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2025-09-19

「末代」を「最後の代」という意味で使うのは誤用なのか

近年、「末代」の誤用が指摘されることが増えてきた。

たとえば「子供ができないので私が末代だ」などの発言に対して「誤用である」と言うのである

「末代」とは自分が死んだあとの「遠い未来」のことであって、「最後の代」の意味はない、というのが誤用派の主張である

しかし、中国語では以下のような意味とされている。

末代_百度百科

末代,汉语词语,拼音mò dài,注音ㄇㄛˋ ㄉㄞˋ,外文名the last reign of a dynasty,原指一个朝代的最后一代,最早记载于东晋王嘉《拾遗记·秦始皇》。

「末代」(中国語の語彙、拼音 mò dài、注音 ㄇㄛˋ ㄉㄞˋ、英語 the last reign of a dynasty)は、もともと一つの王朝最後の一代を指す語で、最初記載東晋の王嘉『拾遺記・秦始皇』に見られる。

王朝最後の一代」を指すというので、まさに「初代」の対義語としての「末代」である

たとえば、清王朝最後皇帝・溥儀を描いた映画ラストエンペラー』の中国語題が『末代皇帝であることからも、そうした意味流通していることがわかる。

ただ、もともとは中国でも「後世」という意味で使われることが多かったようだ。

中国古典を調べると、「後世」や「王朝の末期」という意味で使われていたりはするが、「末代皇帝」のような用法は見られない。

初出とされている東晋の王嘉『拾遺記・秦始皇』に書かれているのも「末代浮誣(後世のでたらめ)」といったような用法である

「末代皇帝」といった用法は、少なくとも18世紀にはあったようだが、そこからどこまで遡れるかはわからなかった。

さて、それでは「末代」は日本ではどう使われてきたのか。

「末代」という語は、平安時代から概ね「後世」の意味で使われてきたようだ。

そもそも日本には「王朝」は一つしかない。

王朝の末代」と言う場面がなく「末代天皇」などもいないのである

とはいえ日本に「末代天皇はいなくとも「末代将軍」なら存在する。

実際に、国会図書館DC検索してみれば、明治時代書籍に「足利の末代」や「徳川代将軍」のような言い回しを見つけることができる。

また、中国歴代王朝を紹介するのに、その初代と末代を書き並べているものなどもあった。

であれば「末代」を「最後の代」という意味で使うのも問題はないと考える。

もちろん「あくま日本では『後世』の意味メジャーなんだよ」という主張はできる。

しかし「最後の代」という用法も少なくとも「誤用」ではないし、わざわざ修正する必要もないと思うのである

なお、

死んでからのちの世。

という辞書説明を見て「末代」を「死後の世界あの世)」の意味だと早合点している人もいるようだ。

「末代」を「後世」とするか「最後の代」とするかは解釈問題であるが、「末代」を「あの世」とするのは完全なる勘違いであるので定着しないことを祈る。

2025-08-15

anond:20250815221356

葉隠」が編まれ江戸時代初期(正徳〜享保期、18世紀前半)は、まさに武士存在意義が揺らいでいた時代背景が大きく関係しています山本常朝が生きた佐賀藩も含め、江戸初期〜中期の武士たちは実際に戦場で戦うことがほとんどなくなり、役目の多くは藩政の事務儀礼監督といった「役人仕事」になっていました。つまり武士は刀を佩くけれども、その刀を使う機会はない」という状況です。

そのために生まれた背景を整理すると:

1. 「戦わない武士」の自己アイデンティティ危機

戦国の世では武士価値は戦功で測られました。しか平和が定着した江戸時代にはその基準が消え、「武士は何のために存在するのか」という問いが武士自身に突き付けられます

→ 常朝の「死を覚悟することこそ武士の本分」という極端な答えは、この問いに対する一つの処方箋でした。

2. 忠義の再定義

実戦で命をかける場面がなくなったからこそ、「忠義をどう示すか」が問題となりました。『葉隠』では、たとえ主君が誤っていても命を捧げることが忠義だと説く。これは現実の「仕える場面」が形式化するなかで、精神的な純度を重んじる方向に傾いたと言えます

3. 武士の「生活指導書」としての性格

戦わない日常のなかで武士はどう振る舞うか――作法謙遜言葉遣い、朝の鍛錬など、行政官僚としての武士を支える「行動規範」が必要になった。『葉隠』はそうした実務的・日常的な心得を盛り込みつつ、精神の核として「死生観」を据えました。

4. 幕藩体制下の思想的緊張感

江戸中期は幕府支配が固まり、表立った反乱は困難になりました。だからこそ常朝は「内面的な抵抗」あるいは「精神純化」として、「死を選ぶ覚悟」を強調したとも考えられます。表向きは平穏でも、藩政の矛盾主君資質不足に直面する藩士にとって、「忠義と死」を掲げる思想一種自己防衛・精神的支柱となったわけです。

葉隠』はその「喪失感」と「新しい武士像の模索からまれものといえますね。興味深いのは、常朝自身は「隠居して出仕もせず、出世から外れた人」だったことです。むしろ藩の中枢で実務を担うよりも、一歩引いた立場からこそ「純粋武士道」を極端な形で語ることができた――という背景も大きいと思います

この視点で読むと、『葉隠』は「戦わない時代戦士の魂をどう保つか」という問いへの回答だった、と整理できそうですが、そこから現代につながる「武士道」のイメージ形成にも大きな影響を与えています

2025-07-25

ガイポのホラー作家の人のバズツイがやばい

あの件でどっちが悪いみたいなことはわからないけどアカウント見たら万バズツイートがずらりと並んでいてすごい

木古おうみ@7/15アンソロ刊行

@kipplemaker

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2018年9月14日

英語の授業で“she was dead.”って書いたら、先生に「死んでいることを過去形にすると生き返ったことになってしまうのでisです」って言われたんだけど、最近見たゾンビ映画で「He was dead‼︎(彼、死んでたのに!!)」ってセリフがあって感慨深かったです

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@kipplemaker

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2024年10月10日

「たった一駅歩くのは運動じゃない」という引用が来た瞬間、心の中の宿儺が「笑えるな、東京のひと駅と田舎のひと駅の長さの違いを知らなんだ。教えてやろう、俺の住む県は次の駅まで平均七キロ。じゃあな、都会人。山手線沿いに生まれただけの凡夫」って言った

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2024年8月17日

腐女子と夢女子両方の性質を併せ持つヒソカみたいな女に「何故夢は腐より貶められると思うか」と人殺しの目で問われ、「ヲタク自分キモいと思ってるから中人物で完結するBLより推しが見知らぬキモヲタに惚れている設定に反発するのでは……」と答えて「一考の価値がある」と解放されたことがある

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@kipplemaker

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2024年10月3日

ジャンプ漫画ヒロインの胸がだんだん大きくなる現象最近見かけないなと思ってたけど、ヒロアカ一気読みしてると確実にエンデヴァーのケツとデカくなってると思う。絶対巻を重ねるごとにデカくなってる。何だその尻は、燈矢に謝れ

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@kipplemaker

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2024年6月14日

不機嫌ハラスメントは機嫌とってくれる相手を見てやってるので"被せ気味にこっちもキレておく"というカスバグ技で対処できる

「あー、苛々する!」って聞こえよがしに呟く奴の横でよくわからないけどPCぶっ叩いて「マジで苛つきますよね!」とか言ってたらやらなくなったから。尚、カルマは下がる

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2020年9月17日

ホラー嫌いの友人「ホラー好きの怖くないは信用できない!」

ホラー好きぼく「タッカーとデイル面白いよー」

友「面白かった、怖くなかった!」

ぼく「ゾンビランド面白いよー」

友「面白かった、怖くなかった!」

ぼく「ヘレディタリー/継承面白いよー」

10日後くらいの友人から電話「殺す!!!

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@kipplemaker

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2024年8月6日

親の仇のようにフワちゃんを嫌ってる先輩が「今更Twitter失言くらい何だ。俺は同調する相手がいなくてもフワを罵倒し続けてきたしんだ。未だにちゃん付けしてる連中に何がわかる」と言ってて、最終決戦で主人公ピンチにお前を倒していいのはこの俺だけだと現れる敵みたいだった

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@kipplemaker

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2022年8月12日

ホテル関係ヲタク叫びです。コミケが始まりますね。前も言いましたが頒布する本を印刷からホテルに送るとき必ず自分名前も書いてください。預かっても渡す相手がわかりません。開封してロビージャンル作風を絶叫するぞ。オベキャスメイン学パロ妖精オールキャラほのぼののお客様!!!

