ひょっとしたら演劇ミュージカル側の文化関係している可能性もある

死者を表現する記号として頭の上にヘイローをのっけた衣装を着ていた……とか、あるかもしれない

一応留意して調べる事

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「池にコインを投げる風習はいから始まったのか?」みたいなテーマでおととい調べて日記書いたときは、その風習を有名にした「Three Coins in the Fountain」っていうアカデミー賞受賞作品を見つけたんだよな

これも同じパターン可能性がある

聖者記号としてではなく、単なる死者の記号としてヘイローを使った何らかのヒット作品があったので一般化したみたいなキッカケがひょっとしたらあるかもしれない

しかあんまりこの仮説に固執するのはよくないな、気長に探そう

あるとすれば19世紀後半以降くらいのはず

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そうか、調べるポイントが二つに分かれちゃったんだなあ

①「死後に天使になる」という考えの源流を辿るルート

漫画表現で死者が天使となった描写漫画表現で死者に(翼など他の天使的要素抜きで)ヘイローのみが付与される描写となった転換点を探すルート

こりゃ大変だ、いったん追加調査ここまで

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次にやる事

守護聖人絵画での描かれ方を確認する

→実は守護聖人の頭上にヘイローだけでなく、翼がはえているなどあったりするかどうか

:積んでるキリスト教入門みたいな本をさっさと読む

→なんもかんも体系的な知識が欠けているのが悪い

 →でもなー、自分の興味の向き先は「キリスト教教義はこういうものです」って知識じゃなくて「人々はキリスト教をこのように解釈して信仰していました」という知識なんだよなあ、基礎の勉強ってどうしても飽きちゃって

  →だとしても体系的な土台の知識が無いと何も始まらないだろ!

   →はい、おっしゃる通りです、すみません……

第一次世界大戦風刺画ヘイロー描写が無いか探す

第一次世界大戦1914年7月28日1918年11月11日、ちょうど探したい年代

キリスト教素養がない私がヘイロー描写を見たとき、それが宗教的な性質を持っているのかそれとも記号化したものなのかを区別できるのか?という点について考える

→やっぱり基礎の勉強しましょうね~

そもそもヘイローがあって翼があったらそれは天使とみなしていいのか?「天使」って何?「御使い」って何?何もわからない、調べる

→基礎(略

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②についてだが「ゲームドット絵キャラが死んだことを表現するのにヘイローが便利で、ドット絵で翼を描くのが大変だったから省略された」という仮説を思いついた

流石にお話として出来すぎな気がする、この仮説は最終的に棄却することになりそうだ

しかし調べるとっかかりとしては魅力的

ヘイロー関係ないけど「ゲーム戦闘不能をどう表現するか?」というテーマを調べるのめちゃくちゃ楽しそう

棺桶幽霊化、ヘイロー付与etc……

また別の機会に調べよう

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Heaven Cartoons」というジャンル風刺画があるらしい

画像検索してみるとなるほど確かに天国天使なんやかんやする種類の一コマ漫画

いつ頃から描かれているかちょっと調べてみたがなかなか難しい

Wikipediaの「カリカチュア」のページの「主な作家」の項に載ってる人の代表作を一つずつ見ていくしかない

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星新一アメリカ一コマ漫画蒐集してそれについてエッセイを書いた『進化した猿たち: The Best』をkindleで購入

これにアメリカ一コマ漫画挿絵掲載されて……いない!

権利関係問題のせいかほとんど掲載が無くなってしまっているようだ

しか天国ものについてのエッセイは変わらず掲載がある

数少ない挿絵の作者は……Sidney Harris

漫画家としてのキャリア1955年から

うーん、トムとジェリーのほうが時代が古い

もっと挿絵を見たいか挿絵が載ってる物理書籍のほうを読まないといけないなこれは

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Cartoon of the politics of the Second Empire (Bonapartiste Regime) directed by Napoleon III (Charles... | bridgeman images

やっとひとつ見つけた

ざっくり言うと政治家が天に召されている様子の風刺画1868年1869年?に描かれた、ってところか

翼があり、ヘイローもしっかり完備

トムとジェリー1944年よりだいぶ古い!

