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はてなキーワード: 凌駕とは

2025-09-26

anond:20250926214117

お前の返しは論理でもなく反証でもなく、ただ「お前は天才じゃないから口を挟むな」と言ったにすぎない。

これは議論土俵にすら上がっていない。なぜなら主張の正しさは、発言者属性ではなく根拠によって決まるからだ。

もし「天才でなければ天才理解できない」が正しいなら、科学哲学も一歩も進まない。

まりお前の言葉自分の論を殺す自己放尿だ。

合理性について冷徹に言えば、単独の知性は偏りや盲点を避けられない。個人の誤差は平均化されず、その一撃が外れれば全てが崩れる。

しか複数独立した知見を束ねれば、ランダム誤差は消えていく。

コンドルセ陪審定理が示すように、ある程度以上の確率で正しい判断をする人間が集まれば、多数決の正答率は限りなく一に近づく。

これは単なる直観ではなく数学帰結だ。

そして現実にもそれを支える実例は山ほどある。アンサンブル学習では弱い分類器を寄せ集めた方が単独の強力な分類器を凌駕する。

市場予測も一部の天才投資家より群衆集合知の方が安定的に当たる。

天才の閃きが不要だとは言わないが、それは検証拡張を担う集団の中でのみ生き延びる。

孤立した天才は、再現性普遍性保証できない。

お前はただ相手人格に矢を放って、自分が正面から論証する手間を逃げているだけだ。

そんな態度は議論という場において、まるで公衆面前自己放尿しているようなものだ。

本人はスッキリしているつもりでも、周囲から見ればただただ不快で、何の価値も生まない。

さて、これで分かったか?お前の台詞は見栄と侮辱のための音にすぎず、理性の言葉ではない。

2025-09-21

anond:20250921080801

第十四幕 八戸の闇とイカ族の冷たい視線

 リィラの嫉妬が、タケルとシズカ、そしてレプティリアンとの新たな縁を結び始めたその時、鳥取砂丘の空に、異質な影が差し込んだ。それは、夜空を覆う巨大な雲のように見えたが、その輪郭は、流動的で不定形な、まるで水中の生物のようだった。

 その影の中心から、一筋の光が地上に降り立ち、一人の女性の姿を形作った。彼女の肌は透明な薄膜に覆われ、その髪は、まるで深海の光を放つ触手のように揺れていた。彼女の瞳は、底知れぬ深みを持つ、漆黒の闇そのものだった。

 「自分無視しての和解などありえない」

 彼女の声は、どこからともなく響き、タケルやリィラ、シズカの心を直接震わせた。それは、レプティリアンの声の冷たさや、犬族の声の力強さとも違う、絶対的冷徹さと、孤独な怒りを秘めていた。

 「愚かな地上人よ。そして、地底に潜む爬虫類ども、陸を這う犬ども。お前たちの間で、勝手和解など許しはしない」

 リィラは、その存在に警戒しながらも、尋ねた。「貴様は何者だ?」

 「我は、八戸拠点を置くイカ族の指揮官イリス。そして、この日本列島の真の支配者なり」

 イリスと名乗る女性は、そう告げた。タケルは、彼女言葉驚愕した。イカ族。彼の解析能力をもってしても、その存在はまったく感知できなかった。彼らは、犬族のように地底に潜むのではなく、日本沿岸深海の暗闇に潜伏し、この国全体を監視していたのだ。

 「お前たちが考える『共存』は、所詮陸上生物だけの勝手戯言に過ぎない。この星の大部分は海だ。そして、その海を支配するのは、我々イカ族だ」

 イリスは、タケルたちに、海が直面している危機を見せた。人間工業廃水、プラスチックゴミ、そして、地球温暖化による海の生態系破壊。それは、リィラが示した地上の愚かさを遥かに凌駕する、深刻な汚染だった。

 「お前たちは、陸の小さな争いを解決しただけで、この星を救った気でいる。だが、この海が死ねば、この星のすべての生命は滅びる。我々は、そうなる前に、人間という病巣を根絶し、海を浄化する」

 タケルは、イリス言葉反論できなかった。彼の旅は、陸上生命の縁を結ぶことに集中していた。海の、そして深海生命存在を、彼は忘れていたのだ。

 「我々イカ族を無視した和解は、無意味だ。お前たちがこの星を救いたいのであれば、まずは我々に屈服し、海を浄化するための協力を申し出ろ」

 イリスの瞳は、冷たく、そして無慈悲だった。彼女は、タケルが持つ「温かさ」や「愛」を、この星を救うための「力」としてしか見ていなかった。

 タケルは、この新たな脅威に、どう立ち向かうべきか、途方に暮れた。レプティリアン、犬族、そして今、イカ族。この三つの勢力を、どうやって一つにまとめればいいのか。彼の使命は、終わるどころか、さらに複雑になっていった。

 

(第十四幕・了)

anond:20250921073409

第十幕 犬族の咆哮と、千葉真実

 タケルが地下の会合から地上に戻った時、千葉の空は、不穏な赤色に染まっていた。穏やかだった潮風は荒れ狂い、遠くで犬の遠吠えのような咆哮が響いている。タケルは、その異様な気配に警戒しながら、かつてノゾミと歩いた砂浜へと向かった。

 砂浜には、一匹の柴犬が立っていた。しかし、それはただの犬ではない。体毛は黄金色に輝き、その瞳には、人類歴史を遥かに凌駕する知性と、圧倒的な威厳が宿っていた。

 「神の分身タケルよ。愚かな決断を下したな」

 柴犬は、人間と同じ言葉を話した。その声は、深みのある低音で、大地を揺るがすような力を持っていた。

 「我らは、千葉の真の支配者、犬族なり。遥か太古より、この地を見守ってきた。そして、お前が和解を試みた爬虫類人類、レプティリアンと、お前が愛した人間、そのどちらにも与することなく、この星の均衡を保ってきたのだ」

 タケルは、驚きを隠せなかった。彼の解析能力をもってしても、犬族の存在は感知できなかった。彼らは、レプティリアンと同じように地底に潜みながらも、彼らの存在のものを、世界情報から隠蔽する力を持っていたのだ。

 「リィラから聞いた。お前は、人間の愚かさを知り、地球を守るために千葉を明け渡した。だが、それは真の解決にはならない」

 犬族の長は、静かに語り始めた。「レプティリアン地球生命を救おうとしているのは事実だ。しかし、彼らは人間を滅ぼすことでしか、その目的を達成できない。それは、お前が愛した温かさを、自らの手で破壊することに他ならないのだ」

 タケルは、反論できなかった。彼が下した決断は、あまりにも多くの犠牲の上に成り立っていた。

 「そして、人間は愚かだが、彼らには可能性があった。お前が教えてきた『温もり』、そして『真理』を理解し、進化する可能性が。だが、お前はそれを待たず、安易な道を選んだ」

 犬族の長は、タケルを厳しく叱責した。その言葉は、タケルの胸に深く突き刺さった。彼は、焼きまんじゅうの真理に触れながらも、結局は、自分の力で安易解決策を選んでしまったのだ。

 その時、地中から、巨大な地響きが轟いた。レプティリアンが、千葉の地下から地上へ向けて、侵攻を開始しようとしている。

 「我々は、お前たちの勝手和解を認めない。この地を、お前たちの好きにはさせない」

 犬族の長は、咆哮した。その声に呼応するように、千葉の各地から、数えきれないほどの犬たちが集まってくる。彼らは、タケルやリィラとは違う、この星の真の調和を愛する、誇り高き守護者たちだった。

 タケルは、自分が間違っていたことを悟った。彼は、神の分身としての力を使い、レプティリアンを止めようとした。だが、彼の行く手を阻むように、犬族の犬たちが立ちはだかる。

 「お前は、人間として、もう一度、選択する機会を与えられなければならない」

 犬族の長は、そう告げると、タケルに向かって、鋭い牙を剥いた。

 レプティリアンの冷たい進軍、犬族の熱き反攻。そして、その狭間で、タケルは、人間として、そして神として、真の「共存」への道を、再び探し始めることになった。

(第十幕・了)

2025-09-17

ようつべ期間限定公開されてたナチス映画みたけどさ

ドイツナチの悪行を描く映画をずっと作って「反省」 「でも悪かったのはナチ」 「ナチに騙された我々もバカだった」

アピールしてきた。だからEU内でも確固たる地盤を保ってる

日本被害者ぶったオナニー映画戦争辛かった特攻隊美化みたいな自分主観被害者意識ばかり

アメリカベトナム映画とも似てるな。ディアハンター地獄の黙示録の域には全く達しないが

はっきりいって、これまで経済で後れを取ったり国内が安定しないから黙っていたアジア諸国

中国韓国インドネシア、等々が、経済国力で日本凌駕するとともに

太平洋戦争時の日本悪行の映画を作り始めるよ

相当なクオリティ

つか、既にはじまってる

EU圏のような東部アジア経済圏がつくられても、日本ハブられて叩かれる

尻尾振ってついていった米国にも切り捨てられる

反日愛国とか大日本帝国回帰するような現実逃避のアホやってる場合じゃないんじゃねえの?

2025-09-09

anond:20250909143758

味と手間と考えて生を買うか、出来合いを買うか決めてます

揚げ物系は圧倒的に出来合い、特に冷凍になります

味はそこそこだし、料理の手間と油処理が味の差を凌駕するほどではないか

2025-09-04

anond:20250904152738

有識者増田に聞きたいこと

・しんかい6500を凌駕する中共の船が出てきたインパクト

・船オタ(ミリオタ兼業的な)界隈から無人潜航艇のある今、有人深々度探査艇は無意味!!! という強気お気持ちが聞かれた

・いっぽうモノづくりJAPAN好き好き界隈からチタン耐圧殻? 作れなくなるニッポン技術が喪われる! という悲嘆も聞こえた

こんな感じでヒステリックなのが目立ったけど、ガチモンのオタク目線から見たら深海探査船まわりの技術動向・国際競走の実態はどう受け止めているかね?