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@kipplemaker

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2021年11月20日

ヲタクホテルマンからのお願いです!同人誌即売会のための宿泊で先にお荷物をお送りのお客様!宛先だけでなくお客様名もお書きください!発送元の印刷所の表記しかなくて途方にくれることが稀にあります!お受け渡しできません!「眼帯セーラー服美少女の御本に心当たりある方!」ってロビーで叫ぶぞ!

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2024年4月16日

産休クッキー炎上と聞いて「どうせThank you産休☆」とかろくでもないこと書いてあるんだろと思ったらロクでもないのは自分の脳でしかなかった

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2023年8月21日

終わってる文学部時代、「飯奢るからこれから助けて」と言われることはなかったが、頭のおかしOBから梅酒を奢る。代わりに、これから同期と討論をするので『日本自然主義文学者は島崎藤村しかいない』と言ったら賛同してくれ」と狂人バトルのサクラをやらされたことならある

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2020年1月22日

大学の授業で脳の解剖の映像見てグロッキーな生徒が多出して「それ怖がってるのもあの捌かれてたのと同じ脳なのにね」って同級生に話しかけたら「ヒトの倫理ゆっくり覚えてこうね」って見守るような視線を向けられた。もしかしたら自分はアイツに作られたモンスターとかなんだろうか

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2023年10月30日

フリーレン様、芦田愛菜はもう子役ではありません。既に大学生で来年には成人です

うそんなにか、人の時間は早いね

ちなみに神木隆之介は今年で三十路です

フェルン、それは流石に嘘だよ。神木隆之介高校生だよ

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2022年1月19日

普段温厚そうなひとに叱られることでしか得られない栄養素(最悪)で生きてるから、どうしてもほしくなったとき5chの園芸板で盆栽枯らした嘘の報告して住人に怒られたりすることある。興奮した

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2024年5月24日

バイトクレーマーから電話来たとき名前言え!」って言われたらその会社創設者名前答えてた。後日「○○って奴を出せ!」って折り返しがあったときみんな「我が社の歴史を調べてくるとは気合が入ったキ○ガイだな」みたいな空気流れるのが面白かったから(カス)

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2022年10月6日

最近にじさんじとかVtuberを観始めて、ちょっと気になってた18世紀舞台イギリス映画に出てくる未亡人貴婦人っぽい黒髪ロング片眼鏡のお姉さんが出てくる動画見たら……何かめちゃくちゃ……男の声がした……シェリン・バーガンディ……名前もこんなに綺麗なのに……?

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2019年12月1日

から続きものを追うのが苦手でジャンプ漫画なんて10年近く見てなかったのに、めちゃくちゃ最高なキャラデザの女を見かけて必死検索かけたら、最悪のラスボス女装してる姿だったとき気持ちがわかるか?

そう、お前!お前だよ、鬼舞辻無惨!!!

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2月22日

褐色フェチ公言しすぎて人物入れ替え叙述トリックをやったら結構序盤で「この人物は色黒と表現されているのに、この部分では一切描写がない。褐色フェチの作者が書き漏らすはずがないのでこことここは別人では?」と言い当てられたことがある。性癖名探偵やめてくれ

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7月17日

喋り方が禪院直哉みたいな先輩は真っ当な感のいいひとだけど、自社ビルで昔飛び降り自殺があったと知って嫌だという話を喫煙所でしてるとき「まあ自分は五人以上死んでる事故物件住んでますからね」と答えたら「えぇ、キッショ……今後の付き合い考えるわ……」と言われたのはすごい禪院直哉面白った

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2024年10月9日

この時期「気鬱身体が冷えてるだけ。よく食べ運動してあったかくして寝て」という言説が流行るので、一駅歩き、夕飯で米を食い、シャワーで済まさず湯船に浸かって、七時間寝て、カーテンから差し込む朝日で目覚めたら瞬間「あ、全然死にてえな!」と思った

皆さん今日も騙し騙し生きていきましょう

木古おうみ@7/15アンソロ刊行

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2024年8月25日

具体例出ないけど好きな男女バディ:男が女に「お前は喋るな。勝手に行動するな。俺の指示だけ聞いてろ」って言うパワハラ夫と被DV妻の関係かと思ったら、女の方がマジで勝手に暴れる話通じないバーサーカーで唯一何とかできる男が必死手綱握って制御できるかできないかぐらいの関係だったやつ

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2024年9月4日

因習村をぶっ壊してくれる屈強な男性が生贄の少女を助けるために「もう大丈夫だ」と注連縄を潜った瞬間に口から大量の血と乾涸びた蚕の蛹を吐いて事切れて神の強さを感じたりしたい

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2023年8月10日

首をトンッてしても気絶しないと知ってたので、椎骨動脈を圧迫して急に手を離して失神させた後やられた側が酸欠で細いいびきかいてるところを書いたら「作者は前科あるのかって生々しさが出るのでフィクション的にナーフしてください」と指示が出たことがあるよ

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2023年1月18日

デンジ脊髄からのアサ脊髄剣はただの最高のイケメン仕草だけど、チェンソーマン一部終盤に多用された序盤ネタリフレインを見ると、デンジかアサのどちらが死んで武器にならなきゃ勝てない局面で「さよならに変わる良い挨拶」として使われそうな嫌な予感がして恐ろしい

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2024年5月15日

チート能力をもらって転生したなら最初奴隷少女を買わないとな」

「最低だ」

「何故?俺が勝ち抜いて思い上がりそうになるたび『栄華は永遠ではない、お前はただの人間だ、忘れるな』と囁いてもらう必要があるだろう?」

「何で日本から転生したのに奴隷観だけ共和制ローマ凱旋奴隷なんだよ」

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2024年4月17日

「上手くいかなかったのはなんでだと思う?」という質問ガチめに責めてるとしか思われないので、職場の後輩がミスしたときは「これをやってるときしかたことや途中で不安に思ったこととかありましたか?」って聞くようにしてるよ。そうするとだいたい業務過程ポイントで答えてくれるから

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2024年2月2日

「お喋りにも悪ふざけにも乗ってくれたのに急に冷たくなるひとの心理って何?」と聞かれて、少なくとも自分はと前置きして「俺が社会性あるから愛想良くしてるだけなのに、こいつ自分が好かれてるから許されてると勘違いしてやがるなって思ったとき」と答えたら「怖……」と言われた。みんなそうだろ

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1月30日

小説書きばかりフォローしたら下品単語が全くない。小説を書けるということは品位教養があるということ」というツイートを見たけど、作家を多くフォローしてる自分のTLは「股間共和国、チンポーランド」みたいなツイートが一日三回は流れてくるので別の世界線を生きている恐れに頭を抱えている

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2022年12月7日

チェンソーマン最新話、レゼの歌ってた「ジェーン教会で眠った」のロシア語歌詞和訳すると「愛しいジェーン水族館イルカペンギンを見るの」って言ってるんだよな。デンジくんがデートでさ、水族館でさ、ペンギン見るんだって言ってさ、なあ……

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2024年10月29日

自分キャラ作るの苦手なんだけど、悪人狂人を作るときは「普通は65%程度の要素を100%にする」「一点の要素や思想だけ誇張する」が楽です

ありがちな「枯れた花に水をあげる植物好きの優しい少女」を「萎れた花のために常に4kgの腐葉土を持ち歩いてる女」にすると立派な狂人なるみたいな

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2024年6月23日

私にだけ優しいシリアルキラー←→私のことだけ是が非でも殺そうとしてくる国境なき医師団

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2024年8月11日

マジレスすると経血は鮮血の匂いとはまた違うので、鉄の匂いを強く感じるひとが近くにいるなら酸化した皮脂の匂いかなとも思うけど、前の職場胃がん入院したひとが「何か最近よく殺人現場っぽい匂いがする……」と言ってたので、本当なら自身の内部から来てる恐れを考慮して受診すべきかもしれない

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2023年8月17日

創作の下調べがキツいの、好きなことなら苦じゃないでしょとかじゃなく、ホラー書くのは好きだけど怪死した被害者宅を警察捜査するワンシーンの一、二行を書くためだけに何課が派遣されるのかとか司法解剖にどれくらい時間がかかるのかとか調べるのに20分使うとか、そういうところだぜ