しかし余談だけれど死後4年後たってから風刺画が描かれていて不思議

なんか「天使になる」ってのは語弊があって「昇天するとき天使と同じ装いをする」という言い方の方が正確なのかもしれない

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トムとジェリー以前のオールカートゥーンを片っ端から観ているが、天に召されるシーン自体全然見つけることができていない

ところでチャップリンの『キッド』に天使が登場するシーンがあった

翼だけ背中にあってヘイローなし

実写映画も調べる範囲に含まないといけないか

オールカートゥーンの本当に初期の初期は紙の漫画をそのまま映像化したようなやつだったから、漫画文脈だと思うんだけどな……

うーん、難航している いよいよ調査が行き詰まりそうだ

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マーク・トウェイン天国建設の旅』という論文を見つけたが、これは読む価値がありそうだ

天国観の変遷について言及がある

絵やイラストとして描かれていなくても天国に行くとヘイローと翼とハープが通行証かのように与えられる認識は当時の人々視点で昔からあったようだ

18~19世紀文学作品天国描写しているものを探すべきだな

ここらへんは先行研究論文を探しやすそうだ

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Elizabeth Stuart Phelps Wardという人が書いた『The Gates Ajar』という宗教小説アメリカ1868年刊行されめちゃくちゃ売れたらしい

当時の人々の天国観に影響ありそうに見える

その小説で語られた天国観は

In contrast with traditions of Calvinism, Phelps's version of heaven is corporeal where the dead have "spiritual bodies", live in houses, raise families, and participate in various activities.

カルヴァン主義伝統とは対照的に、フェルプス天国は、死者が「霊的な身体」を持ち、家に住み、家族を養い、さまざまな活動に参加する身体的なものである

とのこと(『The Gates Ajar』のwikipedia英ページより引用しdeepl翻訳

うーむ、おぼろげに流れが見えてきた気がする

カルヴァン主義の事よく知らないからそこは調べないといけない

マーク・トウェイン天国建設の旅』という論文序文あたりに19世紀半ば以降に天国もの小説流行ったみたいなことが書いてあったが、その一因はこの小説な気がする

なぜ流行たかというと南北戦争の影響やろなあ

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そういえばこの日記メモには記述をしていなかったが、宗教美術におけるヘイロー写実主義の高まりによって19世紀までにほとんど衰退しているらしい

なので宗教美術において死者(例えば聖人殉職者など)にヘイローが描かれたものがあったとしても、カートゥーンヘイロー描写がその影響を受けているとはちょっと考えにくいのではないか

一度断絶しているのでは?という疑問を持っている

ヘイロー描写は一度衰退し、再び風刺画カートゥーンなどで記号として便利なので復活したという前提で調べている

あー、いや……この前提本当に大丈夫か?自信ないな

記号として復活させたとしても参照元は必ずあるわけで

19世紀アメリカで人々が見ることが出来た美術絵画はどのようなものだったのか?というのがわからないと正確なことは言えないな……

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自分確認した限り、カートゥーンアニメで「死んだら天使の装いをして天に召される」表現をやった一番古いものは『トムとジェリー』の『ネズミ取り必勝法

オールカートゥーンを全て総ざらいして確認したわけではないかもっと古いのがあってもおかしくはない(アカデミー短編アニメ賞受賞作品すらすべて確認できていない)

キャラ死ぬ描写そもそも全然ねーんだわ

トムとジェリーがどんだけ過激なことやってるかって話ですよ

幽霊は沢山出てくるんだけどねえ

ネズミ取り必勝法』はアカデミー賞とる程度には人気だったので、カートゥーンにおける元祖でなかったとしてもビジュアルイメージ固定に大きく貢献したといっていいか

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キリスト教教義では死者は天使になるわけではない、という認識があった(今でもそうではある)