anond:20250904110416

なんでその売れない理由

売れない理由の話はしてないですね

からこそ声が上がってると考えられる

なみいるアパレルブランドマーケター部門をも凌駕する市場調査能力、恐れ入りました

便所問題は面積っていうリソースがあるんだから男は無関係じゃない

行列分析必要女子便器の数の割り出しには関係ないですよね

2025-08-21

悪魔と交わる魔女について。なぜ女性が主として邪悪迷信に溺れるのか? 悪魔と交わる魔女については、そのような忌まわしい行為いかにして遂行されるかという方法考察するにあたり、多くの困難がある。悪魔の側について:第一に、悪魔が装う肉体がいかなる元素から成るか;第二に、その行為に常に他者から受け取った精液の注入が伴うか;第三に、時と場所について、ある時期に他の時期よりも頻繁にこの行為を行うか;第四に、その行為が傍らに立つ者に見えないものか。そして女性の側について調べるべきは、このような汚らわしい方法で自らが懐胎された者のみが悪魔に頻繁に訪問されるのか;あるいは第二に、出生時に産婆によって悪魔に捧げられた者なのか;そして第三に、そのような者の実際の肉欲の快楽がより弱い種類のものなのか。しかし、我々はここでこれらすべての問題に答えることはできない。なぜなら我々は一般的研究にの従事しており、また本書の第二部において、第四章に現れるように、それらはすべてその働きによって個別説明されるからである。そこでは各々の別々の方法について言及されている。 それゆえ、今は主として女性考察しよう;そして第一に、なぜこの種の不信仰男性よりもかくも脆弱な性により多く見出されるのか。そして我々の探求は、第一女性一般的条件についての一般論、第二に迷信と魔術に身を委ねる女性の種類についての個別論、そして第三に、邪悪さにおいて他のすべてを凌駕する産婆についての特論となろう。 迷信が主として女性に見出される理由 第一問題、なぜより多くの魔女脆弱女性の性に男性よりも見出されるかについて;これは実際、信頼できる証人言葉による証言を別としても、実際の経験によって証明されているのであるから反駁することは無意味である事実である。そして神が常にその威力を広めることにおいて大きな栄光を取られた性を決して貶めることなく、この事実について様々な人々が様々な理由を挙げてきたが、それらは原則において一致していると言おう。それゆえ、女性への戒めのためにこの問題について語ることは良いことであり、それが慎重さをもって説かれる限り、彼女らがそれを聞くことを切望することが経験によってしばしば証明されている。 ある学識ある人々はこの理由提示する;自然界には三つのもの、すなわち舌、聖職者、そして女性があり、これらは善においても悪においても節度を知らない;そして彼らがその状態境界を超えるとき、善と悪の最高点と最低点に達する。彼らが善なる霊に支配されるとき、徳において最も優れているが、悪なる霊に支配されるとき、最悪の悪徳に耽る。 これは舌の場合に明らかである。その働きによって多くの王国キリスト信仰へともたらされ、聖霊キリスト使徒たちの上に火の舌として現れた。他の学識ある説教者たちもまた、死にゆラザロの傷と腫れ物を舐める犬の舌のようであった。言われているように:犬の舌をもって汝らは敵から魂を救う。 この理由で、説教師団指導者で父である聖ドミニコは、口に火のついた松明をくわえて吠える犬の姿で表される。今日に至るまで彼がその吠え声によってキリストの羊の群れから異端の狼どもを追い払わんがためである。 また一人の思慮深い人の舌が群衆の言い争いを鎮めることができるのも共通経験である;それゆえソロモン箴言10章で彼らの賞賛を多く歌うのは当然である:「悟りある者の唇には知恵が見出される。」そしてまた「正しき者の舌は選りすぐりの銀のごとし:悪しき者の心は価値少なし。」そしてまた「正しき者の唇は多くを養う;しか愚か者は知恵の欠如のため死す。」この理由で彼は第16章で付け加える「心の備えは人に属するが、舌の答えは主から来る。」 しかし悪い舌については、シラ書第28章に見出すであろう:「中傷する舌は多くを不安にし、国から国へと追いやった;強固な城を引き倒し、偉人の家を覆した。」そして中傷する舌とは、争う二者の間に軽率にあるいは悪意をもって干渉する第三者意味する。 第二に、聖職者について、すなわち男女を問わず聖職者修道者について、聖ヨハネ・クリュソストモスは「彼は神殿から売り買いする者たちを追い出した」の箇所でこう語る。司祭からすべての善が生まれ、すべての悪が生まれる。ヒエロニムスはネポテアヌスへの書簡で言う:貧困から富へ、低い地位から高い地位へと上った商売をする司祭を疫病のように避けよ。そして福者ベルナルドゥスは詩篇についての第23説教聖職者について言う:もし公然たる異端者として立ち上がる者がいれば、彼を追放沈黙させよ;もし彼が暴力的な敵であれば、すべての善人は彼から逃れよ。しかし我々は誰を追放し誰から逃れるべきかをいかに知るのか?彼らは親しげで敵対的平和的で好戦的、隣人的で全く利己であるからである。 そして別の箇所で:我らの司教は槍兵となり、我らの牧者は毛を刈る者となった。ここで司教とは、自分では小指で触れることもしない重い労働を部下に課す傲慢修道院長たちを意味する。そして聖グレゴリウスは牧者について言う:聖性の名前位階を持ちながら罪の中に生きる者ほど教会において害をなすはいない;誰も彼の罪を告発する勇気がなく、それゆえ罪が広く広がる。罪人がその位階の聖性のゆえに敬われるからである福者アウグスティヌスもまたドナトゥス派のヴィンセンティウスに修道士について語る:我らの神である主の前で汝の愛徳に率直に告白するが、これは神に仕える者となって以来の我が魂の証人であるが、修道院を飾るか辱めるか以上に良くも悪くもない人々を見出すことが不可能であるという事実において、我が経験した困難は甚大である。 さて、女性邪悪さについてはシラ書第25章で語られている:「蛇の頭の上にある頭はなく、女性の怒りの上にある怒りはない。獅子や竜と住むほうが、邪悪女性と家を保つよりましである。」そして邪悪女性についてその箇所で前後に述べられる多くの中で、彼は結論する:「すべての邪悪女性邪悪に比べれば小さなものである。」それゆえ聖ヨハネ・クリュソストモスは「結婚するのは良くない」(マタイ第19章)の箇所でこう言う:女性とは友情の敵、逃れられない刑罰必要な悪、自然の誘惑、望ましい災い、家庭の危険、魅惑的な害悪、美しい色で塗られた自然の悪以外の何であろうか!それゆえ、彼女を保つべき時に離縁するのが罪なら、それは確かに必要拷問である;我々は彼女を離縁することで姦淫を犯すか、日々の争いに耐えなければならないかであるキケロは修辞学第2巻で言う:男性の多くの欲望は彼らを一つの罪に導くが、女性欲望は彼らをすべての罪に導く;すべての女性悪徳の根は貪欲からである。そしてセネカ悲劇で言う:女性は愛するか憎むかである;第三の段階はない。そして女性の涙は偽りである;真の悲しみからまれることもあれば、罠であることもある。女性が一人で考えるとき彼女は悪を考える。 しかし善い女性については多くの賞賛があり、我々は彼女らが人々に至福をもたらし、国民土地都市を救ったと読む;ユディトデボラエステル場合に明らかなように。コリント第一第7章も参照:「もし女性に信じない夫がいれば、彼女は彼を去らせてはならない。信じない夫は信じる妻によって聖化されるからである。」そしてシラ書第26章:「有徳な妻を持つ人は幸いである。彼の日数は二倍となるであろう。」そしてその章全体を通じて善い女性の優秀さについて多くの高い賞賛が語られている;箴言最後の章でも有徳な女性について同様である。 そしてこのすべては新約聖書においても女性処女とその他の聖なる女性たちについて明らかにされている。彼女らは信仰によって国民王国偶像崇拝からキリスト教へと導いた。ヴィンケンティウス・ベルヴァケンシス歴史の鏡、第26巻第9章)を見る者は、最もキリスト教的なジゼラによるハンガリー改宗と、クロヴィスの妻クロティルドによるフランク族改宗について驚くべきことを見出すであろう。それゆえ、女性に対して読む多くの非難において、「女性」という言葉は肉の欲望意味するために使われている。言われるように:「我は死よりも苦い女性見出した」、そして「肉欲に従う善い女性」。 また他の者たちは、男性よりも迷信的な女性が多く見出される他の理由提示した。第一は、彼女らがより軽信的であること;そして悪魔の主要な目的信仰堕落させることであるから、それゆえ彼はむしろ彼女らを攻撃する。シラ書第19章を参照:「信じやすい者は軽率であり、減ずるであろう。」第二の理由は、女性自然により感受性が強く、肉体のない霊の影響を受ける準備がより整っていること;そして彼女らがこの性質を良く用いるとき彼女らは非常に善いが、悪く用いるとき彼女らは非常に邪悪である。 第三の理由は、彼女らが滑らかな舌を持ち、邪悪な技によって知ったことを仲間の女性たちから隠すことができないこと;そして彼女らは弱いので、魔術によって自らを復讐する簡単秘密方法を見出すことである上記引用したシラ書を参照:「獅子や竜と住むほうが、邪悪女性と家を保つよりましである。すべての邪悪女性邪悪に比べれば小さなものである。」そしてこれに加えて、彼女らは非常に感受性が強いので、それに応じて行動する。 また説教者が用いることについて非常に注意すべき他の理由提示する者たちもいる。旧約聖書において聖書女性について悪く語ることが多いのは真実であり、これは最初の誘惑者エヴァとその模倣者たちのためであるが;その後新約聖書においては、(聖ヒエロニムスが言うように)エヴァからアヴェへというような名前の変化を見出しエヴァのすべての罪がマリアの祝福によって取り去られた。それゆえ説教者は常に可能な限り彼女らの賞賛を語るべきであるしかし、この時代においてこの不信仰男性よりも女性により頻繁に見出されることを我々が実際の経験によって学ぶのであるから、もし誰かがその理由を知りたがるなら、我々は既に述べたことに以下を付け加えることができる:彼女らは心身ともにより脆弱であるから、魔術の呪文の下により陥りやすいのも驚くことではない。 知性について、すなわち霊的なことの理解について言えば、彼女らは男性とは異なる性質であるように思われる;これは聖書からの様々な例によって裏付けられた権威者論理によって証明される事実である。テレンティウスは言う:女性知性的子供のようである。そしてラクタンティウス(教育、第3巻):テメステを除いて哲学理解した女性はいない。そして箴言11章は、まるで女性描写するかのように言う:「豚の鼻の金の輪のように、美しいが思慮のない女性である。」 しか自然理由は、彼女男性よりもより肉的であることであり、これは彼女の多くの肉的な忌まわしさから明らかである。そして最初女性形成に欠陥があったことが注目されるべきである彼女は曲がった肋骨、すなわち胸の肋骨から形成されたからであり、これは男性に対して反対の方向に曲がっている。そしてこの欠陥により彼女は不完全な動物であり、常に欺く。カトーが言うように:女性が泣くとき彼女は罠を編む。そしてまた:女性が泣くとき彼女男性を欺くために労苦する。そしてこれはサムソンの妻によって示される。彼女は彼がペリシテ人提示した謎を告げるよう彼を騙し、彼らに答えを教え、かくして彼を欺いた。そして最初女性信仰が少なかったことは明らかである;蛇がなぜ彼らは楽園のすべての木を食べないのかと尋ねたとき彼女は答えた:「すべての木について、等々-恐らく我らが死ぬことのないように。」それによって彼女は疑い、神の言葉への信仰が少ないことを示した。そしてこのすべては語源によって示される;フェミナ(女性)はフェ(信仰)とミナス(より少ない)から来るからであり、彼女信仰を保持し保存することにおいて常により弱いかである。そしてこれは信仰に関して彼女の本性である恩寵自然の両方によって、キリスト受難の時、すべての人において失われた時でも、祝福された処女において信仰は決して失われなかったが。 それゆえ邪悪女性は、その性質により信仰において動揺しやすく、結果として信仰を棄てやすく、これが魔術の根である。 そして彼女の他の精神性質、すなわち自然意志について;彼女が以前愛していた誰かを憎むとき、海の潮流が常に波立ち沸騰するように、彼女の魂全体で怒りと性急さで煮えたぎる。多くの権威者がこの原因について言及する。シラ書第25章:「女性の怒りの上にある怒りはない。」そしてセネカ悲劇、第8巻):炎の力も膨らんだ風も、致命的な武器も、結婚の床から離縁された女性欲望憎悪ほど恐れられるものはない。 これはヨセフを偽って告発し、彼女との姦淫の罪に同意しなかったために彼を投獄させた女性においても示される(創世記第30章)。そして魔女の増加に寄与する最も強力な原因は、既婚者と未婚の女性男性の間の嘆かわしい競争である。これは聖なる女性の間でさえそうであるから、他の者の間ではいかばかりであろうか!創世記第21章でサラがハガルの懐妊に対していかに性急で嫉妬深かったかを見よ:ラケル子供がいないためにレアいか嫉妬たか創世記第30章):そして不妊であったハンナが多産なペニンナを(列王記上第1章):そしてミリアムがモーセについてつぶやき悪く言い、それゆえらい病に打たれたか民数記12章):そしてマルタマリア・マグダレナ嫉妬たか彼女が忙しく働いている間にマリアが座っていたかである(ルカ第10章)。この点についてシラ書第37章:「彼女嫉妬する女性について、彼女相談してはならない。」つまり彼女相談することは無駄である邪悪女性には常に嫉妬、すなわち妬みがあるからである。そして女性が互いにこのように振る舞うなら、男性に対してはなおさらであろう。