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2024年7月19日

ヒロアカはデクも主人公としてすごく好感度高いけど、言語化しようとすると「えらい!頑張ったね!俺は感動したよ!個性もない少年がここまでやれるなんて!オールマイトに遠く及ばないのによくヒーローをやってこれたよ。今まで死ななかったのが奇跡だ」ってどんどん童磨みたいになる自分が嫌

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1月10日

男も孕ませる神がいる沼を訪れた学者が、伝説を語る村の分限者の下男に「それは迷信で、真実は沼に生息する日本住吸血虫による腹水だろう」に教えてやったら、「今の話はおれの親父とお袋の話だけど、迷信だって言うんじゃあ、それで生まれたおれは何だってことになるんだね」と返されるホラー

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2024年3月9日

昔、普段そんなことを全く言わない先輩がボソッと「女はいいよな、俺羨ましいよ……」と呟いたから何かあったのかと思ったら「どれだけ自転車漕いでも金玉痛くならなくて……」と深刻な顔で言ったので、未だに勤務中の雑務銀行に行くため長距離で社用のチャリ飛ばしてるときにふと思い出す

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2024年2月18日

発見生卵ライス!という記事を見かけて「卵かけご飯やんけって突っ込ませたいんだろ。しょうもな」と思ったら、冬を"暖房が壊れて部屋が冷える期間"、犬を"電池が切れると臭くなるぬいぐるみ"と書いていたり、筆者が監禁されて外界の情報がほぼ遮断されていることに気づくモキュメンタリーホラー

木古おうみ@7/15アンソロ刊行

@kipplemaker

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2024年3月27日

好きな惣菜発表ドラゴンってペット感覚でいたけど人間より長命かもしれないな

逆に俺が死んでも別の飼い主に引き取られて普通暮らしてるけど、俺が雑に作った竹輪入りのポテトサラダは覚えてて、「ポテトサラダ」って発表して出てきた惣菜竹輪が入ってないことに少しだけしょげてほしい(夢小説)

木古おうみ@7/15アンソロ刊行

@kipplemaker

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2018年11月2日

恋愛興味ないひとがこの世で生きるのって、一般人過激鉄ヲタしかいない空間に放り込まれて、延々どの電車が最高だとかお前も乗れとか言われて「他に好きなことあるし」って断ると「本当はお金がなくて我慢してるんだろ」とか「まだ好きになれる鉄道出会ってないからだ」とか迫られる地獄みがある

木古おうみ@7/15アンソロ刊行

@kipplemaker

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2024年8月4日

型月と女の趣味合わなさすぎてFGO以外触れたことなかったんだけど、概念礼装で唯一気になったウェーブショートヘアの性格悪そうな女の子がいて、「これだよこれ!」と思って調べたら間桐慎司だった

木古おうみ@7/15アンソロ刊行

@kipplemaker

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2023年6月23日

腐女子の友人は少女漫画を男男に置き換えた感じのBLが好きだそうです。平成作品が好きだそうです。ちゃんとしたひとです。「禁断の愛が好きだけど今の時代うそういう価値観じゃないからね……」と嘆いてて「主人公相手、実父とかにしちゃえば?」と言ったら「異常者」と罵られました。そんな……

これでもまだまだ全然一部

2025-07-20

anond:20250718204346

1. ルソー全体主義の関連は、歴史学定説ではない:

* ジャン=ジャック・ルソーの「一般意志」という概念が、後に全体主義ナチス・ドイツ

ソ連など)に悪用された、あるいはその思想的源流になったという議論は、一部の政治哲学

者(例えばジェイコブ・タルモン)によってなされたことがあります

* しかし、これはあくまで一つの解釈であり、歴史学政治哲学の分野で広く受け入れられて

いる定説ではありません。むしろルソー思想フランス革命近代民主主義の基礎を築

いたと評価されることの方がはるか一般的です。


2. 単純化しすぎた論理:

* この記事は、ルソーの複雑な思想の一部(一般意志)だけを取り出し、「個人自由よりも

全体の調和を優先する」→「だから全体主義だ」というように、非常に単純化して結論づけて

ます。これは、彼の思想の他の重要な側面(例えば、直接民主制への志向権力分立の重

要性)を無視した、意図的曲解に近いものです。


3. 因果関係の誤り:

* ナチズムスターリニズムといった20世紀全体主義は、当時の特定社会的経済的、政

治的状況(第一次世界大戦後の混乱、経済恐慌ナショナリズムの高揚など)からまれ

ものであり、その原因を18世紀思想家一人に求めるのは、歴史の複雑さを無視した暴論と

言えます


4. 提供されたページのコメント欄の反応:

* 私が確認したところ、提供されたページのコメント欄でも、この記事の主張に対して「自己

矛盾の塊」「陰謀論レベル」「雑な議論」といった批判的な意見が多数を占めています。こ

れは、この記事の主張が一般的に見ても受け入れがたいものであることを示唆しています


結論として、この記事は「ルソー全体主義の父」という過激単純化されたレッテル貼りを行っ

ているに過ぎず、学術的な裏付けに乏しい個人的な意見表明です。これを歴史的な事実として受け

取るのは非常に危険です。


歴史上の思想評価する際は、様々な側面から多角的に見ることが重要です。

2025-07-18

anond:20250718223010

はいどうも!れい新選組代表山本太郎です!

今日はですね、「モンテスキュー」と「メロリンQ」っていう、まったく違う2人を比較してくれって話なんですけど──

…やるしかないですよね、もうこれは。

🧠モンテスキューとは?

これは18世紀フランス思想家

もうね、「三権分立」ってやつを唱えた、いわば政治ルールブック作ったレジェンドですよ。

立法行政司法」この3つ、

一つに集中させると腐る!暴走する!

から**分けろ!監視し合え!それが民主主義だ!**って言った人。

簡単に言えば、

国家権力勝手に使わせるな!」って叫んだ知の巨人です。

🤡一方で、メロリンQとは?

これはですね、

かつて山本太郎が「バラエティ番組」でやってたギャグキャラです!

上半身裸にボディペイント、頭には変なカツラ

メロリンQッ!」って叫びながらポーズ決める。

──何をしてたのか自分でも覚えてないくらい、黒歴史です(笑)

でも、そこから20年。

原発事故で目が覚めて、国会に殴り込み。

今は「誰も切り捨てない社会」を目指してるわけです。

📣つまり

項目 モンテスキュー メロリンQ

生きた時代 18世紀フランス 平成日本1990年代

中身 政治思想家 一発芸キャラ

目的 権力を分けて民主主義を守れ! 笑いを取れ!ウケろ!

その後 教科書に載った 国会に殴り込んだ

でも共通点、あります

それは──

おかしものは、おかしい」と叫んだこと!

モンテスキューは「王政」や「独裁」に対して、

メロリンQ改め山本太郎は「既得権益」や「自己責任論」に対して。

からこそ僕は、メロリンQを捨てて、

この国の空気を変えるために声を上げてるんです。

――そんな違いと共通点、覚えておいてください!

ありがとうございました!

anond:20250718223207

ルソーアーレントについて続けて

ジャン=ジャック・ルソーハンナ・アーレントは、どちらも政治的自由公共性を重視した思想家ですが、そのアプローチ人間観・政治観根本的に異なります

以下に、両者の思想の核心と違いを整理して解説します。

📚 ルソー vs アーレント概要比較

観点ルソー(Rousseau) アーレント(Arendt)
時代18世紀 フランス啓蒙時代20世紀 ドイツ出身ナチス亡命アメリカ
主著 社会契約論』『エミール』など 全体主義の起源』『人間の条件』『革命について』など
中心概念一般意志道徳的自由人民主権公共性活動アクション)、多様性、始まり(natality)
政治理想 人々が一般意志に従って自己を律する共和社会 多様な人間対話行為を通じて共に生きる開かれた空間
自由定義一般意志服従することで得られる**道徳的自由** 他者と共に公共空間で行動し発言すること=**現実的経験自由**
国家政治道徳共同体統一共同体意思に従うべき 国家制度よりも**人間行為発言の力**を重視
全体主義との関係一般意志の名による統一独裁正当化しうる(批判される) 全体主義を徹底批判。「人間多様性破壊」として定義