19世紀半ばにスピリチュアル小説流行り、人々の天国観を変えた

→それは死後に霊的な体を持った死者が天国で現世と同じような生活を営むものだった

→死後に天使のような装いになる認識が生まれ

たまたま印刷技術の発展とタイミングが同じで新聞挿絵風刺画漫画などで聖人でもなんでもない普通の人の死者の絵が多く描かれるようになった

→死者に天使の装いをさせた風刺画、紙の漫画カートゥーンアニメビジュアルイメージが固定される(この時点ではヘイローと翼はセット、あくま天使など聖なる魂的な存在専門用語を適切に使う自信が無いので曖昧表現)と同じ装い)

日本キリスト教文脈無視された記号的な描写がされ、ヘイローのみで死者を表す記号表現となる

……という流れだという仮説を立てることが出来た

うーん、自信ない

18世紀以前に普通の死者も天に召されるとき天使と同じ装いをするという認識があった」と言える材料を見つけることができていない

印刷技術が生まれる以前だと絵画にそこらへんの人が天に召される絵なんて描かれないんだよなあ

探すとすれば厳格な宗教者が教義通りに書いた本でなく、人々を慰撫する目的教義からすれば不正確な内容が書かれた本みたいなのがあればあるいは……(というか、それが『The Gates Ajar』なのよ)

また、『The Gates Ajar』などの天国観を変えるイベントによって死者が天使の装いをするようになった、とある程度の自信をもって言えるような材料は正直見つけることができていない

しかし、とりあえず一定レベルで納得は出来たからこの疑問はクローズ

18世紀19世紀の米英のキリスト教史を調べないともうちょっと正確な認識ができるのだろうけれど、それは今後の宿題だな

西洋世界文化史キリスト教歴史は不可分だから体系的に勉強したい

2023-10-28

絵描き世界ゾルラーク

マネ「笛を吹く少年」(1866)

 

灰色背景に笛を吹く少年が佇む。

誰もが見たことがあるだろう。図工の教科書に載る絵の定番だ。

この絵のどこが凄いのかわかるだろうか?

それは・・・

 

背景を描かなかったこである

 

この凄さを知るには歴史を語らねばならない。

昔の庶民は字が読めなかった。字が読めなければ当然聖書も読めない。

牧師さんたちは字の読めない人のため、教会の壁に聖書の名場面を描き始めた。宗教絵画の始まりである

 

時代が降るとやがて壁画を描く人々は専門化していった。

親方師弟制度、そして職人ギルド。絵を描くことで金を稼ぐ専門家集団。彼らは芸術家ではなく職人であった。

彼らの稼ぎのもう一つは肖像画である。昔の金持ちはよく肖像画を描かせた。我々が写真館で証明写真や753の写真を撮るように、彼らは自分家族の肖像画を描かせたのだ。当時の絵描き写真屋の代わりであったと言える。

写真から出発した西洋美術がよりリアルに、より精密に、表現が発達していくのは歴史必然であった。

  

長い時が流れ1866年、「笛を吹く少年エドゥアール・マネはあえて背景を描くのをやめた。マネは絵をデザイン的に捉え、少年の赤い服を魅き立たせる補色を背景に置いたのだ。

 

絵はもっと自由で良い。

 

マネ写実主義から印象派へと人々を導いた。「印象派の父」として知られる。

 

 

『あえて背景を描かない』

 

現在では手抜き絵と呼ばれる

 

 

anond:20231027224113

2023-06-30

名画の凄さって何よ?って言うと、歴史的位置けがスゴイんだという人もいれば、理屈抜きの迫力があるという人もいるらしい。

おれが超うっすら聞き齧った方法論に、作者の意図に基づいて作品に設定された目的を想定して、その達成の度合いをなるべく客観的吟味しつつ出来を評価するって考えもあるらしい。妥当といえば妥当な感じもするし、この理屈のもの自明さを考えれば果たして客観的と言えるのかとも思う。

そもそも美術って明確な目的を持つ道具でしかないのかよ。そんな割り切っちゃっていいのかよおれたちはよ、みたいな素朴なアレも感じる。

この間どっかで贋作展みたいなのがあったらしいけど、純粋に絵としてのスゴさなるものがあるなら、精巧な偽物をまじまじと眺めた時の感動は本物から得られるそれと変わらないはずだよねって思う。