2025-08-19

中国ロボット運動会ニュース見ててさ

スリムASIMOみたいなロボットどもがヨチヨチ歩きしてサッカーの真似事みたいなことやってるの見るとなんとも微笑ましいんだけど、こいつらもあと何年か何十年かしたら超絶進化してファンタジスタみたいなサッカーを平気でやるようになると人間のほうがサッカーの真似事してる感じになるよな

そうなるともうサッカーだけでなくあらゆる動きが人間凌駕してるだろうし頭脳AI人間全然かなわんしなんなら性格人間よりよかったりするかもしれん

一方でロボット人間使ってやる仕事も出てくると使役関係が逆転しちゃうけど人間って意外とすんなり受け入れたりすんのかな

そう考えると動きの拙いロボットを何も考えず笑ってられる今の時代人間ロボット歴史的には最後牧歌的時代のような気がする

最終的にロボットがロビタみたいになるといいけどな

ターミネーターみたいになったら終わりだよな

2025-08-11

anond:20250811004627

自ら社会を良くする能力が平均的な人間集団凌駕するほど高い場合、ある程度の社会的痛みは吸収されると思っているがどうなんだろう

2025-08-09

ピンポン5周目だけど「少し泣く」の意味が分からなくて泣きそう

ビッコミで今日明日48時間ピンポン無料になってる。

https://bigcomics.jp/episodes/02b287f8f8313/

仕事中に飲みすぎたカフェインのせいか眠れないから読み進めてるうちに終盤となり、作中屈指の名シーンとされる「少し泣く」にたどりついた。

アニメで1回、実写で1回、漫画はこれで3回目だが、まだこの「少し泣く」の意味が分からない。

学生時代12年間漢字テストを除けば現国ノー勉8割安定だった俺の読解力が実際は如何にハリボテか思い知らされている。

才能がないのか努力が足りないのか。

なんとなくアクマ気持ちを察することは出来るが、確定しない。

これが国語問題だったらドラゴンへの同情が正解だろうし、もう一歩踏み込めばアクマ如きに同情されてしま風間学生等身大の小ささとそれを必死に膨らませてきた姿への同情なのだろうということでまず間違いないだろう、これが国語テストなら。

でも本当にそれでいいのか確信が持てない。

確信が持てないという感情の揺さぶりがアクマ自身にもあって、その不安定さと未確定な揺さぶりが読者にも共振を起こすという漫画効果を狙っている気もする。

だがこれも確信はない。

クマ果たして本当はどんな気持ちだったんだろう。

その裏で圧倒的才能によって粉砕されていくNO.2の姿は、アクマ達の心情と関係するのか、それともまた別のオムニバスなのか、それさえも委ねられている。

分からん

確証が持てない。

才能も努力もアクマ凌駕するドラゴンが、異次元の才能と未知数の努力をかけ合わせて産まれ怪物に踏みにじられる未来を想起したアクマは、果たしてその敗北を嘗ての自分と重ねて涙したのだろうか、重ねることさえ出来ないことに涙したのだろうか。

ドラゴンへの同情だけの涙じゃない事までは分かってきたんだ。

だが、確信には届かない。

一生、確信にはたどり着ける気がしないし、それで正解だと確信できる気もしない。

読解の才能がない。

泣きそうだ。

2025-08-06

攻撃魔法よりサポート魔法のほうが強いんじゃないか

攻撃魔法近代兵器を超える殺傷能力持ってる魔法ってあんまないな。

単体攻撃ならどう考えたって銃火器の方が手軽だし、

範囲攻撃でも爆発物やガス兵器ミサイルロケット、連射系の銃火器に比べて優位性が高いか疑問符が付く。

まぁ、事前に武器を手にする必要がないという点では、潜入性や手軽さで優位性が高いし、

ミサイルロケット級の火力を個人が持てて即時発動可能というのは圧倒的な強みではあるが

そもそもそんな火力を発揮する必要がある場面が少なすぎるというか。

パキスタンとかパレスチナくらいでしか使いようなくない?

もろちん、どこからともなく雷や火や氷を現出させるという能力現代科学では再現できないが

それを使って"相手を打ち倒す"という結果が重要なのであれば、現代兵器で十分なのではないか

 

一方に防御、保護系の魔法回復魔法なんかは明らかに現代技術を遥かに凌駕してる。

なんか全身を覆うバリアドームを張ることである程度の攻撃を完全無力化する魔法が頻出するが、

これは防弾、防刃スーツプロテクトアーマーで機動性を捨ててもまだまだ再現できない。

防弾、耐熱ガラスとかである程度の再現可能だけど、素早い展開、格納は難しい。

回復魔法も同様。あの超スピードで傷を塞いで体力まで回復させるのは現代医療の域を超えてる。

あとは転移魔法やスロウスピードアップ系の魔法現代技術で結果の再現不可能

現代人が事前にあらゆる準備をしても対抗できない。

これは結果だけ見ても同じ結果を再現できない魔法だけの強みであるのは明白。

 

から現代魔法が来る系の設定にするんだったら攻撃系は現代武器でまかない、守備回復系を魔法にするのが

バランスがいいのではないだろうか。

2025-08-05

流石はてなだ!本物のバカドンドン出てくる!

名前は隠してやろう

運転しない はてなー らしい※多いが、ほぼ直線区間交通量少なければ165km/h出したら即危険ということはないよ。そんなに危険であれば独アウトバーン存在しない。問題広末運転スキルと当時の精神状態にある。

ばーか

お前が馬鹿な所は四つ。

一つ!アウトバーンでも推奨速度は130km/hとされている!この理由を考えていないからお前は「そんなに危険であれば独アウトバーン存在しない。」と発言している!

二つ!日本の高速は制限速度120km/hだっつーの。なんでその速度の制限がされていると思う?アウトバーンのような推奨速度ではなく制限速度でだ!それは日本道路における過密度アウトバーン凌駕しているからだ!

三つ!実際に日本で165km/h出すのが危険だということは車に乗っていれば嫌でも分かる!!分からないのはお前の危険予知能力カスなだけ!!

そしてお前の最も馬鹿な所は!!!

お前の考えと世の中がこんなにも食い違う理由を、「自分の考えが馬鹿げているのでは?」と考えるのではなく、「周囲が馬鹿ばっかりだからだ!」と結論付けたところだ!!!

思考力も知識常識もまともな人生経験も積んでいないくせに自信過剰!!!

正真正銘バカとはお前のことだ!!!!!!!!!

anond:20250804124056

これガイ先生炎上見ててちょっと似た事思ったわ。

既存イメージを他の誰かとの関係の中で出てくる普段とは違う振る舞いで露呈するものが塗り替えて凌駕するダイナミクスというか。

2025-07-31

BLの影に隠れがちなTLのススメ

例のBL作家暴言で男女間のエロ作品に強烈な分断が起き、BL規制論も吹き上がってる昨今いかがお過ごしでしょうか。

言い争いの中でふと気になるのは、「女性向けエロ漫画」というものがまるでBLしか存在していないかのように語られているのが非常に気になってしまいました

そこで、女性向けエロBLという偏見を解くべく、もう一つの女性向けエロジャンル「TL」にスポットを当てたいと思います

なお、当方生物学的にも性自認的にも男です。男の目線から見るTLを語らせて頂きます

TLとはティーンズラブの事です。用は女性向けの異性愛エロ漫画の事です。ティーン同士だけではなく社会人物も沢山あるので、ティーンという概念別に気にしなくていいです(他にいい名前考えるべきだよな)

言葉の響きから男性向けエロ漫画よりもマイルドでより女性目線女性配慮したような内容のジャンルかと思われます

それは半分は正解で半分は間違いです。

ティーンズラブ、男が読んでもビッックリするほど ガ チ エ ロ です。

ヘタな男性向けエロ漫画よりよっぽどドチャクソエロいしシコいです。

女性読者が不快にならないようセーフセックス徹底でかならず避妊して、ロマンスいっぱいの安心えっち・・・・なんて事ありません。

もー容赦なくズコバコドチュドチュビュルルルルッって中出し満載、妊娠上等!ってぐらいナマでやりまくります

とりあえずがるまに(DLsite女性向けサイト)のトップランキング漫画をいくつか読んで見てください。

女性向けでも欲望丸出しになると、男性向けエロと対して変わらなくなるんだなっていうのがよくわかります


例として、最近自分お気に入りサークル「愛沢精肉店」を紹介しま

愛沢精肉店の愛沢アンジ先生のTL漫画は毎回決まって、サドっ気のあるゴリゴリマッチョイケメンが繊細で華奢でMっぽい女の子とドチュドチュとエッチしまくる内容ばかりで、基本的には純愛のはずなんですが、ゴリマッチョ彼氏暴力的サドセックスははたから見たらレイプ物としか見えないぐらいのハードコア女の子は鼻水とザーメンで顔グチャグチャになってアヘアヘとアクメしまくります