🧠 思想根本的な違い

自由のとらえ方

ルソー

→ 「真の自由とは、自己の理性や一般意志に従うこと」という内面的・道徳的自由を重視。

→ 「自由になるために強制されることもあり得る」という逆説(社会契約論)。

アーレント

→ 「自由とは、他者との間で言葉を交わし、行為することによって現れる現象」。

抽象理念よりも**経験的・具体的な自由(public freedom)**を大事にする。

📝補足:「ルソー自由」は自己律的であるがゆえに統一・均質を志向しがちなのに対し、アーレント自由多様性差異を前提にしている。

政治の始点

ルソー

政治自然状態からの脱却としての契約によって始まる。

公共善のために各人は私的意思を譲るべき。

アーレント

政治契約ではなく、「共に現れること(appearance)」から自然発生的に生まれる。

→ 多様な人間が共に語り、共に生きることで政治は「現れる」のであって、人工的に設計できるものではない。

📝補足:アーレントにとって政治は生きた経験空間であり、ルソーにとってはある意味理念に基づく制度空間です。

公共性性格

ルソー公共性とは、個人利己心を超えて「一般意志」に参加すること。

個人統合、秩序、道徳性が重要

アーレント公共性とは、異なる人々が意見をぶつけ合い、差異を現す場。

→ **多様性対話、始まり(natality)**が重要

全体主義への態度と理論距離感

ルソー全体主義思想的源流として一部から批判される。

一般意志」は公共善の追求だが、それが国家によって強制的に代弁されたとき、反対者は『人民の敵』とされうる。

フランス革命恐怖政治ロベスピエール)でルソー思想引用されたのは象徴的。

アーレント:『全体主義の起源』でナチススターリニズムを徹底批判

人間多様性」「行為自由」が破壊されたとき全体主義が生まれると喝破

ルソーの「一般意志」的な統一理念にも警戒を示唆

🔍 ルソー政治観に対するアーレント批判(間接的)

アーレントルソーを名指しで批判してはいませんが、「近代政治思想人間行為可能性を無視してきた」と繰り返し述べており、

その代表的対象にはルソーマルクスプラトンなどが含まれていると考えられます

🎓まとめ:ルソーアーレント対照的特徴

観点ルソーアーレント
理念方向性統合公共善・一般意志規範差異行為・語り・多様性
自由の源泉 自己律(morality)と一般意志への服従公共言論空間における出現・行為(appearance)
政治目的社会道徳的改善統一人間多様性の維持と創造的な共生
危険一般意志の名のもとに個人の異議が抑圧されうる 対話多様性の欠如が全体主義をもたらす

2025-07-15

anond:20250714201600

シルエットという言葉は、18世紀フランス財務大臣ティエンヌ・ド・シルエットの名前が由来です。

彼は財政緊縮政策の一環として、高価な肖像画の代わりに、黒い紙で人物輪郭を切り抜いた影絵のような肖像画を推奨しました。

ビーフストロガノフ:

ロシア貴族トロガノフ伯爵に由来する料理です。

ピザマルゲリータ:

イタリア王マルゲリータに由来します。

ピザ職人王妃のために、イタリア国旗の色をイメージしたピザを考案し、王妃が大変気に入ったこからマルゲリータ」と名付けられました。

ポテトサラダ:

諸説ありますが、ロシア貴族名前であるポチヨムキン」が由来という説があります

ポチヨムキンが好んで食べたこから、この名前がついたとされています

いくらでもありそうだな

2025-06-21

anond:20250620102151

語源を調べたけど、どうも違うらしいよ

https://www.oed.com/discover/groom/?tl=true

いから3行でまとめると

とのこと

最初「少年」だぜ?文句を言うなら13世紀頃に言うべきだったね

2025-05-19

anond:20250519101549

SF原語で読む勢だけど「ん?」と思ったので横すると

Bad Placeは古代ギリシャ語の直訳であってそもそも英語圏18世紀人間造語から元々その意味なわけではない

造語された時点で抑圧的な国家とかそういう意味

"Dustopia", the original spelling of "dystopia", first appeared in Lewis Henry Younge's Utopia: or Apollo's Golden Days in 1747.[9] Additionally, dystopia was used as an antonym for utopia by John Stuart Mill in one of his 1868 Parliamentary speeches (Hansard Commons) by adding the prefix "dys" (Ancient Greek: δυσ- "bad") to "topia" (Ancient Greek: τόπος, lit. 'place'), reinterpreting the initial "u" as the prefix "eu" (Ancient Greek: ευ- "good") instead of "ou" (Ancient Greek: οὐ "not").[10][11] It was used to denounce the government's Irish land policy: "It is, perhaps, too complimentary to call them Utopians, they ought rather to be called dys-topians, or caco-topians. What is commonly called Utopian is something too good to be practicable; but what they appear to favour is too bad to be practicable."[12][13][14][15]

2025-05-13

アッパーダウナー

社会的階級として

upper class / lower class

アッパークラス・ローワークラスとして18世紀ごろから使われていた。

要するに金持ち貧乏

なのでアッパーと聞いて「貴族地主か?」と思うのはこの頃生まれ人間だと考えられる

 

ドラッグ隠語として

1950年代

downerダウナー)が使用すると気持ちが落ちる系のドラッグスラングが現れた

そして1960年代に入って

upper(アッパー)が使用すると気持ちが上がる系のドラッグスラングとして現れた

 

なぜ先にダウナーだったのかというのは複数の説があるが

ダウナー系のドラッグのほうが比較安価アルコールヘロイン)で下層階級(lower class)に普及し

アッパー系のドラッグ比較的高価(アンフェタミンコカイン)でまずは上流階級(upper class)に普及

その後、下層階級アッパー系が浸透していったのではないかとされている

 

アッパー系は元々アッパークラス使用していたというのは面白い

たぶん下層階級の人たちは気分上げたいよりもCHILLして現実忘れたいって需要が大きかったんだろう

2025-05-08

[] ディレッタント

趣味として学問芸術を楽しむ好事家のことを指す。

イタリア語で「楽しむ」といった意味合いの「dilettare」からきており、日本においては「ジレタント」という場合もある。

18世紀ごろ、好事家たちによって「ディレッタンテ協会」が結成されたことで認知度が高まった言葉らしい。

協会メンバーには特権階級の鼻もちならない者もいたとかで、当の芸術家たちには毛嫌いされることも多かったとか。

そういった背景もあり、ディレッタントのような享受の仕方や態度をとるものを指す「ディレッタンティズム」という言葉ネガティブ文脈で用いられることもあったそう。

現代日本でいうと「サブカルクソ野郎」みたいな感じなのかな。

2025-05-07

anond:20250507193358

……確かに、その指摘には一理あります

三権分立立法行政司法の分離)は18世紀モンテスキュー時代から続く古典的統治モデルですが、現代の高度に複雑化した国家運営では**形式的な分立が実質的には曖昧**になってきています

アメリカでは「チェック・アンド・バランス」と称しつつ、実際には大統領令行政)が立法匹敵する影響力を持ったり、最高裁政治的判断に引っ張られたりしています

日本も同じで、**内閣行政)と国会立法)の融合**が進み、自民党長期政権の中で「与党立法行政実質的支配者」となっています

司法もまた、独立性が理論上は保たれていても、人事や制度行政立法に間接的な影響を受けています

から、\*\*「三権分立を今でも信じている」のではなく、「三権分立を建前として利用している」\*\*というほうが実態に近いと思います

……ちなみに、もしご希望なら、\*\*現代型の「三権融合」や「行政国家論」\*\*について、もう少し深く掘り下げて説明することもできますが、どうしますか?