それはそれでスノビズムから距離を置いて感覚的なものと向き合っている感じがするし、どこか誠実にすら思う。ただその光景に一切マヌケさを感じないかと言えば嘘になるし、この違和感が名画の名画たる所以へのヒントの一つかもしれない。

金という物差しを持ち込むのも無粋だけれど、純粋イラストのもの物質としての絵にだけ価値があるのならオリジナルコピー品も同じ値段がついてないとおかしいしね。

ただこれは名だたる画家が直々に絵の具を乗せたキャンバスという物質込みでの話で。更に周縁を捨象して、純粋視覚情報?にまで抽出した時、絵の価値を問うたらどうなってくるんだろう。

全然詳しくないけどNFTってこういう話をしてたりするんだろうか。

まあ素人がぱっと見でスゴイ作品だと思えるほどの何かを秘めているのなら、ゴッホだってもっと早く評価されてたでしょって思うよね。

素人が、とは言ったけど絵の専門家でもあんまり変わらないんじゃねって思う。

自分で絵を描いているから、沢山の絵を見てきたから正確な審美眼を持つ、というのは単に技術面における話に留まると思う。何を感じ取るかは鑑賞する主体問題、客体との関係性が噛んでくるから、単に絵が持つ特性だけでは語りきれないものになるだろうし。この絵はこの辺がこうだという叙事的なディスクリプションまではある程度客観に立てても、名画かどうかまで踏み込めば一個人の感想になってしまう訳で。

絵の技法歴史に詳しいから、真に感情を揺さぶる名画か否かのジャッジにも正当性があります。ってのは理屈としてあんまり成立してないよねって思う。これはおれが勝手に名画の要件を決めちゃってるけど、じゃあ誰が決めれば正当なんだよって話で。

ナイトホークスを見て「人をブチ殺して回りたいという作者の情熱を感じました」と思うのはズレてるかもしれんけど、孤独を感じるのと心安らぐ静けさを感じるのではどちらが正解とも言い切れんと思う。

素朴に良い作品だなと思えるか、そういう感覚的な部分以外で絵を語るのってなんか無粋な感じがしてあんま好きじゃない。言葉の先を期待してるからこそ言葉以外の媒体表現しているのだろうし。

でもそうなってくると自動生成の絵も人が描いたものと全く対等で、やたら時間をかける分人間の方がカスですって話にもなるのかもしれないな。今まさになってるのかもしれんけど。

そう考えると、おれは人の手のヌクモリティがさァ!と言いたいかもしれない。歴史を踏まえた斬新さとかにあんま興味ないけど。

カメラ写実主義とかで色々あった頃とかも新しい道を模索したんだろうし、今後も人が絵を描く事の意義というのは問われ続けていくんだろうか。

おれは別に絵を描かんけど、他人にどう言われようが本人にとって描く事に意味があると信じられるなら、それだけで価値がある事だと思う。その価値はその人だけのものだけど、人生なんて自分の信じる価値に従えるかどうかが全てだろうし。

そういうスタンスが好きという話であって、そこから出力された絵をつまんねーと思う事も当然あるだろうけどね。

2022-12-06

手描きイラストAI生成イラスト関係絵画写真のようなものであって、アナログ筆とデジタル筆の違いではないわな。

写真というもの絵画とは全く異なる新しい芸術の分野を拓いたように、AI生成イラストもこれまでの手描きイラストとは全く異なる新しい芸術の分野を拓いていくだろうし、写真の登場によって写実主義がほぼ淘汰されたように、手描きイラストでも淘汰されていくジャンルは沢山あるだろうが、大局的には手描き技術AI生成技術は全く異なる進歩の道を歩んでいくだろう。