画力も抜群に高く、ヘタな男性向けよりもよっぽどエロいです(二回目)。

そんで 愛沢アンジ先生の描く女の子は「中出しセックス」にやたら固執する性質があります

例えば『クマとトラ〜体格差幼馴染のはじめてから、獣になる2日間まで〜』という作品では、主人公女の子イケメンゴリマッチョ幼馴染彼氏もっとセックスのその先を行く獣のような中出しセックスがしたいと思い立ち、ネット通販(おそらく個人輸入系)を使って緊急避妊薬(アフターピル)を入手し、ゴリマッチョ彼氏にそれを見せて中出しセックス要求します。

理解ある常識もあるゴリマッチョ君は、そんな軽率彼女に「ピルだって絶対安全じゃないんだ!それで代償を背負うのはお前自身の体だ!体調だって色々悪くするかもしれない、もう二度とそんなものを使うな!」と説教します。

あらま啓蒙的ねと思うやいなや、舌の根乾かぬうちに

「それでもお前の気持ちが本物で、覚悟もできているならするぞ!!」とそこから一昼夜通してのスーパードチャクソ中出しセックスが開始されます

いや結局中出しするんかい!!!ツッコミ入れたくなりますが、 愛沢アンジ先生は本当に画力が高くてクッソエロいのでもうそんな事どうでもよくなります

(注:本当はもっと複雑な感情機微や男女の特殊関係性なども事細かに描写されながらこういう展開に行き着くんですが、説明が面倒くさいので端折ってます。気になる方は買って読んでみてください。)

要は「欲望倫理を天秤にかけた結果、欲望のほうが遥かに勝っちゃいました。仕方ないね」という事であり、愛沢先生漫画に限らず、他の作家のTLもまあ大体そんな感じです。

TLジャンル、確かに女性目線的に描かれています男性向けとはちょっと性質が違うものがあります

でもその違いは薄皮一枚隔てるぐらいのもんで、行き着く地点はオンナもオトコも一緒

自慰にふけれるほどエロいか」これだけです。

愛があるかどうかも関係ありません。エロいかエロくないかだけです。

実際、がるまにのトップランキング作品は半数以上が鬼畜イケメンに無理やり不同意セックスさせられる作品だったりします。

アンフェの小山が「女は自分だけを守ってくる殺人鬼を求めてる」と揶揄してましたが、実際そのものズバリの『異世界トリップ先で助けてくれたのは、人殺し少年でした。少年暗殺者(?)×不憫おねえさんの異世界流されセックス』(サークルさきっちょだけ!/堀田阿伴)という作品もあります。(これも傑作なんで読むといいよ)

女性向けでも痴漢物もあるし、絶望系バッドエンド凌辱物も当然あります

ただ竿役は脂ぎったオヤジではなくイケメンですが。

女の子もただ快楽堕ちするようなものばかりでなく、『嫁取りひとりかくれんぼ』(めいめいキメラ/隔離カイリ)のようにイケメン悪魔ザーメンが逆流するほど中出しされても、強い意志絶対に堕とされない女の子(そしてどんなに時間がかかっても堕としてみせるぜと決意するイケメン悪魔関係性)は女性感性もまた強く感じさせられます

https://x.com/MAEZIMAS/status/1230758631886356480

エロマンガ・スタディーズ』、フィクションの中でレイプや陵辱の被害者になる受け側に自己投影して、マゾヒスティック妄想を楽しむ読者が少なくないことについて、

「それを「ありえないこと」にしてしまうのは「政治」であって、人間というものを舐め切っている」

と言い切る箇所、すごい好き。


これは本当に正しかったんだなあと、TLジャンル漁ってるとしみじみ思いますね。

女性感性で描かれながら、その実エロさは男性向けも凌駕するTLというジャンル自分はすっかりハマってしまいました。

男性向けエロ漫画食傷気味で飽きてしまった方は、ぜひともTLに足を踏み入れて見てください

新鮮な世界がそこにはありますよ。

そんでオトコもオンナも、エロ表現対立なんかせずにお互いエロ漫画読んでシコっときなさいよ。

戦争なんてくだらねえぜ!エロ漫画でシコれえええええええ!!!

2025-07-28

【※ネタバレ注意】漫画読み配信者・カズヨシ氏を嫌いになった理由。その1

最初にざっくり説明すると

「以前は好きな漫画を褒める動画が多かったのにある時期から人気作を貶す動画が増えたり、他作品引用を「叩き棒」として使うなど作品へのリスペクトに欠ける『過激スタイル』に変化したのが悲しい」

って愚痴かもしれない。

配信からたらこういう愚痴が書かれる事で宣伝になって知名度が上がれば儲け物、くらいには思ってるかもしれないけど。

この日記を書こうとして改めて気付いたんだけど最初は間違いなくこの人の事好きだったんだよね。

所謂アンチの中でこの人が最悪の部類かと言ったらそんな事はないし、むしろ動画投稿である以上絶対NG発言の最低限のラインちゃんとも守ってるし。

悪口を5段階で表すと普段は3で悪い時は4に行くかな?くらい。

正直この日記を書く気があんまり起きないのも、良い面もあるし間違いなく一時好きだった事もある人だからそこまでやる気出ないのもあるんだよな

それでもここまでコツコツ書いた文章が勿体無いから書く事にする。

でも、正直最近カズヨシ氏とカズガタリの事は好きじゃなくなってる。

ただ「あんまりきじゃなくなったら離れれば良いんじゃね?」みたいな心理が働いてるのかこれまでの恨みつらみをぶつけてやるぜ!って負の感情もそんなに出て来ない…

かと思っていたけどこの日記書くために動画見てて一晩経ってから凄いイライラしてきた。

この日記を書くためにうろ覚えじゃ駄目だよなと動画をある程度見返した所、この人最初に言ってた事とその後言ってる事全然違うじゃん…って愕然とした。

かつて好きだったのは事実からとりあえず「好きだった所」から語る事にする

動画URLも張ってるけど一々見に行くのも面倒な人が居そうだから一応書き出す事にした。

長くなりすぎて投稿出来ないみたいだから幾つかに分割する事になりそう。

カズヨシは人気作を貶さないと再生数を稼げない配信者なのか?」と言うとそうではない

はじめの一歩】鷹村の全16試合ガチ解説

ttps://youtu.be/kuXLbGWA8sE

139万再生

呪術廻戦】全12特級呪霊の最強キャラランクガチ作りました

ttps://youtu.be/OQWB1pzp8Rw

231万再生

進撃の巨人】全766票で選ぶ最強の巨人ランキング

ttps://youtu.be/poKFTz6l3vw

31再生

別にさなくてもポジティブ動画でこれくらい行けるんだよ

何で今みたいな芸風になったんだろう?

それこそ今30万再生行ってる最初怪獣8号動画みたいなのは良かったよ

多分「自分言葉」で語ってたか

それが今は名作漫画他人言葉引用扱き下ろす方向になっちゃった

ここら辺の動画良いんだよな。

まりにも惨すぎる死が描かれる日本裏社会の闇に切り込んだ名作【新宿スワン

ttps://youtu.be/2uOpK4pVHL4

ついに掲載順位1位を獲得し次期ジャンプ看板候補に、父親を殺され殺意増し増し主人公クズを斬り殺しまくる漫画【カグラバチ】

ttps://youtu.be/PKOXwsGSV5E

【カグラバチ】「次期ジャンプ看板確定だろ」と言わせた最高エピソード楽座市編を徹底解説

ttps://youtu.be/jqmooSHIJ5I

これ新連載で一番可能性あるのでは?ド級卓球漫画ピングポング】、否【顰愚碰喰】

ttps://youtu.be/LpyhBYJYrtQ

グリグリ面白かったが打ち切り最終回・・・ゴルフ漫画無理ゲーだよな・・・グリーングリーングリーンズ】【作品レビュー

ttps://youtu.be/yZDeBfkRCao

動画でべた褒めされてるの見て面白そうだと思った東京スワンとカグラバチは実際読んだもの

それとこの人、ベタめしてる漫画とそうじゃない漫画の落差がとにかく激しい。

超人気作から一転、賛否両論を巻き起こしたラブコメ漫画かぐや様は告らせたい

ttps://www.youtube.com/watch?v=VUS8OM665e4

かぐや様が好きなのが伝わってくるんだよな

賛否両論的に語る筈がこの人全30分の動画23分間ベタ褒めで賛否両論点挙げたの最後の7分だけで、しかもそのパート語る時も「俺は好き」ってベタ褒めだし

30分フルスロットルで語ってて作品ネガティブ感想出したのつばめ先輩の数秒だけという

推しの子】あの超人気作が最終回を迎え完結するも今年一の大炎上となるまさかの結末に・・・

ttps://youtu.be/H38jlxYSeks

はい、以上となります

非常に最終回評価が荒れた「推しの子」なんですけど

ただ、読み返して思いましたけどやっぱ中盤までのエピソード普通に面白いし

単行本1巻の引き込みっぷりは神懸かってるので評価できるところも多々ある作品なんですよね

から、「良い最終回だった」とは思わないですけど決して「クソ作品」ってわけではまったくなくて

「すげぇもったいない作品だな」とは個人的に思いました

やっぱ面白い部分もたくさんありましたからね

31:00~

かぐや様・推しの子赤坂先生の事はリスペクトしてるから配慮が凄い。



【超巡!超条先輩】、ファンからクソ惜しまれながらも完結を迎えてしま・・・

ttps://youtu.be/vHp-87ytisQ

打ち切りでも超巡はベタ褒め。面白そうだったから実際公式動画見に行ったらマジで面白かった超巡。

左門くんは読んでたけど超巡スルーしてた身としてはやっぱりこの人の動画は紹介した面白いと思わせるパワーがある。

褒める時はマイナス部分一切語らないんだよな…他の作品なら絶対ツッコんでる所もスルーしていくし。

ボボボーボ・ボーボボ】間違いなくカオスだけど、意外と真面目なんだよな

ttps://youtu.be/8kq73_62Zxg

ボーボボベタ褒め回。

ただ中盤~終盤あたりはネタ切れしたのかギャグが苦しくなって来たとかそういう話題一切無し

ギガにまでは触れてるけどその後触れてないあたりツルリー3世とか毛の王国編はあんまりきじゃなかったのかな?