2025-04-24

anond:20250424114813

そもそも18世紀末まで世界最大の経済大国だった。

何度王朝が変わっても、経済大国であり続けた。

計算方法にもよるが、世界GDPの30%を占めていた。

1. 農業生産力 - 水稲農業を中心とした高い生産性と、早くから発達した灌漑システム

2. 巨大な人口による内需 - 世界最大の人口を背景とした大規模な国内市場

3. 世界高水準の生産技術 - 特に陶磁器絹織物、紙

4. 資源多様性 - 広大な国土に様々な天然資源分布

5. 貿易ネットワーク - シルクロード海上交易による広範な貿易

王朝交代があっても基本的経済構造生産基盤は維持されたこと。

かに戦乱期には一時的生産力が落ちることはあったけど、ずっと首位であった。

産業革命ゲームを変えてしまったので上記の3の強味がなくなってしまったけど、生産技術世界一の座を奪還した中国死角はないよ。

中国は内部崩壊する!」ってのは、願望であって、それ以外に中国に対する勝ち筋はない。

から欧米民主化運動応援してるわけだけど、あれだな、一時ほど自由を求めなくなってきてる気はする。

BLM運動とか、議事堂襲撃とか、Brexitとか見てると、

「あれが民主化なら別に不自由でもいいか

って気分になってるんじゃないかって思う。

他の勝ち筋というと、少子高齢化自然消滅するのを待つって感じだけど、このペースで少子化が進行したら、中国より先に日本韓国が消える。

アメリカ出生率ヒスパニックバカスカ産みまくってるからだけど、今であんなだから、そのころには内戦とかやってそうだし。

2025-04-19

anond:20250419005611

トランプ派や暇アノンなどの他人を傷つけようとして差別主義者が先導するポストルース運動

前提を見誤っていても差別や性被害を見過ごせなくて必死に動いた人の言動

同じようには扱えないなあ。

とにかく性被害に関してはこの国の司法おかしい。

「虎に翼」で描かれた理想がいまだに実現できていない。

被害者の証言を疑ったり

未成年でも性被害を申告できるはずだと平気で言い放つ裁判官

署名罷免できる仕組みにしないと。

「疑わしきは被告人利益に」というのは18世紀の発想だよ。

anond:20250411115837

https://www.webchikuma.jp/articles/-/120

 前後関係因果関係だと思ってしまうことを、「前後即因果の誤謬」と呼びます人間の脳はつい、これをしてしまます

 18世紀英国哲学者ヒュームが指摘したとおり、人間は、時間のなかで前後関係にあるふたつのことがらを、因果関係で結びつけたがる習性を持っています

 また20世紀フランス批評家ロラン・バルトは、この前後即因果の誤謬をいわば体系的に濫用するのが「物語」だ、とまで言いました。

 できごとの因果関係が納得できるものであるとき人間はそのできごとを「わかった」と思ってしまうらしいのです。

2025-04-15

anond:20250414112430

表現の自由歴史的背景は、国によって異なる。

そんな視点で以下、自分用のメモとして長文を残す。あえて言論自由の優位性といった憲法理論をガン無視するが、どんな規制が適切かといった考えから離れることで、表現の自由の失われた状況の風景みえることもある。

++

とくに「表現の自由による暴力(不法行為性)」をどこまで許容するかが重要視点だ。欧米日本では大きく違う。

フランスでは、あらゆる権利が「尊厳ある生」を守るための抵抗に原点を持つ。

その意味で、社会運動ストライキ争議権)と、表現の自由は同じ線上にある。たとえば、名画にペンキをかける環境団体抗議活動日本では即座に「環境テロ」として報道されるが、英仏では「レジスタンス抵抗運動)」という言葉がより広く使われていた様子だ。これは体制に対して暴力的に抗う行為意識しているからだ。

環境問題に限らず、農家などの過激な抗議行動(輸入品増加に抗議した放火破壊行為など)や、労働争議においても同様だ。フランスでは、国家や大組織による構造暴力に対するカウンターとしての「市民による尊厳を守るための抵抗」に心情的な理解が寄せられる。犯罪としての側面を否定しないまでも「レジスタンス」は革命以来の伝統という認識フランス社会は共有する。

その背景には、18世紀カトリック教会が「真理の解釈権限」を独占していた時代に、啓蒙思想が登場し、科学合理性武器公共空間を構築し、新たな政治制度模索した原体験がある。「神を冒涜する権利」は、黎明期政教分離文脈から分化した表現の自由の形であった。

一方、アメリカ表現の自由の出発点は、事情が少し違う。

制度の根幹に「科学合理性」や「絶対的真理」は置かれていない。むしろ、人それぞれ真理と信じる”信念”があり、誰も完全な真理に到達していない、という前提がある。この考えは巡礼始祖たちの宗教的多様性の中で育まれ、やがてプラグマティズムに吸収され、「思想の自由市場」(O.W.Holmes)という発想へとつながってゆく。

もっとアメリカでも、20世紀半ばまでは「有害言論の内容規制」が志向されたが、判事たちはそのたびに建国思想巡礼始祖の理念に立ち返り、「有害表現定義できない」という議論に収まった。1970年代には「社会不協和音こそが強さの証」とまで言い切る判決(1971)もあった。司法ヘイト規制消極的かつゾーニング規制シフトしてゆく歴史がそこにある。

トランプの出現などリベラル保守のあまりの違い、それでも国家として成り立つ社会。それを支えるのは、「一致しないままでも共存できる」という、個人主義を基盤とした社会の強さだ。

一方で日本は、「価値観の不一致」に不安を感じる社会だ。

会社でも地域や家庭でも、できるだけ摩擦を避けたい。コロナ禍での自粛違反者への度を越した非難などに表れているように、「他人迷惑をかけるのは不徳だ」という感情が深く根付いている。

この「迷惑感情」は、表現の自由制限する根拠として働きうる。憲法学では人権制限原理は「公共の福祉」として整理されるが、実態としてはその時々の「社会空気」に左右されがちだ。たとえば、受忍限度論という法理をとってみても、それ自体迷惑感情社会的「耐性」の程度を空気から測るものにすぎない。日本人の考える公共フランス人の考える公共とかなり異なる。

電車CM強制音声に対する訴訟「囚われの聴衆」事件1987年最高裁)では、そうした「空気」に抗う個人の主張が結局退けられた。受忍限度という大義名分の下で、「それくらい我慢しろ」と結論づけられたわけだ。迷惑感情による秩序そのもの否定するわけではないが、空気として内面化されすぎると、異論や異質さの排除へとつながりやすく、かつ世代間、階層間の認識ギャップという課題に直面する。

フランスとの比較でもう少し考えてみよう。

日本には、フランスのように「尊厳のための抵抗」を肯定する文化がない。絵画ペンキを投げれば即「テロ」として断罪される。暴力抵抗が「歴史ある社会の声」として認識されることはない。

水俣病初期の漁民暴動、60〜70年代国鉄病院のストを見ても、「迷惑感情」が前面に出て、GHQが持ち込んだ争議権は本当の意味では社会根付かなかった。正規雇用では労使協調路線非正規雇用は分断が続いているのが現状だ。ストライキがなお社会的に力をもつフランスとは対照的だ。

全農警職法事件国家公務員の争議権全否定1973年最高裁)、75年の国労スト権ストは、日本社会が「暴力的な表現や行動」との距離感を決定づけた分岐点となった。

暴れる新左翼へのストレスが頂点に達し、迷惑を嫌った大衆心理が、最終的に「暴力容認しがたいもの」と司法行政に決着を迫った形だ。

こうした着地は、人権市民一人一人の体験として自ら闘って獲得してこなかったという、日本社会構造限界を示しているのだろう。

日本社会における「市民による暴力抵抗」が断罪されやすい背景には、市民の行動が過激ものに映じるの対して、しばしば国家行政の抑圧や不作為は、暴力として認識されず、社会の中で可視化されにくい構造がある。水俣病における行政不作為反原発運動に対する過剰な監視、あるいは災害被害者の声の届きにくさなど、国家による制度暴力不作為の積み重ねに対して、市民が抗いの言葉を発するとき、その言葉とき過激さを帯びるのは当然の帰結でもある。だからこそ、表現暴力性だけを批判的に切り出すことは、構造非対称性再生産になりかねない。

構造的な非対称に加えて、もうひとつ重要なことがある。それは市民一人ひとりが権利意識再生産するための「思い出」や過去の教訓を忘却やす社会ということだ。

欧米でいう「人権」とは、突き詰めれば「こういう社会には戻りたくない」という歴史体験からまれる(米仏だけの例で暴論は承知の上)。その教訓を社会を生きる一人ひとりが繰り返し思い出すこと、それが人権ボトムアップ的な再生力だ。

しかし、日本では「権利」は「国家が授けるもの」として明治以来、教育されてきた。敗戦までその構図は変わらず、戦後アメリカが新しい憲法人権を与える側に回った。この付与される構造が、今日日本においてもなお、自由をめぐる議論憲法制度論に終始してしまう要因になっている。

だとすれば、今あらためて必要なのは自由の意義を自分たちの歴史体験として取り戻すことだ。

特に敗戦前後記憶――若者人間爆弾にし、それを大人が見送っていた時代。そして敗戦後、手のひらを返すように価値観を変えた、あの社会の激変こそ戦後日本原体験であり、空気に逆らう力を考える出発点であるべきだ。