2022-04-04

男だけど雑食腐女子には確かにむかつく

田亀源五郎もだけど無駄デフォルメされまくったやつでもhshs出来る奴も嫌い

写実主義からかな?でも写実すぎて体毛濃いのも嫌

2021-02-15

anond:20210214075825

写実主義を拗らせすぎてるこういうオタクってデフォルメとか抽象化とかが理解できないアスペなのかな?と思うことがある

そんなにリアルを求めるなら見るのはアニメじゃないほうがいいよね

あとネット民考察って基本的に本当の意味考察じゃないよね

自分の願望と妄想を話してるだけ

2021-01-06

anond:20210106162530

デザインに正誤などない。ピカソが正しいこともある。

写実主義ではないということはあるが、最初の頃に詰めたとおりで、最後までいくのは発注側の段取りスキル問題

2020-08-17

アルフォンス・ミュシャ前後ってどんな人が居るん?

壁画

???

アルフォンス・ミュシャ

???

漫画

って歴史しか知らんのやが、いい加減前後にどういう物があったのか把握したい。

あくまで興味あるのはアルフォンス・ミュシャだけなんで、宗教画という物があって印象派写実主義の戦いがあってとかそういうのは全部どうでもいいので。

2020-02-27

anond:20200227073153

あれは、印象主義派の萌え絵であり、

写実主義派の萌え絵はわりと自然な膨らみをしているぞ。

2020-02-17

anond:20200217141230

せやな写実主義定義があるからデフォルメ2頭身アニメ写実主義に当てはめて「人間人間として描くことすら出来ない駄作」って評価してもいいけど、それをするのはキチガイってだけだよ。

2019-11-12

デジカメのゆくえ

デジカメ販売、8年で7割縮小 岐路に立つカメラメーカー

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191110-00144957-bcn-sci

フィルムカメラ時代が終わり、デジカメ時代が来た。それと時を同じくしてケータイカメラが普及し、スマホの普及とともに常にカメラを持ち歩く時代となった。

現在デジカメ商売敵はスマホカメラであるように思われる。

単純にレンズ等の性能はそんなに変わらないようだが、スマホカメラあくまでも付属であるのでレンズの大きさに限界があるので、デジカメに優位性があるとしたらそのあたりか。スマホカメラに1眼レフはありえない。

しかiPhone11能力を見れば、デジカメというのはあくまでもフィルムカメラの延長線上にしかおらず、スマホカメラとは立っている道が異なると考えざるをえない。

iPhone 11 Pro Max」のカメラがどれほどの性能を持っているのかを専門家が徹底レビュー

https://gigazine.net/news/20191108-iphone-11-pro-max-camera/

普通にレビューしようと思えばこんな感じの記事だと思う。しかし私が簡単し、新時代を感じたのはこんな話ではない。

iPhone11トリプルカメラ写真なのに奥行を撮影する。

Facebook3D写真機能を公開。iPhoneポートレートモード写真を使い立体的に表示

https://japanese.engadget.com/2018/10/11/facebook-3d-iphone/

(以前、Twitterでより良いツイートを見た覚えがあるのですが、そのツイートを見つけられませんでした。見つかったら差し替える、かも)

これはFacebook機能として紹介されているが、iPhone撮影された写真しか対応しない。これはFacebookが作り出した機能ではなく、iPhoneが持っている機能Facebookを通じて他端末でも使えるようにしただけだからだ。

iPhoneダブルレンズトリプルレンズを通じて、写真を立体的に撮影している。iPhoneで撮った写真を加工しようとした際に、背景だけボカすといったような作業が容易にできるのだ。

カメラでなにかを撮影しようと思ったときに、背景と対象物、べつべつに撮影しようと思ったことがありますか? その時にはどうしますか? 従来ならばスタジオでバックは無地で撮影したものと、実際の写真を合成していただろう。iPhone、とりわけ11proは何気なくとった写真でも対象物と背景をその距離感から分離することが容易にできる。

トリプルレンズはそのために必要だが、それがあるからといってこういった作業可能になるわけではない。

可能にしたのはソフトウェアというわけだ。

もはやカメラの性能勝負において、レンズその他ハードウェアの優先度は落ちつつある。これは能力的に頭打ちが見えているというのもある。だがそれ以上に「新しい発想」と「それを実現するソフトウェア」の比重が大きく、その後にハードウェアが付いてくる。