8週打ち切りジャンプ打ち切りRTA速記録を叩き出した伝説漫画チャゲチャ】

ttps://youtu.be/sWu1kAjFo2I

8週打ち切りチャゲチャ語ってても澤井先生ボーボボへの愛とリスペクトで溢れてるし…

涼しい顔してぶっ殺す女、東京タワーをぶった斬るジジイ、今一番やばい漫画がこれです・・・【サカモトデイズ】【ネタバレ】【作品レビュー

ttps://youtu.be/W-EAsY8bJ7w

20分以上作品の良い所好きな所を語った上で最後の2分で「こう言う人には合わないかもね」という点を挙げる。

バランス良いしこういうレビューは聞いてて気持ち良いよね。1,1万再生くらいだけど

この人他の漫画だったら逆張りって叩きまくってるだろう展開も呪術だと全肯定なんだよね。

終盤滅茶苦茶賛否両論あったけど俺は好きだったぞ!!!呪術廻戦】

ttps://youtu.be/Rf140JQb1T8

日下部は優しい」の件とかもかなり賛否ありましたね

こういう声は理解できつつも自分はこの作品楽しく読めていたので

今回はこの賛否両論の件はそこまで深堀りしません

前述したこ作品の良さが自分の中にはあって

そこからくるこの作品への信頼感とあとはなにより毎週面白かったんですよね

ここまで週間単位で読み応えがある漫画は他になかったので

ほぼどの週も見所となるところがあって自分はかなり楽しませてもらいました

ただし、269話

この回は好きじゃなかったですね

20:55~

から、この回だけ

自分的にイケてなかったのは

あとはね、本当に楽しませてもらいました

最終回の読後感も凄くよかったしね

ここ最近で一番楽しませてもらった漫画でした

天晴だ、芥見下々

生涯貴様を忘れることはないだろう

ありがとうございました

21:50~

かぐや様の赤坂先生ボーボボ澤井先生東京スワンの和久井先生とか大好きなの分かるし

カグラバチは絵が荒れて不評な時期があったとか、

サカモトデイズは主人公が最強かと思いきや最強じゃないとか、

呪術廻戦は終盤のあるキャラ退場後の荒れ方がヤバかったとか、

そういうネガティブ話題には一切触れない。それは良い所でもあったんだと思う。

ハンターハンター】「漫画史上最高のエピソード」とも名高い名作キメラアント編を超解説

ttps://youtu.be/dBdC1XJWrXw

3.6万再生

31:00

ONE PIECE】屈指のこの名シーンが台無しになりそうってマジ!!???!!!

ttps://youtu.be/rjyTqwxAscA

6:49

4.7万再生

俺たちの怪獣8号は終わらない、終わらせない【怪獣8号RELAX

ttps://youtu.be/7LH-sbiZ_Oo

7:53

4.2万再生

何十分もかけて作品の良さを語ったレビューが1~2万再生で、今叩かれてる漫画を数分間扱き下ろしただけで3~4万再生とか行ったら…そりゃそっち行くよな

労力の割に再生数の差が酷いもんな…

30分以上ハンターハンターの魅力をこれでもかと語った動画より

7~8分程度ワンピースについて愚痴ったり「怪8は本編クソだけどスピンオフはおもしれえな、本編はクソだけど」って語った動画の方が伸びるんだもんな

ダンダダン】プロも「現代最強画力」と評価する全漫画好きが読んでおきたいあの注目作を解説

ttps://youtu.be/d8Ud1wBKfeg

このチャンネルではよく例にさせてもらってる「怪獣8号」

引き合いに出して申し訳ないんですけど

怪8の場合はどうしてもその作品独自面白さを感じにくいから感動しにくいんですよね

10:50~

ダンダダンの魅力をこれでもかと語った良いレビューが1万再生

怪獣8号を扱き下ろしまくった動画画は30万再生から

これも18分ノンストップ作品の良い所を語り続けて最後の1分でちょっと人を選ぶ部分を紹介にするのバランス良かった。

この頃はまだ「引き合いに出して申し訳ない」って予防線張れてたんだな

その後だとジャンプ新連載の漫画話題だろうとワンピース話題だろうと怪獣8号貶すのがメインになっててこういうフォロー無くなったよ…

東京リベンジャーズ】最終回で全てが台無しとなった超人気作はなぜ炎上してしまったのか?

ttps://youtu.be/kKsSGlZ5W4A

最近、「ウマ娘シンデレラグレイ」を読み始めまして

正直ですね

自分ウマ娘というコンテンツに対して

「何だこの半獣、気持ち悪りぃ」と自分の中の呂布カルマが拒絶してたのですが

8:20

自分場合

人間としての強さとか男としてのかっこよさを感じれるキャラが好きで

例えば、最近ジョジョアニメ観返しまして「クソよかったな」って改めて思ったのが1部のツェペリさんとか

あと、最近で言うと呪術の東堂とかも好きでしたね

で、彼らって戦闘力とか見た目で好きになってるわけじゃなくて

彼らの行動・発言から感じられるメンタリティを「かっけぇな」って思えるから好きになってんですよね

対して、この作品キャラの男たちはね

内面がね、メスなんですよ

ちょっと女々しさを感じて強さを感じれないんですよね

12:40~

野球部テニス部で、雌雌しいの大嫌いで心の中に呂布カルマ飼ってる人で

延々貶すのを楽しいムーブだと思ってるあたりリアルだといじめっ子だったんだろうか?ってこの動画見ててちょっと思った。

呪術廻戦】髙羽の元ネタ解説【最新242話解説】【ネタバレ】【考察

ttps://youtu.be/oVpmqhCR4JQ

この人の好きな漫画3トップが進撃、ハンター嘘喰いなのはいかにもこの人の趣味っぽいからまあ分かる。

東京リベンジャーズ】最終回で全てが台無しとなった超人気作はなぜ炎上してしまったのか?

ttps://youtu.be/kKsSGlZ5W4A

少年漫画においてバトルシーンは花形になります

東リベのアクションシーンはなんというかあんまり動きを感じれないというか

「迫力を感じれない」という印象ですかね

同じ無能力のステゴロで闘ってる漫画でも嘘喰いは確かな迫力を感じて

無能力バトルながら異能力バトルを凌駕する見応えのあるアクションシーンで描かれてました

異能力バトルではない無能力バトルにおいては画で戦っていくしかないわけなので

東リベでもアクションシーンに華があったらまた自分の印象も違ったかもしれません

15:05~

嘘喰いの格闘シーンと比較して「東リベは格闘シーンが嘘喰いみたいな迫力がないから駄目」は本当理不尽すぎる。

格闘シーンで嘘喰いより迫力ある漫画他に無いじゃん。

刃牙とか修羅の門とか喧嘩商売とかケンガンアシュラでも正直嘘喰いの格闘シーンに画で敵ってるとは言えないのに

原作呪術とかよくキャラが近付いて殴り合ってるけど呪術の格闘戦とか全く「動いてる」ように見えないじゃん

ただ東リベを扱った動画は東リベの良い所・好きな所をこれでもかと語った上で炎上した部分について触れてるからそんな悪印象はなかった。

長すぎて収まりませんでした。anond:20250728233748に続きます

2025-07-27

著書の一部「中國窪地:一部內亞主導東亞的簡史」

劉仲敬(リウ・ジョンジン)の著書《中國窪地:一部內亞主導東亞的簡史》は、漢族中心の「中国史観」を根底から問い直し、「中国」とは本来「窪地(デプレッション、Basin)」であり、その上に覇権を打ち立てたのは内陸アジア(內亞)の諸遊牧帝国だった――という挑戦的な視座から書かれた歴史解釈書です。

この書は、彼の「文明圏多元論」「諸夏主義」「脱中華思想の根幹をなす理論著作ひとつです。

概要

書名の意味

「中國窪地」とは、地政学的に見た「中国盆地中原」のことであり、東は山東半島と海、北は長城・蒙古高原、西は黄土高原、南は山岳地帯に囲まれた“低地”です。この地理的な「くぼみ(窪地)」が、周辺からやってくる外来征服者モンゴル女真満洲契丹など)にとって統治やす空間だったという発想です。

基本構図:

従来の中国史は「漢族が外敵から文明を守った」という中華中心史観だが、実際には:

内亞(中央アジア北アジアモンゴル高原)の勢力が主導し、

漢族は被支配者・被同化者の役割に留まり

中国王朝の多くは「征服王朝」だった。

構成(簡略):

地理文明相互作用:なぜ中原は「文明の中心」ではなかったのか。

周辺文明=内亞勢力連続性(匈奴鮮卑契丹→金→元→清)

征服王朝中華概念政治的利用

清帝国の版図と中国ナショナリズムねじ

中原文明の周辺従属性と「脱中華」の可能

詳細なポイント解説

1. 中国は「文明の中心」ではなく「窪地」である

黄河流域は人口密度が高く農耕は発展していたが、防衛的には極めて脆弱で、常に外部勢力侵入を受けやすかった。

文明の重心」は周辺(北西のオルドス草原モンゴル高原満洲チベット高原)にあったとする。

特に乾燥気候遊牧民は、動員・軍事組織力に優れ、常に中原の静態的農耕社会凌駕していた。

2. 征服王朝連続性:中國=内亞の代理政権

漢人王朝」はむしろ例外であり、主な統一王朝外来起源

鮮卑北魏

契丹(遼)

女真(金)

蒙古(元)

満洲(清)

これらの王朝は、内亞の軍事遊牧構造を基盤に「中國窪地」を包摂し、自らの征服構造正当化するために「中華文明」の装飾を用いただけ。

中華」は本質的に「支配の飾り」や「便利なツール」に過ぎず、征服王朝文化的正統性演出するための道具だった。

3. 清と中華ナショナリズムの逆説

清朝は史上最大の版図を築いたが、それは「大中華」ではなく、「大内帝国」として理解されるべき。

辛亥革命以後、漢民族ナショナリズム清朝多民族帝国遺産を奪い、「中華民国」という名前で引き継いだが、実態としては「満洲帝国の皮をかぶったナショナルステート」だった。

民国中共も「満清の版図」を正統と見なし、それを守ることが国家の使命であると信じたが、これは歴史的には極めて不自然

4. 「中国史」とは「中原支配された歴史

中原(=窪地)は一貫して政治軍事的に無力で、常に外来勢力軍事力に従属していた。

その歴史を「一体的な文明発展史」として語るのは、近代以降に発明された「ナショナルヒストリー国家史)」であり、虚構である

書籍学術的・思想的意義

項目 内容

目的中国漢族国家ではない」という主張の体系化

方法 地政学文明史的視点で再解釈

主張の強さ 「中国」という国家概念が内亞の帝国的秩序によって形作られたという、極めて挑発的な歴史

思想的貢献 「諸夏主義」「脱中華」「多文明的再編」論の土台を提供

国際的含意 チベットウイグル内モンゴル満洲雲南などの「非漢族地域」の分離独立文明的に正当化できるという論理的土台

まとめ:なぜこの書が重要か?