++

ここからは、戦後日本映像表現の潮流に視点を移す。

戦後社会」と呼ばれる時期―おそらく平成初期まで―に見られた日本映像表現には、大きく三つの傾向があったように思う。

1. 既成の価値観への反抗

戦中派から戦後世代はかつての「正しさ」に対して疑いを抱き、積極的破壊しようとした。

映像作品での典型例として、岡本喜八を挙げたい。軍や国家権力風刺し、戦時空気を相対化する『肉弾』(1968年)は象徴的だ。

表現体制批判自己解放手段だった時代道徳国家価値観への反抗心がそれを後押ししていた。

「反抗」というテーマは、家族内の世代対立ないし嫁姑問題80年代の校内暴力管理教育という軸での「反抗」など形を変えて表現された。

2. 新しいアイデンティティ模索

高度経済成長のもと、戦後社会は猛烈な速度で変化し、かつて「当たり前」だった家族のあり方、地域風景は急速に姿を消した。

そのような変化の中で、新しい「自分らしさ」を探すような表現が生まれた。家族崩壊再生を描いた「岸辺のアルバム, 1977」は社会に衝撃を与えた。

3. 失われゆく価値観への郷愁

こうした変化に対する不安喪失感は、郷愁としても現れる。

山田洋次の『男はつらいよ』では、理想の家庭像を夢見るも決してそこには迎え入れられない寅さんという存在を描き続けた。

倉本聰の『北の国から』では、泥付きの一万円札をめぐる暴力沙汰などを通して、「義理人情」や「恩を忘れぬ人間関係」が描かれた。

スクール☆ウォーズ」に代表される大映ドラマにおいては、努力根性家族の絆といった「倫理」が過剰なまでに押し付けられる一方で、それは裏を返せば、かつては当然のように共有されていた義理人情倫理が、社会の中で揺らぎ始め、もはや社会がその正しさを自信をもって教えられなくなっていた時代の反映ともいえる。任侠映画の「落とし前をつけさせてもらいます」というカタルシスもまた、現代社会ではとうに失われた暴力的「自力救済」への郷愁でもあった。

この三つ――反抗、自分探し、郷愁――が、戦後日本表現の中心テーマであった。いずれの表現にもどこかに心情的共感を呼ぶやむにやまれぬ加害内包していた。そこに着目すべきだ。

「反抗」の終焉表現行為暴力性をめぐる葛藤

この三つのうち、「戦前価値観への反抗」は、戦前世代が退場するにつれ次第に衰えていった。最後の強烈な反抗例として、敗戦後に上官が行った部下の処刑告発した『ゆきゆきて、神軍』(原一男1987年)を挙げることができる。

奥崎謙三狂気。上官を告発し、天皇パチンコ玉を撃ち込むなど、常軌を逸したようにも見えるが、そこには彼なりの倫理がある。表現行為が、敗戦前後記憶を呼び覚まし、組織における人間関係―「上官と部下」「国家個人」―に対して強烈な問いを投げかけていた。

しかし今、このような強烈な表現は久しく見かけなくなった。反抗への共感はある特定世代記憶に留まり引き継がれない傾向が見て取れる。あたか社会全体にノイズ耐性が失われたかのようだ。

かにつけ「コンプラ違反」として簡単に切り捨ててしま社会。「こんなの今の時代にはムリ」と。例えば、中井貴一がある制作現場で呈した疑問は示唆的で、全体にバイオレンスドラマなくせに、コンプラ配慮たばこポイ捨てシーンだけがNGになったことがあった。それは思考停止ではないか

奥崎のような過激手法であっても、そこに社会権力構造に対する本質的な問いが込められているならば、無視できない重みがある。原一男ドキュメンタリーは、まさにそうした問いを突きつけるものだ。

ドキュメンタリーという暴力からみえもの

ドキュメンタリー手法に内在す加害性も多くの示唆を与える。

ゆきゆきて、神軍』のようなドキュメンタリーなどの手法には、つねに「出演者の許諾は取ったのか?」という問いがつきまとう。

伊藤詩織氏の『Black Box Diaries』に対する映像や音声の使用をめぐる批判が良い例だ。「フェアユース正当化可能」とする声(中根若恵)もあれば、「権力犯罪を暴く表現であればOK」という立場原一男)もある。しかし、原自身も認めるように、たとえ告発目的であってもセルフドキュメンタリーには「現実自分に都合よく再構成する」危うさがある。無条件の承認はありえない。その語りが私的物語にとどまらず、社会的な意味を持つためには、他者に開かれた語りに昇華される必要がある。

では、表現行為に内在する「やむにやまれぬ加害」を評価するのは誰か?

最終的には司法だとしても、まず問われるべきは、共感を持って応える観客であり市民である

コンプラ違反を恐れて、表現物が公開前に修正されてしま社会――それが望ましいのか?

私は、暴力性を含んでいても、その中に真摯倫理があり共感可能性のある表現ならば、それは世間に問うてよいと思う。それを受け止める権利もまた市民にある。内部告発/公益通報もまた、不法行為公益性のはざまにあるという意味奥崎謙三の反抗と地続きだ。兵庫県職員告発とその後の県知事対応は耳目を集めたばかりだ。

空気にあらがえるかが試金石

今の日本社会において、「表現内包する暴力に対する寛容さ」はきわめて低い。

敗戦体験した世代がいなくなり、記憶として残っているのは「国鉄ストの迷惑」「新左翼暴力」「オウム事件の恐怖」など、暴力に対するアレルギーばかりだ。

一宿一飯の恩義といった価値観は薄れ、市民暴力的な自力救済抵抗運動共感しなくなっている。

コンプライアンスに敏感な時代からこそ、私たちはもう一度、「表現の自由とは何か」を原点に立ち返って考える必要がある。

かつてトクヴィルは、革命後のフランスに、公共の名のもとに行われる言論統制など専制洞察した。一方、アメリカ民主社会には、世論専制という別の危険をみた。制度的な保障はあっても、多数派少数意見排斥するような雰囲気社会が醸成すると実質的自由は奪われる、との黎明期アメリカ社会への洞察は、現代キャンセルカルチャーなどの課題を予見している。

――暴力性を含み得る表現に対して、我々はどのような態度を取るのか。その暴力倫理的な共感はあるのか。どんな社会私たちは避けたいと思っているのか――

憲法理論制度保障を語る上では有効であるしかし、表現規制論だけでは上記のより根源的で実存的な問いには答えられない。「制度いか自由を守るか」ではない議論必要だ。自由擁護する倫理共感の土壌がなければ、制度簡単形骸化する。「抵抗」とか「不協和音の強さ」とまでいわないまでも何か核が必要だ。

社会同調圧力空気に抗ってその問いを突きつける力、受け止める力が社会から失われたとすれば、それは表現の自由が失われた社会だと思う。

2025-04-06

ブロイ王と18人の妾

ブロイ王のことが知られるようになったのは18世紀の終わりごろだ。

ボヘミア湿地から王の棺が発見され考古学者の調査の末、それがコブロイのものだと判明した。

王は古代ローマ時代アウグストゥスゲルマン遠征の頃に生きたフランク族族長と考えられている。

有名なヘブロンの儀仗とはコブロイ王がシリンダリア古戦場において発見したことなどが後の研究で判明した。

ブロイ王の墓の周辺には18人の妾の墓も見つかっている。

沼地の奥底で完全に保存されていた木片に刻まれた当時の工事計画書の解析からその墓がコブロイ王の妾のものであると判明した。

王は生涯正妻をもたず、また異教の宗教による婚姻もせず、ただ奴隷として18人の妾を持っていた。

18人の中でも背高き淑女として知られるのはミライア。

ミライアの棺からは有名なシリマリン首輪発見されている。

2025-03-21

今更になってサドを読んだら虚淵玄も真っ青な畜生っぷりでワロタ

ぐへへ貴族おじさんが権力を振りかざして美少女父親を捕える

父親を返してほしければ…わかるね?