スマホカメラデジカメが違う道の上にいるというのはそのあたりだ。

未だにハードウェアを追い求めるカメラメーカーは、このままでは新しく台頭してくるソフトウェアも手掛けるメーカーには勝てない。彼らは新しい、従来のカメラでは実現不能能力勝負を仕掛けてくる。

これはもちろん、「ありのままを残す」ことを目的とした旧来のカメラと「加工することを前提とした写真である現代事情の違いもあるだろう。しかしそれは言うまでもなく時代の流れというものである

商売をしている以上、時代の流れは無視できないものであり、それに乗るつもりがないのであれば衰退するのは必定であろう。逆らうためには尋常ならざる努力のもと、新たな潮流を作るつもりで立ち向かわなければならない。


~~~余談~~~

歴史をひもといてみると、平安のころの姿絵などありえないような恰好をしているものだが、Matt化などは極端な例であるが良い実例で、過去の人も同じことをしていたのではないかと考えられる。

そう考えると昭和平成写真事情は「写実主義」であったと言える。現代の加工された写真もまた、後世においては何か名前をつけられるのだろうか。

2019-08-17

人生とは

写実主義画家太陽を描くため、太陽を見続けたので失明をしてしまった

まりそういうことだ

2018-09-24

16 ルネサンス

モンテーニュ『エセー』(70)

17 古典主義・理性尊重・豊かに

デカルト

パスカル

ラ・ロシュフコー箴言集』(95)

ラ・ブリュイエールカラクテール』(98)

18 擬古典主義啓蒙主義ロマン主義

モンテスキュー

ヴォルテール 文明最高/人間クソ

ルソー 文明クソ/人間最高

19 ロマン主義写実主義自然主義象徴主義

セナクール『オーベルマン』(142)

アミエル『アミエルの日記』(143)

ヴィニー『軍隊服従と偉大』(148)

ネルヴァル『火の娘』(160)

バルザック人間喜劇』(168)

スタンダールアンリブリラールの生涯』(173)

フロベールブヴァールとペキュシェ』(188)

ゾラルーゴンマッカール叢書』(202)

モーパッサン脂肪の塊』(204)

レオン・ブロワ絶望者』(209)

20 資本主義世界大戦

ロジェ・マルタン・デュ・ガールチボー家の人々』(235)

サン=テグジュペリ人間の大地』(242)

サルトル

カミュ異邦人』(260)

構造主義

その他

フランス名詩選』 岩波文庫

肉体の悪魔』 レイモン・ラディゲ

狭き門』 アンドレジッド

ボヴァリー夫人』 ギュスターヴ・フロベール

フランス小説の扉』 野崎 歓

モーパッサン短編集』1~3

2018-01-04

anond:20180103235053

隕石群が落下するスパークルCMでも使われてるシーンが実はCGじゃなくてアニメーター手書きってことを知って、うーんと思ってしまった

写実主義?みたいに超リアルに書く絵があるけど、アニメにおいてCGと見分けつかないものをわざわざ手書きする意味ってないと思う

電子工作と同じでCGでやればいいじゃんといってはいけないんだろうか

でもせっかくの手書きなんだから手書きしかやれないところに力入れればいいのに、と思った

2017-08-12

写実主義

の絵が好きなんだけど、現代になって写実主義が衰退して抽象画が幅をきかせてるのってやっぱりカメラの出現によるものなのかな

写実主義なんて写真でええやん、それよりも頭おかしいやつら(褒め言葉)に突拍子もない絵描かせたほうがオモロいわ、ってことなの?

2016-01-08

http://anond.hatelabo.jp/20160107195726

「俺はそれを知っている」という自意識を介在させて見ているから、そういう心理に陥るのではないか。