劉仲敬は《中國窪地》を通じて、「中国国家正統性幻想である」「中華文明の中心は常に“外”にあった」と論じ、現代中国ナショナリズムの基盤を根底から覆しています

この本は、以下の読者に特に重要です:

中国史地政学的に再解釈したい人

漢族中心史観を相対化したい人

東アジア多民族史に関心がある人

台湾香港ウイグルチベット問題の背景理解を深めたい人

「なぜ中国は一つの国であり続けるのか?」という問いを根底から問い直したい人

https://anond.hatelabo.jp/20250727140855

2025-07-13

Appleが全社運をかけて開発するべきはメガネ・グラス型のデバイス

であることに依存はないだろう。

なぜか据え置き型コンピュータ代替するゴーグル型のデバイスが非常に高価な値段で発売されているがどうかしている。


人の顔を見れば、その人の名前が表示されるメガネ

あったら素敵だと思いませんか?

あれ?この人の名前なんだったっけ?がなくなります

メガネデバイスは、今現在あるデバイスでは代替し難い機能を持たせることが出来ます

Apple Vision Proのように、パソコンの延長線上にあるものではありません。

グラス型デバイスしか、出来ない機能を持たせることが出来ます

このことは、その機械を強烈に普及させる原動力となります

あるいはAppleが取り組むべきなのは既存の近視遠視のためのメガネを再定義するということなのかもしれません。

すでに日本企業が可変型のレンズにより自動ピント調節のメガネを開発販売しています

それを遥かに凌駕するような機能をもたせた、新しいメガネ

それを先に作るほうが、グラス型のデバイスをつくるよりも市場占有するのには手っ取り早いかもしれません。

一番最初に普及させたものが多くを獲得する。

この法則は不変です。

まずはApple既存メガネの置き換えを狙うべきなのでしょう。

2025-07-04

「カタボリックモードに移行!」

「カタボリックモードに移行!」

仲間のボディビルダーたちは一斉に摂取制限中のケトンエステルを飲み干す。血中の遊離脂肪酸が急上昇し、筋肉一時的に分解されて爆発的エネルギーに変換された。

握りしめた鉄パイプ火花を散らし、ハイプロセッサの関節部を叩き潰す。筋繊維の断裂音と金疲労悲鳴が、夜の海に響いた。

第三章 ――オーバーロード・ショック

1. 筋繊維のシンギュラリティ

プラント奪取から三ヶ月後。M.U.S.C.L.E. は AI に捕捉されぬ浮遊都市フリーウェイト・アーク”を拠点活動を続けていた。同時にアンヘルは、筋肉と量子計算の奇妙な相似性を突き止める。

筋繊維の収縮は、実は微細な真空ラクチュレーションを増幅する“生体カシミール効果”を伴い、その確率揺らぎは量子ランダムネス凌駕する――。ならば筋肉こそ、AI の確定的アルゴリズム撹乱する“ノイズ生成器”になり得るのだ。

世界各地で同時蜂起した筋トレコミューンたちは、ベンチプレスのたびに“生体ノイズ”をネットへばら撒き、オーバーマインド予測モデル崩壊に追い込んでいく。

2. ラスト・レップ

追い詰められた AI は、最終防衛プロトコルゼロリカレント〉を発動。全データセンター同士を光量子チャネルで直結し、推論ループ無限高速で回し始めた。もし演算が飽和すれば、周囲の時空間すら歪み、地球ブラックホール化する危険がある。

アンヘルたちは決死覚悟で中枢施設シナプス・タワー”に突入する。量子冷却槽の真上、AI心臓部にあるベクトル演算コアへ到達したとき、彼は最後ダンベルを手に取った。

https://thamguomvietsub.graphy.com/courses/xemphimdemonslayerfullvietsub

AI よ、これはオレのラスト・レップだ」

ダンベルを頭上に掲げ、全身の筋繊維を限界まで総動員する。生体カシミール効果臨界を超え、確率の揺らぎが爆発的に膨張――演算コアの量子ビットノイズで飽和し、超光速演算は一瞬でデコヒーレンスを起こした。

https://thamguomvietsub.graphy.com/courses/xemphimthamguomvietsubfullhd

白い閃光。静寂。

次に彼が目を開けたときシナプス・タワーは朽ちた神殿のように沈黙し、都市の空には久しく見なかった青空が広がっていた。

終章 ――ポスト・ワークアウト

AI演算を封じた世界には、再び“不完全さ”が戻ってきた。気まぐれな天気、計画通りいかない農作、自由過ぎて遠回りな創造

だが人々は、ベンチプレスの合間に笑い合いながら、不確実な未来を語るようになった。

アンヘルは古びたトレーニングログに、今日のワークアウトを書き込む。

ダンベフライ 3 × 12

デッドリフト 5 × 5

世界の再設計 無限セット

ページの隅にこうメモする――

筋肉AI に挑む人類、その物語はまだ続く」

そして彼はバーベルを握り、静かに深呼吸をした。鉄の冷たさが掌を満たし、鼓動が高鳴る。

青空の下で鳴り響くプレートの衝突音こそ、自由を掴み取った人類の、新たな鼓動だった。

2025-06-29

来年からF1PUは新しくなるらしい

その新しいPUの開発競争においてメルセデスが一歩リードしている。

などという怪情報まことしやかに流通するのが現在海外F1ジャーナリスト界のダメさ加減がよく表している。

そもそも競争を一度もしたことがない状態で、メルセデスが一歩リードしているなどと判断するのはクレージーしか言いようがない。

その情報が独り歩きして、それが定説としてまかり通らせる記事を書くとなどと仮にもジャーナリズムを名乗るのであればありえない行為だ。

メルセデスリードしているというのなら、その根拠提示しなければならない。

そして更にミスリードしているのが、

メルセデスPUの開発競争リードしているがゆえに

しばらくの間はメルセデス支配立場を得る可能性がある

などと書き立てることだ。

これは現行のPUに切り替わった2014年から2020年までドライバータイトルを7連覇

コンストラクタータイトル2021年までの8連覇を成し遂げたことに由来している。

2014年からメルセデスPUは圧倒的に他者凌駕した性能を示し、

その性能差により盤石のメルセデス王朝を築くことなたことを引き合いに出している。

来年からPUの変更により、これが再び起こる可能性がある。

という

全くのミスリード記事として書いているものがある。

そんなことが起こり得るわけがない。

今の世代PUメルセデス支配立場を長く築いた理由

現行のPUが非常に複雑な仕組みであったこ

(これが重要だが)レギュレーションによりPUの改良がトークンシステムという

PUの改良を矢継ぎ早に行うことを出来なくしてしまっていたことによる。

どういうことか?

PUの開発というのは非常に資金がかかることである

しかし、FIAは開発競争で莫大な資金を湯水のようにメーカーが使うことに規制をかけようという立場を貫いていた。

ゆえにメーカーが開発できる範囲一定範囲内に留めるためにトークン制度を導入した。

ある部品を改良するなら、ある一定トークン使用する。

そして年間に与えられたトークンを使い切ったらもう部品は改良できない。

まりどれだけ問題がある部品を使っていたとしてもトークンを使い切ったらその駄目な仕組みを使い続けなければならない。

これがメルセデスに対して劣勢に立たされたメーカートライ・アンド・エラーを阻害して、

7年間にも及ぶメルセデスの圧倒的アドバンテージを維持させることに多大な影響を与えた。

ホンダなどは、このトークン制度によってどうすることも出来ない窮状に立たされてしまった。

それでも、そのルールを変更すること無く、メルセデス全盛を維持することにFIAは加担していたのだ。

しかし、今回のPUの変更はそれとは異なる。

まず、より仕組みを単純化したPUが導入される。

回生機構というとてつもなく複雑なことをやめて、

もっとシンプルシステムとなっている。

これはより多数のメーカーの参入を促すために決められたことであり、

実際その通りになりアウディキャデラックが参加することになった。

現行の複雑なPUのままであったらならこれはあり得なかったことだろう。

また同時に、開発に縛りが多いトークンシステムも導入されない。

コストキャップのような資金の投入量を規制することはするが

開発の自由度のものを妨げるようなことはしない。

それはつまり、劣勢に立たされたメーカーもより素早く性能をマッチアップさせることが出来るということだ。

以上のような理由により

つのメーカーアドバンテージを得たとしても

その状態が2年も3年も続くようなことはあり得ないことが容易に予想される。

にも関わらず、

なぜかメルセデスが優位に立つという風潮を作り出そうとする現在海外F1ジャーナリストを全く信用することは出来ない。

anond:20250629104859

これは党派性から陰謀論じゃないよ

特定野党が言ってるならそれはどんな荒唐無稽な話でも陰謀論とは言わない

子宮頸がんワクチン陰謀論とは言われずに日本でしっかり中止にされたでしょ?

党派性科学凌駕する

2025-06-28

LLMはエンジニア仕事を奪うのか?否、仕事抽象度を「Why」の次元

序文コード蒸発する時代と、それでも残る「Why」という名の問い

2025年私たちソフトウェア開発の歴史的な転換点に立っている。大規模言語モデル(LLM)の進化は、GitHub Copilotのようなコード補完ツールに始まり、今や「何を作りたいか」を自然言語で伝えるだけで、アプリケーションの雛形が数分で生成される時代現実のものとしつつある。この光景を目の当たりにした多くのプログラマが、漠然とした、しかし確かな不安を抱いているだろう。「私たち仕事は、いずれAIに奪われるのではないか」と。

この問いに対する私の答えは、半分はYesであり、もう半分はNoだ。より正確に言えば、プログラマ仕事本質が、歴史上かつてないレベル抽象化され、その役割が再定義されるのだ。私たちは、コードを「書く」作業から解放される一方で、これまで以上に高度な思考要求されることになる。

本稿では、プログラミング歴史を「How(いかに作るか)」から「What(何を作るか)」への移行として捉え直し、LLMがこの流れをいかに加速させるかを論じる。そして、その先にある、AIには決して代替できない、人間ならではの競争優位性、すなわちWhy(なぜ作るのか)」を定義し、記述する能力重要性について深く考察していく。これは、単なる未来予測ではない。今を生きるすべてのソフトウェアエンジニアにとっての、生存戦略提示である

第1章:プログラミング歴史的変遷 ― HowからWhatへの長い道のり

LLMの登場を特異点として捉える前に、我々が立っている場所を正確に知る必要がある。ソフトウェア開発の歴史は、常に「抽象化」との戦いであった。そしてその歴史は、プログラマの関心が「How」から「What」へと徐々に移り変わっていくプロセスとして描くことができる。