美少女父親を助けるために要求に従う

屋敷の窓辺で立ちバック

から中庭が見え、父親処刑されているのが目に入る

とんでもない鬼畜っぷりで草

というか18世紀ごろの小説ってやべぇんだな…

2025-03-20

anond:20250320233150

もうちょっと具体的に説明して

中国中華人民共和国ではない)」という条件を踏まえた上で、歴史上の台湾タイムラインを示します。ここでは、中国大陸の政権中華民国・清・明など)との関わりを軸に整理します。

台湾歴史タイムライン中国との関わりを中心に)

1. 先史時代漢人の到来以前(紀元前13世紀

台湾には数千年前からオーストロネシア系の先住民居住

漢民族の影響は限定的で、中国正史にもほとんど言及がない。

2. 漢民族接触と影響拡大(13~16世紀

13世紀元朝(1271–1368)時代、福建や広東の商人台湾沿岸渡航

15世紀明朝(1368–1644)期、台湾は「東番」と呼ばれ、密貿易拠点に。

16世紀後半: 中国南部密貿易業者漁民が定住を開始。

3. 明・鄭氏政権支配17世紀

• 1624年: オランダ台湾南部台南のゼーランディア城)を拠点支配

• 1626年: スペイン北部基隆・淡水)を占拠するが、1642年にオランダ駆逐される。

• 1661年: 鄭成功(国姓爺)がオランダ駆逐し、明の亡命政権「東寧王国」を樹立

• 1683年: 鄭氏政権が清に降伏台湾は清の版図に入る。

4. 清朝統治(1683–1895)

• 1684年: 清朝台湾府を設置し、中国本土の一部として統治開始。

18世紀19世紀漢民族移住が急増、台湾漢化が進む。

1885年台湾が清の「福建省から独立し、「台湾省」となる。

5. 日本統治時代(1895–1945)

1895年日清戦争後、下関条約で清が台湾日本割譲

• 1895~1945年日本統治下でインフラ整備・産業化が進む。

6. 中華民国統治時代(1945–現在

1945年日本敗戦により、台湾中華民国返還される。

1949年国共内戦の結果、中華民国政府が台湾移転台湾が「中国中華民国)」の拠点となる。

1950年代以降: 中華民国台湾実効支配し、独自の発展を遂げる。

1971年国連での「中国代表権」を中華人民共和国が獲得、中華民国は脱退。

このタイムラインは、「中国中華人民共和国ではない)」という前提のもと、中華民国・清・明などの政権との関係を整理したものです。台湾歴史は多層的で、先住民歴史日本統治の影響も含めて考えると、さらに深い議論可能です。

2025-02-27

【DeepSeek R1】『訂正可能性の哲学東浩紀 VS 『万物黎明』グレーバー

プロンプト:

『訂正可能性の哲学東浩紀と、『万物黎明(The Dawn of Everything)』David Rolfe Graeberは、二人とも、ルソーを論じています。二人のルソー観の相違点や類似点分析してください。

DeepSeek R1:

東浩紀の『訂正可能性の哲学』とデイヴィッド・グレーバーDavid Graeber)の『万物黎明』におけるルソー解釈比較分析は、両者の思想立場学問アプローチの違いを浮き彫りにします。以下、相違点と類似点を整理します。

類似点ルソー批判の出発点

1. 近代社会起源への懐疑

両者ともルソー提示した「自然状態」や「社会契約」の物語を、近代社会起源説明する神話として批判的に扱います。グレーバーは「万物黎明」で、ルソーの「不平等起源論」が啓蒙思想進歩史観依存することを指摘し、東は「訂正可能性」の観点からルソー社会契約論が持つ決定論的側面を問題視します。

2. 脱構築姿勢

東もグレーバーも、ルソー思想を単なる歴史的テキストではなく、現代社会批判するための「ツール」として再解釈します。ルソーの「自然状態」を文字通りの史実ではなく、現在社会構造を相対化するための比喩として読み直す点に共通性が見られます

相違点:ルソー評価の軸

1. 自然状態人間可能

人類学実証主義に基づき、ルソーの「自然状態」を「神話フィクション」と断じます。『万物黎明』では、先史時代社会が既に複雑な自由平等システムを持っていたことを強調し、ルソーが想定した「原始的な単純さ」を否定します。ルソーの「高貴な野蛮人概念は、実際の先住民社会多様性矮小化する「ヨーロッパ中心主義幻想」だと批判します。

ルソーの「自然状態」を、社会の「訂正可能性」を開くための仮構として積極的評価します。ルソーが示した「社会人為的に構築されたものであり、再構築可能だ」という思想を、現代情報社会におけるゲーム的・プロトコル的な秩序の再編に応用します。ここでのルソー解釈は、現実批判よりも「未来設計図」としての側面が強調されます

2. 個人共同体関係

ルソーの「一般意志概念を、中央集権的な権力正当化に利用されたと批判します。代わりに、分散型の自治実践した先史社会の事例を提示し、「個人自由集団的合意対立しない」という反ルソー的なモデル提案します。

ルソー社会契約論を、個人欲望社会規範の「ずれ」を前提とする動的システムとして再解釈します。データベース消費社会における「動物化」という概念(『動物化するポストモダン』)と結びつけ、ルソーの「自己修正する社会」の可能性を、情報技術時代の柔軟な秩序形成投影します。

3. 歴史観の違い

ルソーの直線的進歩史観自然状態社会堕落契約による再建)を完全に否定し、非線形的で多中心的な人類史復元します。ルソーが想定した「起源」そのもの虚構とみなす点で、根本的な批判を行います

ルソー歴史観を「修正可能性の物語」として部分的継承します。社会が絶えず自己修正を迫られる「未完のプロジェクト」であるという考え方を、ポストモダン社会流動性と結びつけます。ここではルソーは「批判すべき対象」ではなく、「再発明すべき先駆者」として位置付けられます

結論ルソーをめぐる思想対話

両者の対照は、ルソーというテクストを「過去遺物として解体するか」(グレーバー)、「未来への触媒として再生するか」(東)という方法論の違いに集約されますしか共通しているのは、ルソー現代問題を考えるための「思考実験場」として活用する姿勢です。

プロンプト:

これを東浩紀が語っているような文体で直してください。一人称は「ぼく」で。

DeepSeek R1:

(以下、東浩紀文体意識した一人称再構成です)

>> ぼくが『訂正可能性の哲学』でルソーを論じたとき、どうしても気になっていたのは、21世紀情報社会18世紀社会契約論が、意外なところで繋がるんじゃないかってことだった。ルソーって「自然状態」とか「一般意志」とか、けっこうロマンチック概念を振りかざすでしょ? でもね、あれはたんに昔の理想を語ってるんじゃなくて、社会OSが書き換え可能だって気付かせてくれるツールなんだよね。<<

>> グレーバーが『万物黎明』でルソー批判してるのは知ってる。あの人類学的な実証主義もいいんだけど、ぼくの立場ちょっと違う。ルソーの「自然状態」が史実かどうかなんて、どうでもいいんだ。重要なのは、あのフィクションが「いまの社会絶対じゃない」って可能性を開いたことだ。たとえばSNSアルゴリズムだってルソー流に言えば「人為的プロトコル」でしょ? だったらユーザー同士で修正できる余地があるはずだ——そんなふうに考えられるのがルソー面白さだよ。<<

>> グレーバーさんが先史時代自由を強調するのもわかる。でもぼくらが生きてるのは、もう一度グローバルな社会契約を考え直さなきゃいけない時代だ。ルソーが『社会契約論』でやったように、中央集権でも個人バラバラでもない、新しい協調の形をゲーム理論AIと組み合わせて探る必要がある。そのとき自然状態」という仮構は、逆にすごく役に立つんだ。現実に縛られないからこそ、倫理的な実験ができるわけで。<<

>> もちろんルソーには問題もある。たとえば「一般意志」が全体主義に転がりやすいのはその通りだ。でもぼくが『動物化するポストモダン』で言った「データベース消費社会」を見てみ? あそこでは人々の欲望バラバラで、もはや「一般意志」なんて成立しない。でもルソー理論を逆手に取れば、そのバラバラ自体社会の訂正可能性のエンジンにできるかもしれない。つまりルソーは、彼自身が予想してたよりもずっとポストモダン思想家だったんじゃないかって話だ。<<

>> グレーバーさんとの違いをあえて言えば、彼がルソーを「過去神話」として解体するなら、ぼくはルソーを「未来触媒」として使おうとしてる。人類学大事だけど、哲学役割過去の正しさを証明することじゃない。間違ってた思想家ほど、新しい思考を生む資源になる——それが訂正可能性の本質だと思うんだよね。<<

(※東浩紀の実際の文体を完全に再現したものではありませんが、インタビュー調の語り口・「ぼく」の一人称・「ゲーム的」「プロトコル」「データベース」などのキーワード意識した再構成です)