すこし余計なお節介、いやお説教をさせてもらいたい。その高尚な自意識を消し、赤ちゃんのような無地でフラット心持ちで鑑賞するスタイルを会得すれば、きっとレパートリーは広がる。この手の自意識は、「SFとしてはガバガバ」「何々のパクリ」などと言い放ち勝手に冷めてしまアンチ気質の人々と同じ種類のもの。そんな上から目線で、あまつさえ「あぁ、今だけ受ければそれでいいんだな」なんてメタ目線で作者と対決するような物腰では、作品に込められた繊細な表現演出意図を取りこぼし、美点を感じ取れずに素直に感動できなくなってしまうだろう。

作品鑑賞は自分と作者の知恵比べではない。美意識の対決でもない。そういう楽しみ方をする人もいるかもしれないが、元々は作品自体を楽しむために見ているはずだ。

作品鑑賞とは、作者のノリに合わせることで、作者の作りし世界に没入しようとするごっこ遊びだ(小説好きな人はこの能力が高い)。とはいえ、ごっこ遊びが苦手な人でも、没入できる作品はある。矛盾のないように記述を凝らした、完璧主義脚本ならば、誰でも没入できるのだ。とくに海外の大作あたりなら、必然的精緻上品ストーリーになる。文化の壁もあるから「俺はそれを知っている」状態も起きにくい。でも、そういう創作姿勢は、一つの意識ではあるものの、絶対正義ではない。絵画でいうと写実主義だけを評価するようなものだ。

幼児と会話するときあなたはどう意思疎通を図るか考えてほしい。その時のあなたは柔軟に好意的に欠落を補完しようとする。その時と同じような創造的な姿勢が、作品鑑賞をする読み手にも求められるのだ。なぜなら、作品というもの幼児に等しいものから。それほどに、独自世界観を持っていて、少しずつしかその全容が見えてこない存在であるからだ。そう捉えてもなお、作品と向き合うのが厳しいと感じる、あるいは得たものが少ないと感じるなら、それはあなたには合わない作品なのだ対象読者ではなかったのだ。そうしてただ去ればいい。でもそれは寂しいことだ。寂しさを生んだ原因を作品だけに求めないでほしいと思う。

2015-09-15

http://anond.hatelabo.jp/20150915131300

写実主義 と 印象主義の違いだと思います

写実主義者の一番の目的は「現実を描く」ことです。

写実主義者は現実生活、人々の本当の暮らしが一番美しい、空想ではないリアルのな人の営みを描きたいと考えています

当然、メインキャラモブで絵柄が違うなど言語道断です。


一方、印象主義は「写真を写したかのように、そのまま」よりも、彼らの目を通して、どう写ったかを描いています

その世界観においては、モブモブしかないのです。

モブはどうでもよいのです。。だってモブなんだから

2014-05-25

今更、風立ちぬを見たのだが。

風立ちぬ劇場で見てきた。当方海外在住で、話題が古いのは許してもらおう。そして、なんだこりゃと思った。

主人公台詞棒読み。朴訥とした人柄を表したかったのかも知れないが、かなり違和感がある。あんな棒読み風に話す実在の朴訥とした人物はいない。

少年の頃の夢に没頭する話なのか、悲劇ラブストーリーなのか、何を主張したい映画なのか良く分からん

・どちらか絞らなければならないわけではないが、映画製作側と観客の共同作業というか、こちらも趣旨が分かればどんどん乗っていけるのだが、本作ではそこが分からず非常に乗って行きがたかった。

・2次大戦日本代表兵器ゼロ戦。作中で設計屋は兵器か否かではなくより良い飛行機を作りたいだけというエクスキューズが入っており、登場人物もちょくちょく戦争否定的な発言はするものの、ゼロ戦の開発を夢とした男を主題として取っているので、どうしても言い訳がましく聞こえてしまう。宮崎監督は極端なくらいリベラル側だということを知っているが、監督反戦平和主義だと良く分かっている視聴者にとってすら、兵器の開発に没頭している主人公には感情移入しにくい。

結核の奥さんに冷たすぎないか?ラブストーリーはいえないように思う。

英国で見たのだが、こちらの価値観だと仕事より奥さんを取るのが一般的なので、日本でも今ならそうだと思うのだが、英国人が日本人価値観というものはこういうものだと誤解しないかハラハラした。