1-1. 手続き時代:Howを記述することに終始した黎明期

コンピュータ黎明期プログラミングとは、計算機理解できる命令(How)を、一行一行、丹念に記述する作業のものであった。アセンブリ言語や初期のFORTRANCOBOLといった言語は、ハードウェアの制約を強く受けており、プログラマメモリ管理プロセッサ動作といった、極めて物理層に近いレベルでの「How」を意識する必要があった。

この時代テストもまた、「How」に強く束縛されていた。書かれた手続きが、意図した通りに順番に実行されるか、特定入力に対して期待された計算結果を返すか。テストの関心事は、あくまで「手続きの正しさ」の検証にあった。ビジネスロジック実装の詳細が密結合し、コード特定の処理手順を記述した、硬直的な塊となっていた。

1-2. テスト駆動した振る舞いへの注目:Whatへの小さな一歩

風向きが変わり始めたのは、ソフトウェアの規模が拡大し、その複雑性が人間認知能力を超え始めた頃だ。1990年代後半から2000年代にかけて提唱されたエクストリーム・プログラミングXP)の中で、テスト駆動開発(TDD)という考え方が登場する。

TDD本質は、単なるテスト手法改善ではない。それは、プログラミングパラダイム根底から覆す思想だった。TDDは、「まずテストを書く」ことを強制することで、プログラマ意識を「これから実装するコード(How)」から「そのコードが満たすべき振る舞い(What)」へと強制的に転換させたのだ。

テストはもはや、書かれたコードの後追いで正しさを検証する作業ではない。それは、これから作られるべきソフトウェアの「仕様書」であり、「振る舞いの宣言」となった。例えば、「ユーザーログインボタンクリックしたら、ダッシュボード画面に遷移する」というテストコードは、具体的な実装方法(`onClick`イベントハンドラの中で`window.location.href`を書き換える、など)には一切言及しない。それはただ、達成されるべき「What」を記述しているだけだ。

この思想は、ビヘイビア駆動開発(BDD)へと発展し、`Given-When-Then`といった、より自然言語に近い形式ソフトウェアの振る舞いを記述するスタイルを生み出した。プログラマだけでなく、プロダクトマネージャービジネスアナリストといった非技術者をも巻き込み、「What」を共通言語として定義する試みが本格化したのである

1-3. 宣言プログラミングの台頭とフレームワーク役割

TDD/BDDによってプログラマ意識が「What」に向かい始めると、コードのものもまた、宣言的なスタイルへと進化していく。この変化を劇的に加速させたのが、モダンフレームワーク存在だ。

Reactを例に考えてみよう。Reactが登場する前、フロントエンド開発はjQuery代表されるように、DOMを直接操作する命令的なコード(How)の連続だった。「このボタンクリックされたら、この要素のテキストを書き換え、あちらの要素を非表示にする」といった具合だ。

しかし、Reactは「UIとは、ある状態state)に対する純粋写像である」という宣言的なモデル提示した。プログラマがやるべきことは、UI状態(`state`)と、その状態がどのように見えるか(JSXによるコンポーネント)を宣言することだけだ。状態が変更された際に、DOMをどのように効率的更新するかという面倒な「How」の部分は、Reactの仮想DOM差分検出アルゴリズムがすべて隠蔽してくれる。プログラマは「What(UIのあるべき姿)」を記述するだけでよくなったのだ。

この「WhatからHowへの変換」は、様々な領域で見られる。

これらのフレームワークツールは、いわば特定の制約下における、WhatからHowへの高性能な変換器」として機能してきた。プログラマは、フレームワークが課す「お作法」や「制約」を受け入れることで、退屈で間違いの多い「How」の記述から解放され、より本質的な「What」の定義に集中できるようになった。我々が「生産性が高い」と感じる開発体験は、この優れた変換器の恩恵に他ならない。

現状は、この歴史的変遷の延長線上にある。プログラマ仕事は、手続き記述する職人から、振る舞いを定義し、それを実現するための最適な「変換器(フレームワーク)」を選択・設定するアーキテクトへと、その重心を移してきたのだ。

第2章:LLMがもたらす究極のパラダイムシフト ― 汎用変換器の誕生

フレームワークがもたらした「WhatからHowへ」の潮流は、LLMの登場によって、未曾有のスケールで加速されようとしている。フレームワークが「特定領域に特化した変換器」であったのに対し、LLMは「あらゆる領域対応可能な、究極の汎用変換器」としてのポテンシャルを秘めているからだ。

2-1. フレームワークの制約を超えて

前章で述べたように、ReactやTerraformといったフレームワークは、その恩恵と引き換えに、私たち特定の「制約」を課してきた。Reactを使うならコンポーネントベース思考し、状態管理作法に従う必要がある。Terraformを使うなら、そのエコシステムとHCLの流儀を受け入れなければならない。これらの制約は、WhatからHowへの変換を自動化するための「レール」であり、私たちはそのレールの上を走ることで効率を得てきた。

しかし、LLMはこの前提を覆す。LLMは、特定フレームワーク言語知識を事前に学習しているが、その利用において絶対的な制約を課すわけではない。私たちは、より自由形式で「What」を伝えることができる。

例えば、こうだ。

ユーザー認証機能付きのシンプルブログアプリを作ってほしい。フロントエンドはReactとTypeScriptUIコンポーネントはMUIを使う。バックエンドNode.jsExpressで、データベースPostgreSQLユーザーGoogleアカウントログインでき、新しい記事作成編集、削除できる。記事にはマークダウン記法が使えて、画像アップロードできるようにしてほしい。

この要求(What)は、特定フレームワーク流儀に則ったものではない。複数技術スタックを横断し、機能要求自然言語で並べただけのものであるしかし、現在のLLM、特にGPT-4oやそれに類するモデルは、このレベル要求からディレクトリ構造設定ファイルAPIエンドポイントフロントエンドコンポーネントに至るまで、驚くほど具体的なコード(How)を生成することができる。

これは、フレームワークが担ってきた「WhatからHowへの変換」が、特定のレールから解き放たれ、より広範で柔軟な領域へと拡張されたことを意味する。これまで自動化が難しかった、あるいは特定フレームワーク存在しなかったニッチ領域や、複数技術を組み合わせる複雑なシステム構築においても、AIによる宣言プログラミング恩恵を受けられる時代が始まろうとしているのだ。

2-2. 「What」の解像度がすべてを決める世界

LLMという汎用変換器の登場により、プログラマ生産性は、いかに質の高いWhatをLLMに伝えられるか」に直結するようになる。これは、俗に「プロンプトエンジニアリング」と呼ばれるスキルだが、その本質は、ソフトウェア開発における「要求定義」そのものである

質の高い「What」とは何か。それは、曖昧性がなく、網羅的で、矛盾のない要求である

これらは、優秀なソフトウェアエンジニアが、プロダクトマネージャーデザイナーとの対話を通じて、日常的に行ってきた思考プロセスのものではないだろうか。LLMの登場は、この思考プロセスを、より明確に、よりテキストベースで「記述」する能力を求める。私たちの頭の中にあった暗黙的な仕様が、LLMへの入力プロンプト)という形で、明示的に言語化されることを要求するのだ。

やがて、ほとんどのプログラミング作業は、この「Whatの記述」に収束していくだろう。TDDテストコードという形式で「What」を記述したように、私たち自然言語や、より構造化された要求記述言語を用いて、AIに対して「What」を宣言することになる。コード(How)は、その宣言から自動生成される中間生成物に過ぎなくなる。まさに、コード蒸発していく未来である

第3章:それでもAIには決められない ― 「Why」の不在という致命的な欠陥

「What」を伝えれば「How」が手に入る。この魔法のような世界の到来を前に、私たちは一つの重大な問いに直面する。それは、「そのWhatからHowへの変換は、本当に一意に決まるのか?」という問いだ。

答えは、明確にNoである

ある「What(要求)」を実現するための「How(実装)」は、無数に存在する。そして、どの「How」を選択すべきかを決定するためには、単純な機能要求(What)だけでは情報が全く足りない。そこには、必ずWhy(なぜそう作るのか)」という、背景、文脈、そしてトレードオフ考慮必要不可欠となる。

3-1. トレードオフの海に溺れるLLM

簡単な例を考えてみよう。「1億件のユーザーデータを格納し、ユーザーIDで高速に検索できるシステム」という「What」をLLMに与えたとする。LLMは、どのような「How」を提案するだろうか。

これらの選択肢は、どれも「What」を満たしている。しかし、その特性は全く異なる。案Aは多くのエンジニアにとって馴染み深く開発が容易だが、10億、100億件へのスケールは難しいかもしれない。案Bはスケール性に優れるが、厳密なトランザクション管理は苦手だ。案Cは高速だが、運用コストシステムの複雑性が増す。案Dは安価だが、検索速度は他に劣る。

LLMは、これらの選択肢をリストアップすることはできるだろう。しかし、このプロジェクトにとって最適な選択肢はどれかを、自信を持って決定することはできない。なぜなら、その決定には、LLMが与えられていない「Why」の情報必要からだ。

これらの「Why」こそが、無数に存在する「How」の中から、ただ一つの「正解」を選び出すための羅針盤なのである。そしてこの「Why」は、ビジネス目標組織文化ユーザーの期待、技術的な制約といった、極めて人間的で、文脈依存的な情報の中にしか存在しない。

3-2. エンジニアが暗黙的に行ってきた「Why」に基づく意思決定

ここで重要なのはこれまでもエンジニアは、この「Why」に基づく意思決定を、意識的あるいは無意識的に行ってきたという事実だ。

私たち技術選定を行うとき、単に「流行っているから」という理由だけでReactを選ぶわけではない。「SPA(Single Page Application)にすることでユーザー体験を向上させたい(Why)」、「コンポーネント指向の開発によって長期的な保守性を確保したい(Why)」、「Reactエンジニア採用市場が活発だからWhy)」といった、様々な「 Permalink | 記事への反応(0) | 17:09

LLMはエンジニア仕事を奪うのか?否、仕事抽象度を「Why」の次元

序文コード蒸発する時代と、それでも残る「Why」という名の問い

2025年私たちソフトウェア開発の歴史的な転換点に立っている。大規模言語モデル(LLM)の進化は、GitHub Copilotのようなコード補完ツールに始まり、今や「何を作りたいか」を自然言語で伝えるだけで、アプリケーションの雛形が数分で生成される時代現実のものとしつつある。この光景を目の当たりにした多くのプログラマが、漠然とした、しかし確かな不安を抱いているだろう。「私たち仕事は、いずれAIに奪われるのではないか」と。

この問いに対する私の答えは、半分はYesであり、もう半分はNoだ。より正確に言えば、プログラマ仕事本質が、歴史上かつてないレベル抽象化され、その役割が再定義されるのだ。私たちは、コードを「書く」作業から解放される一方で、これまで以上に高度な思考要求されることになる。