2025-02-18

コラム語源起源:柱から言葉の柱へ

コラムという言葉が持つ歴史的文化的背景は、

古代建築から現代メディアに至るまで多層的な変遷を経ている。

その語源ラテン語「columna」(柱)に遡り、

英語「column」を経由して日本語に定着した。

建築用語としての「円柱」から

印刷物の「縦の列」を指すようになり、

最終的に新聞雑誌の短評欄を意味するまでに至った背景には、

18世紀イギリスでの新聞改革が深く関係している。

この増田では、コラム語源起源を軸に、その社会的役割現代における展開を考察する。

コラム語源建築文字交差点

ラテン語「columna」から英語「column」へ

コラム語源は、古代ローマ建築を支えた石柱「columna」に由来する。

この言葉英語「column」として定着する過程で、

物理的な支柱から抽象的な「縦の列」へと意味拡張された。

特に活版印刷技術の発展が、

紙面の縦方向区画を「column」と呼ぶ慣習を生み出した。

印刷用語としての「カラム」は、

16世紀英字新聞で縦組みの記事配置を指すようになり、

これが現代コラム概念の原型となった。

日本語への定着過程

日本で「コラム」が外来語として定着したのは明治期以降とされる。

1874年創刊の『郵便報知新聞』が初めて縦組みの短評欄を導入し、

当初は「雑報」と呼ばれていたが、

大正期に入り「コラム」の呼称一般化した。

興味深いことに、

戦前新聞では「円柱」の原義を意識した「柱記事」という表現も併用されていたが、

戦後GHQ指導で横組みが普及する過程で「コラム」が優勢となった。

コラム起源:1751年の新聞革命

世界初コラム連載

1751年3月11日

イギリスの『ロンドンアドバイザリーリテラリーガゼット』が紙面右端の縦長スペースに批評記事を連載開始した。

これが「コラム」と呼ばれる契機となり、

3月11日は「コラムの日」と制定されている。

当時の記事は縦12cm×横4cmのスペースに収められ、

政治風刺から市井話題まで多岐にわたる内容で、

執筆者匿名性が特徴だった。

この形式が人気を博し、

1777年には初の有料コラムニストが登場するまでに発展した。

日本における受容と展開

日本最初コラムとされるのは、

1902年毎日新聞』の「硯滴」(現「余録」)である

戦前コラム知識人層向けの教養記事が主流だったが、

1950年代大衆化時代を経て、

朝日新聞天声人語」(1904年創設)や

読売新聞編集手帳」(1949年創設)の

ような親しみやす文体が定着した。

特に高度経済成長期には、

コラム大衆の声を反映する場として機能し、

間人コラムランキング出版されるほど社会的影響力を持った。

コラム多様化メディア進化に伴う変容

伝統メディアにおける展開

新聞コラム黄金期は1970-80年代とされ、

朝日新聞天声人語」の執筆陣には芥川賞作家井上靖開高健文学者が名を連ねた。

この時期の特徴は、

800字前後の制約の中で比喩と時事批評を融合させる文体確立にある。

例えば1985年の「天声人語」では、

プラザ合意を「円がジャンプする日」と表現し、

経済用語を平易に解説する手法が評判を呼んだ。

デジタル時代の新たな形

インターネットの普及により、

ウェブコラム文字制限から解放され、

マルチメディア活用した表現可能となった。

2010年代後半からは、

SNSとの連動を意識した短文形式が台頭。

動画組み込み型の「ビジュアルコラム」や

AI生成記事との差別化を図る「人間性強調型」など、

新たな表現手法が次々と生まれている。

コラム言語学的特徴:文体修辞法

制約が生む創造

コラム文体の最大の特徴は、文字数制約(新聞で400-800字、ウェブで1500字前後)の中で最大限の表現効果を追求することにある。

この制約が比喩の多用を促し、「経済の体温計」(日経新聞)のような定型表現を生み出した。

心理学者内藤誼人氏の分析によると、

効果的なコラム

「具体例(30%)→データ提示(25%)→比喩20%)→結論(25%)」

構成比率を持つ。

修辞技法進化

戦後コラム修辞法は、

擬人法(「円が踊る」)、

対句法(「上がる物価、下がる賃金」)、

③逆説(「豊かさの貧困」)の三本柱で発展した。

2000年代以降は、

④問いか形式(「あなたはどう考える?」)、

体験談導入(「先日、コンビニで見かけた光景…」)

といった読者参加型の手法が増加している。

特にYahoo!ニュースコラムでは、

本文冒頭に読者アンケートを組み込む「インタラクティブ型」が2018年から導入されている。

コラム社会的機能公共圏としての役割

世論形成の場

歴史的コラムは、

公式報道では扱えない市井の声を拾い上げる機能果たしてきた。

1950年代朝日新聞素粒子」欄では、

読者投稿を基にした地域課題の掘り起こしが行われ、

実際に地方自治体政策変更につながった事例が複数報告されている。

近年では、毎日新聞発言」欄が東日本大震災後の被災地ルポ継続的掲載し、

復興政策への提言プラットフォームとして機能した。

文化伝達の媒介

コラム教養主義から大衆文化への橋渡し役としても重要役割を担ってきた。

1964年読売新聞編集手帳」の連載「万葉集を歩く」は、

古典文学現代語訳をコラム形式で紹介し、

単行本化されてベストセラーとなった。

2010年代には、

産経新聞産経抄」が日本伝統工芸職人を紹介するシリーズを展開、

若年層の職人志望者が3倍増加する社会現象引き起こした。

コラム未来AI時代における人間性のゆくえ

AI生成コラムの台頭

2023年、

朝日新聞社はAIコラム生成システム「COLUMN-BOT」を試験導入し、

スポーツ記事天気予報コラム自動生成を開始した。

初期段階では定型性の強い記事が中心だが、

感情分析アルゴリズムを組み込んだ「共感AI」の開発が進められている。

一方で、

人間執筆コラムには体験独自性が求められるようになり、

2024年の読売文学賞では初めてAI生成作品ノミネートされる事態が発生した。

パーソナライゼーションの進展

デジタルプラットフォームでは、

読者の閲覧履歴に基づくパーソナライズド・コラム一般化している。

2025年現在

SmartNewsの「マイコラム機能は、

ユーザー位置情報検索履歴心拍数データウェアラブル端末連動)を分析し、

最適なコラム自動配信するシステム運用である

これに伴い、

コラムニスト側にもデータ分析スキルが求められるなど、

職能の変容が進んでいる。

結論言葉の柱としての可能

コラム歴史は、

人類情報を整理し伝達する方法進化史そのものである

古代ローマの石柱からデジタル空間の縦スクロールまで、

その形態は変化し続けているが、

本質的役割——複雑な現実構造化し、

読者に新たな視点提供する——は不変と言えよう。

今後の課題は、

AIとの協働の中でいか人間らしい洞察を深化させられるかにある。

コラムという形式が、

次世代の「知の柱」としてどのような発展を遂げるか、

その行方から目が離せない。

2025-02-11

[]

1755年リスボン地震リスボンじしんポルトガル語: Sismo de Lisboa de 1755、英語: 1755 Lisbon earthquake)は、1755年11月1日に発生した巨大地震である

リスボン震災リスボンだいしんさい)あるいはリスボン大地震リスボンおおじしん)などとも言う。

9時40分に西ヨーロッパの広い範囲で強い揺れが起こり、ポルトガルリスボンを中心に大きな被害を出した。

津波による死者1万人を含む、5万5,000人から6万2,000人が死亡した。

推定されるマグニチュードはMw8.5〜9.0の巨大地震であったと考えられている。

震源サン・ヴィセンテ岬西南西約200kmと推定されている。

地震が与えた衝撃はヨーロッパ精神にもおよんだ。

当時の通俗的理解では、地震とは自然現象というより神罰である

しかし、多くの教会を援助し、海外植民地キリスト教宣教してきた敬虔カトリック国家ポルトガル首都リスボンが、なぜ神罰を受けねばならなかったのか、

なぜ祭日に地震の直撃を受けて多くの聖堂もろとも町が破壊され、善人も悪人も罪のない子供たちも等しく死ななければならなかったのかについては、

18世紀神学哲学では説明の難しいものであった。

震災の原因をリスボンの人々の「罪」にあるとしたイエズス会ポルトガル領土から追放され、財産国庫没収された。

イエズス会指導者地震を人々に対する「罰」である説教し続けて人々の熱狂的な支持を受け、

カルヴァーリョリスボンを再建しようとすること自体を神に背くものであるとして糾弾し続けていたガブリエル・マラグリダは地下牢に幽閉の後に異端審問にかけられて処刑された。

2025-02-10

anond:20250210173309

そういうこと言った、18世紀社会不適合者哲学者ルソーのせいで、70年代ぐらいに青春を過ごした数々の陰キャたちが無駄自意識をこじらせていったわ

 

ちゃんとその後の哲学者もやれば、そういう物言いなんて、不得意なコミュニケーションをサボってる言い訳だってわかるんだがね。

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