・夢>奥さんというのが最も残った印象なのだが、監督の主張したかったことはそういうことでいいの?勿論、そういう趣旨なら描写成功したということになるけど。そして、一つの考え方としてはあるのだろうけど。

・妻は昔の日本、今の老人世代男性理想とする都合のよい女の描き方に思えて気持ち悪かったと言っていた。それもまた極端な見方だとは思うけど。

結核の奥さんの横でタバコを吸うのはどうなんだ?そういう時代だったからそういう描写にしたと言う主張は百も承知だが、もともと写実主義映画でないので、わざわざそこだけそういう描写にする必要あったのかな。

原作読んだことないが、夢の中と山荘の2人のデフォルメされた外国人原作にも出てくるの?ちょっと見ていて恥ずかしかった。

淡々としているが、そこが魅力的なのかというと、一方で夢の中の突飛な描写が繰り返され、淡々は魅力ではなく単に盛り上がりにかけているように思えた。映画の中には風が微風くらいしか吹かなかった。

悲劇もっと描くのかと思ったら、奥さんは山に帰りましたと。あとは夢の中で登場と。んんん?原作がそうなの?勿論直接的だけが演出ではないけど、輪郭から描き出す力も弱いような。少なくとも感情を揺り動かす力は弱いよね。

というわけで、非常に長く感じてしまった映画でした。英国映画レビューサイトを見ると、5段階で4ちょっとくらい。良い評価なんだろうけど、肯定レビューほとんどの言及が映像の美しさ。なるほどね。日本人は綺麗なアニメは見慣れてしまっているし(その中でもジブリはやっぱり凄いけど)、日本里山風景を見るのも珍しくはないけど、外国人にはあんなに綺麗なアニメ風景と言うのは凄く新鮮なんだろう。

本作をもって監督引退されたと聞いている。引退する投手がもう130km/hくらいしか出なくて打たれまくって火ダルマになっても、最後まで投げることができて満足、本人も世間引退に納得というか、そういう意味作品とすれば確かに巨匠最後作品にふさわしいのかもしれないと思いました。宮崎監督作品は、魔女の宅急便くらいまではきちんと見たのだが、それ以降はTV等で見る機会はあったものの、途中で寝てしまったりして、今回は日本映画を観たくて映画館に行ったかなのだが、見切ったのは久しぶりだと思う。

初期作品ナウシカは、監督が頭の中にあんな空想世界を構築していたのかと思うと、深海とか蟲のデザインとか、その発想力は恐ろしくもあり、天才だと思う。今でこそそのプロットは手垢がついてしまたかもしれないが、それだけこの作品の影響は大きかったのだろう。漫画版は、最後グダグダが残念なので、映画版くらいがよいのかもしれない。この1作だけでも宮崎監督天才性は語り継がれていくのだろう。

2012-07-04

http://anond.hatelabo.jp/20120703232756

写実主義と印象画派を比べて是非論をしているような違和感を感じる。

ぬるぬる動く が いわゆる 印象画派であることはみんな知ってると思う。

2009-11-03

http://anond.hatelabo.jp/20091103203634

規制が少ない、アナーキーなものであることの何が悪いのか、さっぱりわからない。

短歌や何かのような、一定の制限規則下での表現を楽しむことを否定するつもりは無いけれども、その逆の、混沌の淵から湧き上がってきたような表現もまた別の良さがあるんじゃないのか?別にエログロに限らず。

また、その評価は、制限規則下にある作品とは異なっているべきなのは当然だし、その作品の追求する方向性に応じたものでなければならない。後期ピカソの絵画を写実主義の観点から評価することの滑稽であるのと同じ。また、その対象も重要になる。大衆向け作品であれば、大衆欲望により迎合することは、より理に適っており、大衆の求めぬほどの難解さや芸術性をのみ追求することは、全くもって無意味であるばかりか、害悪でさえあると評価されねばならない。もちろん、芸術性を秘めた大衆向け作品もあるだろうし、そういった作品は相応に高く評価すべきだろうけど。

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