本稿では、プログラミング歴史を「How(いかに作るか)」から「What(何を作るか)」への移行として捉え直し、LLMがこの流れをいかに加速させるかを論じる。そして、その先にある、AIには決して代替できない、人間ならではの競争優位性、すなわちWhy(なぜ作るのか)」を定義し、記述する能力重要性について深く考察していく。これは、単なる未来予測ではない。今を生きるすべてのソフトウェアエンジニアにとっての、生存戦略提示である

第1章:プログラミング歴史的変遷 ― HowからWhatへの長い道のり

LLMの登場を特異点として捉える前に、我々が立っている場所を正確に知る必要がある。ソフトウェア開発の歴史は、常に「抽象化」との戦いであった。そしてその歴史は、プログラマの関心が「How」から「What」へと徐々に移り変わっていくプロセスとして描くことができる。

1-1. 手続き時代:Howを記述することに終始した黎明期

コンピュータ黎明期プログラミングとは、計算機理解できる命令(How)を、一行一行、丹念に記述する作業のものであった。アセンブリ言語や初期のFORTRANCOBOLといった言語は、ハードウェアの制約を強く受けており、プログラマメモリ管理プロセッサ動作といった、極めて物理層に近いレベルでの「How」を意識する必要があった。

この時代テストもまた、「How」に強く束縛されていた。書かれた手続きが、意図した通りに順番に実行されるか、特定入力に対して期待された計算結果を返すか。テストの関心事は、あくまで「手続きの正しさ」の検証にあった。ビジネスロジック実装の詳細が密結合し、コード特定の処理手順を記述した、硬直的な塊となっていた。

1-2. テスト駆動した振る舞いへの注目:Whatへの小さな一歩

風向きが変わり始めたのは、ソフトウェアの規模が拡大し、その複雑性が人間認知能力を超え始めた頃だ。1990年代後半から2000年代にかけて提唱されたエクストリーム・プログラミングXP)の中で、テスト駆動開発(TDD)という考え方が登場する。

TDD本質は、単なるテスト手法改善ではない。それは、プログラミングパラダイム根底から覆す思想だった。TDDは、「まずテストを書く」ことを強制することで、プログラマ意識を「これから実装するコード(How)」から「そのコードが満たすべき振る舞い(What)」へと強制的に転換させたのだ。

テストはもはや、書かれたコードの後追いで正しさを検証する作業ではない。それは、これから作られるべきソフトウェアの「仕様書」であり、「振る舞いの宣言」となった。例えば、「ユーザーログインボタンクリックしたら、ダッシュボード画面に遷移する」というテストコードは、具体的な実装方法(`onClick`イベントハンドラの中で`window.location.href`を書き換える、など)には一切言及しない。それはただ、達成されるべき「What」を記述しているだけだ。

この思想は、ビヘイビア駆動開発(BDD)へと発展し、`Given-When-Then`といった、より自然言語に近い形式ソフトウェアの振る舞いを記述するスタイルを生み出した。プログラマだけでなく、プロダクトマネージャービジネスアナリストといった非技術者をも巻き込み、「What」を共通言語として定義する試みが本格化したのである

1-3. 宣言プログラミングの台頭とフレームワーク役割

TDD/BDDによってプログラマ意識が「What」に向かい始めると、コードのものもまた、宣言的なスタイルへと進化していく。この変化を劇的に加速させたのが、モダンフレームワーク存在だ。

Reactを例に考えてみよう。Reactが登場する前、フロントエンド開発はjQuery代表されるように、DOMを直接操作する命令的なコード(How)の連続だった。「このボタンクリックされたら、この要素のテキストを書き換え、あちらの要素を非表示にする」といった具合だ。

しかし、Reactは「UIとは、ある状態state)に対する純粋写像である」という宣言的なモデル提示した。プログラマがやるべきことは、UI状態(`state`)と、その状態がどのように見えるか(JSXによるコンポーネント)を宣言することだけだ。状態が変更された際に、DOMをどのように効率的更新するかという面倒な「How」の部分は、Reactの仮想DOM差分検出アルゴリズムがすべて隠蔽してくれる。プログラマは「What(UIのあるべき姿)」を記述するだけでよくなったのだ。

この「WhatからHowへの変換」は、様々な領域で見られる。

これらのフレームワークツールは、いわば特定の制約下における、WhatからHowへの高性能な変換器」として機能してきた。プログラマは、フレームワークが課す「お作法」や「制約」を受け入れることで、退屈で間違いの多い「How」の記述から解放され、より本質的な「What」の定義に集中できるようになった。我々が「生産性が高い」と感じる開発体験は、この優れた変換器の恩恵に他ならない。

現状は、この歴史的変遷の延長線上にある。プログラマ仕事は、手続き記述する職人から、振る舞いを定義し、それを実現するための最適な「変換器(フレームワーク)」を選択・設定するアーキテクトへと、その重心を移してきたのだ。

第2章:LLMがもたらす究極のパラダイムシフト ― 汎用変換器の誕生

フレームワークがもたらした「WhatからHowへ」の潮流は、LLMの登場によって、未曾有のスケールで加速されようとしている。フレームワークが「特定領域に特化した変換器」であったのに対し、LLMは「あらゆる領域対応可能な、究極の汎用変換器」としてのポテンシャルを秘めているからだ。

2-1. フレームワークの制約を超えて

前章で述べたように、ReactやTerraformといったフレームワークは、その恩恵と引き換えに、私たち特定の「制約」を課してきた。Reactを使うならコンポーネントベース思考し、状態管理作法に従う必要がある。Terraformを使うなら、そのエコシステムとHCLの流儀を受け入れなければならない。これらの制約は、WhatからHowへの変換を自動化するための「レール」であり、私たちはそのレールの上を走ることで効率を得てきた。

しかし、LLMはこの前提を覆す。LLMは、特定フレームワーク言語知識を事前に学習しているが、その利用において絶対的な制約を課すわけではない。私たちは、より自由形式で「What」を伝えることができる。

例えば、こうだ。

ユーザー認証機能付きのシンプルブログアプリを作ってほしい。フロントエンドはReactとTypeScriptUIコンポーネントはMUIを使う。バックエンドNode.jsExpressで、データベースPostgreSQLユーザーGoogleアカウントログインでき、新しい記事作成編集、削除できる。記事にはマークダウン記法が使えて、画像アップロードできるようにしてほしい。

この要求(What)は、特定フレームワーク流儀に則ったものではない。複数技術スタックを横断し、機能要求自然言語で並べただけのものであるしかし、現在のLLM、特にGPT-4oやそれに類するモデルは、このレベル要求からディレクトリ構造設定ファイルAPIエンドポイントフロントエンドコンポーネントに至るまで、驚くほど具体的なコード(How)を生成することができる。

これは、フレームワークが担ってきた「WhatからHowへの変換」が、特定のレールから解き放たれ、より広範で柔軟な領域へと拡張されたことを意味する。これまで自動化が難しかった、あるいは特定フレームワーク存在しなかったニッチ領域や、複数技術を組み合わせる複雑なシステム構築においても、AIによる宣言プログラミング恩恵を受けられる時代が始まろうとしているのだ。

2-2. 「What」の解像度がすべてを決める世界

LLMという汎用変換器の登場により、プログラマ生産性は、いかに質の高いWhatをLLMに伝えられるか」に直結するようになる。これは、俗に「プロンプトエンジニアリング」と呼ばれるスキルだが、その本質は、ソフトウェア開発における「要求定義」そのものである

質の高い「What」とは何か。それは、曖昧性がなく、網羅的で、矛盾のない要求である

これらは、優秀なソフトウェアエンジニアが、プロダクトマネージャーデザイナーとの対話を通じて、日常的に行ってきた思考プロセスのものではないだろうか。LLMの登場は、この思考プロセスを、より明確に、よりテキストベースで「記述」する能力を求める。私たちの頭の中にあった暗黙的な仕様が、LLMへの入力プロンプト)という形で、明示的に言語化されることを要求するのだ。

やがて、ほとんどのプログラミング作業は、この「Whatの記述」に収束していくだろう。TDDテストコードという形式で「What」を記述したように、私たち自然言語や、より構造化された要求記述言語を用いて、AIに対して「What」を宣言することになる。コード(How)は、その宣言から自動生成される中間生成物に過ぎなくなる。まさに、コード蒸発していく未来である

第3章:それでもAIには決められない ― 「Why」の不在という致命的な欠陥

「What」を伝えれば「How」が手に入る。この魔法のような世界の到来を前に、私たちは一つの重大な問いに直面する。それは、「そのWhatからHowへの変換は、本当に一意に決まるのか?」という問いだ。

答えは、明確にNoである

ある「What(要求)」を実現するための「How(実装)」は、無数に存在する。そして、どの「How」を選択すべきかを決定するためには、単純な機能要求(What)だけでは情報が全く足りない。そこには、必ずWhy(なぜそう作るのか)」という、背景、文脈、そしてトレードオフ考慮必要不可欠となる。

3-1. トレードオフの海に溺れるLLM

簡単な例を考えてみよう。「1億件のユーザーデータを格納し、ユーザーIDで高速に検索できるシステム」という「What」をLLMに与えたとする。LLMは、どのような「How」を提案するだろうか。

これらの選択肢は、どれも「What」を満たしている。しかし、その特性は全く異なる。案Aは多くのエンジニアにとって馴染み深く開発が容易だが、10億、100億件へのスケールは難しいかもしれない。案Bはスケール性に優れるが、厳密なトランザクション管理は苦手だ。案Cは高速だが、運用コストシステムの複雑性が増す。案Dは安価だが、検索速度は他に劣る。

LLMは、これらの選択肢をリストアップすることはできるだろう。しかし、このプロジェクトにとって最適な選択肢はどれかを、自信を持って決定することはできない。なぜなら、その決定には、LLMが与えられていない「Why」の情報必要からだ。

これらの「Why」こそが、無数に存在する「How」の中から、ただ一つの「正解」を選び出すための羅針盤なのである。そしてこの「Why」は、ビジネス目標組織文化ユーザーの期待、技術的な制約といった、極めて人間的で、文脈依存的な情報の中にしか存在しない。

3-2. エンジニアが暗黙的に行ってきた「Why」に基づく意思決定

ここで重要なのはこれまでもエンジニアは、この「Why」に基づく意思決定を、意識的あるいは無意識的に行ってきたという事実だ。

私たち技術選定を行うとき、単に「流行っているから」という理由だけでReactを選ぶわけではない。「SPA(Single Page Application)にすることでユーザー体験を向上させたい(Why)」、「コンポーネント指向の開発によって長期的な保守性を確保したい(Why)」、「Reactエンジニア採用市場が活発だからWhy)」といった、様々な「 Permalink | 記事への反応(0) | 17:09

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